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中国に政治改革が必要とされる時

ニューズウィーク日本版 2017年8月23日 16時40分

<自由を求める声は先細り途絶えた。しかし新たな変革の動きはまだ見えない>

ノーベル平和賞受賞者で反体制活動家の劉暁波(リウ・シアオポー)の死は、80年代以降わずかながら残されてきた中国政治改革の希望がついえたことを象徴している。

「改革開放の総設計師」と呼ばれる鄧小平(トン・シアオピン)は80年代、政治改革の必要性に言及した。ただしその改革は広い支持を集めながら、89年の天安門事件という悲劇的な結末を迎える。以後、中国共産党は「和平演変(平和的体制転換)」を恐れ、改革論議の封じ込めに転じた。

それでも政治改革を求める人々は消えなかった。劉はその代表的人物だ。天安門事件により投獄されたが、釈放後もネットの執筆活動を通じて訴えを続けた。

彼はネット時代の記念碑的事件である「08憲章」の起草者にもなったが、内容以上に注目すべきは1万人以上の賛同者がネットで署名したという事実だろう。危険を承知で声を上げたことを考えれば、決して少ない数ではない。

08憲章発表直前に劉は拘束されるが、政治改革を求める声はむしろ強まった感すらあった。ノーベル平和賞受賞時には中国紙・南方都市報が空席の椅子の写真を掲載。暗喩の形で受賞を祝福した。写真掲載は記者の先走りではなく、劉を支持するムードが社会に一定程度存在する故にできたことだった。

授賞式直後、私は中国のコラムニスト安替(アンティ)と会ったが、彼が「これで中国は変わる」と狂喜していたことをよく覚えている。当時の中国ではネット世論が巨大化。ネットユーザーに批判された政府が謝罪し、告発された汚職官僚が解任されるなどの事例が相次いでいた。劉の受賞と合わせ、変化を感じていた人は少なくなかった。

【参考記事】劉暁波の苦難は自業自得? 反体制派が冷笑を浴びる国

英雄の死と民主化運動の断絶

ところがこの期待は12年の習近平(シー・チンピン)政権誕生によって打ち砕かれる。ネットのオピニオンリーダーや人権派弁護士や活動家ら200人余りが拘束され、従来よりもネットの思想統制とプロパガンダが強化されるようになった。

その事例の1つが13年の『較量無声(静かな戦い)』という映画だ。

人民解放軍などが共同制作した士官教育用映画で一般公開されていないが、動画が流出し存在が明らかになった。アメリカは民主主義や文化、NGOなどソフトパワーを駆使して中国の体制転覆を狙っていると警告する内容だ。アメリカの攻撃を防ぐべく、中国は静かな戦いを繰り広げていると主張。劉が08憲章発表前に香港メディアと接触していたとも指摘し、米国のスパイだったと批判している。



ほかにもアニメやラップなどのポップカルチャーを通じて共産党の政策や思想を広める取り組みが始まった。抗議活動を取り締まるだけという従来の受動的な姿勢から、プロパガンダを広めていく能動的な戦略に転換したのだ。

中国社会が豊かになるにつれ、共産党による「開発独裁」体制を支持する人も増えている。日本に留学している中国人と話しても、かつては独裁に批判的な人ばかりだったが、最近では中国政府に理解を示す人が増えつつある。日本に限らず世界各国には反中国政府の華人団体が存在するが、高齢化が進んでいるのが現状だ。

政治改革を求める声が急速に先細っていくなかで、劉の死は象徴的だ。80年代から細々とはいえ続いてきた流れが、ここで完全に途絶えることを示している。

【参考記事】中国共産党のキングメーカー、貴州コネクションに注目せよ

もちろん、中国共産党の支配体制が未来永劫不変だと言うつもりはない。しかしなんらかの変革が起きるとしても、それは約30年間にわたり続いてきたこれまでの政治改革の流れとは全く違う、新たな文脈から生み出されることになるだろう。

今はまだ、新たな流れは見えない。だが予測することはできる。従来の政治改革とは元をたどれば共産党による改革政策であり、知識人の運動であった。いわば上からの改革だ。

新たな流れは下から生まれてくるだろう。一党独裁体制はあくまで少数の利益を代弁するもので、多数の利害を調停することは難しい。公害や防災など広範な人々が直面する問題に現体制が対応し切れなくなったとき、民主主義という調停システムが必要とされるはずだ。

<本誌2017年7月25日号「特集:劉暁波死去」から転載>


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[2017.7.25号掲載]
高口康太(ジャーナリスト)

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