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【写真特集】不仲説も囁かれたエリザベス女王とダイアナ

ニューズウィーク日本版 2017年8月28日 18時15分

<恐ろしいほど悲しいことでした。ダイアナの死は、この国にとって大きな損失なのですから――1997年8月のダイアナの訃報後、エリザベス女王が初めて書いた手紙に綴られた言葉だ。王室のあり方に対する意見の違いから不仲説もあった2人を、ゲッティイメージズの写真とデジタルアーカイブのディレクター Bob Ahern のコメントで振り返る>

パリの自動車事故から20年。36年という短い人生にもかかわらず、世界中の人々に大きな影響を与えたダイアナ。ロイヤルファミリーの伝統よりも自らの感情や自然体でいることを優先していた彼女はどうしてもエリザベス女王と衝突することもあった。伝統だった帽子や手袋を着用しなかったダイアナは、それがAIDS患者であろうと地雷被害者であろうと関係ない。近い距離で人々に接しようという思いが溢れる写真に写るのは、まさに「People's Princess」の姿だ。伝統を犠牲にしてでも一般の人と繋がろうとし、決して抑圧することのない、人間味あふれるオープンさを貫いたその精神こそがダイアナが人々から愛され続け、20世紀を代表する人物となった一番の要素だろう。(Bob Ahern)

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チャールズ皇太子の花嫁候補の条件は「プロテスタントで処女」との報道も。それ以外にもテストがあり、エリザベス女王のお墨付きを得るのは厳しかったようだ(1980年1月1日) Keystone-France/Gamma-Keystone via Getty Images



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ヘンリー王子の洗礼を祝い、ウィンザー城に会したロイヤルファミリー(1984年12月21日) Anwar Hussein/Getty Images



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ジェームス・オギルヴィとジュリア・ローリンソンの結婚式に揃って参加した(1988年7月30日) Jayne Fincher/Princess Diana Archive/Getty Images



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ウィリアム王子の信仰告白式。ダイアナが写る、最後の王室ポートレートとなった(1997年03月09日) Tim Graham Picture Library/Getty Images


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ニューズウィーク日本版ウェブ編集部

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