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ダイアナを「殺した」のはマスコミか

ニューズウィーク日本版 2017年8月31日 19時0分

<スクープ写真を狙う「パパラッツィ」とスキャンダルを求める大衆が、プリンセスを死に追いやった?>

【ニューズウィーク日本版1997年9月10日号「特集:悲劇のプリンセス」から転載】

パパラッツィとは、イタリア語で「やかましい虫」のこと。だがダイアナをしつこくつけ回したカメラマンたちは、もちろんただの「虫」ではなかった。

一人だけ例をあげよう。名前はマーティン・ステニング。不気味な偶然だが、パリの路上でパパラッツィに囲まれて不慮の事故死を遂げるちょうど一年ほど前、ダイアナは裁判を通じてこのカメラマンを懲らしめることに成功した。

バイク便の配達係から転身したステニングもまた、ダイアナを追跡するのが好きなパパラッツィの一人だった。ほとんどどこへでもついて行き、彼女の車に衝突したことも二度あった。

そうした行動をステニングは「私を傷つけるために計算して行っている」と、ダイアナは裁判で主張。ステニングは否定したが、裁判所はダイアナの言い分を認め、今後は彼女に300メートル以上近づいてはならないと命じた。

ダイアナの乗るベンツに寄生虫のようにまとわりついていたバイク集団が、彼女を死に追いやったのかどうかは今のところはっきりしていない。だが、彼らは非難の集中砲火を浴びている。

「彼女はいずれマスコミに殺されるだろうと思っていたが」と、ダイアナの実弟であるスペンサー伯爵は言った。「これほど直接的な形になるとは思わなかった」

実際、ダイアナの車はカメラマンの追跡をかわすために速度を上げた可能性がある。フランス警察は、現場にいたカメラマン七人を事情聴取のために拘束した。

確かなことが一つある。プライバシーなどおかまいなしのカメラマンを放置してきた世界中の人々は、悲惨な最期を遂げたプリンセスに罪の意識を感じずにはいられない、ということだ。

ダイアナの死によって、スクープ合戦に歯止めがかかるのではないか。少なくとも大衆は、そうした刺激から目を背けるようになるのではないか。そんな希望にも似た観測も出ている。

【参考記事】ダイアナ元妃の生涯と「あの事故」を振り返る

ダイアナは最高のネタ

だが、パパラッツィを退治するのは一筋縄ではいきそうにない。彼らの活力源は、スキャンダルを好む大衆の欲望だ。過激さはいくらか弱まるとしても、その存在が消えることはないだろう。

有名人がカメラに追いかけ回されるのは、今に始まったことではない。パパラッツィという言葉を初めて使ったのは、イタリアの映画監督フェデリコ・フェリーニだ。彼は1960年の作品『甘い生活』の中で、スター女優をつけ回すカメラマンに皮肉を込めてこのあだ名をつけた。



60年代には、ジャクリーン・ケネディ・オナシスの二度の結婚によって多くのパパラッツィが大金を稼いだ。そうした写真の受け皿が増えるにつれ、彼らの行動はますます大胆になり、標的にされる有名人も増えた。

なかでもダイアナは最高の「獲物」だった。ほかにも大物はたくさんいたが、写真の買い手がつける値段の高さでは、彼女の右に出る者はいなかった。

ダイアナが、必要とあらばマスコミを利用したのは事実だ。BBCのインタビューに応じたのは離婚を有利に進めるためだったし、自分のかかわる慈善活動が取材を受けるときは嫌な顔ひとつ見せなかった。

それでも、マスコミが彼女にもたらしたものはプラスよりマイナスのほうが多かった。恋人のドディ・アルファイドと洋上で戯れているところを撮影した最近の写真には、600万ドルを超える値段がついた。スポーツジムから父親の葬儀まで、文字どおりあらゆる場所にパパラッツィは出現した。

【参考記事】ダイアナ悲劇の死から20年、活発化する暴露の動き

幅広いメディアのニーズ

パパラッツィにとって、どこまでが許容範囲で、どこからがそうでないのか。ロサンゼルス在住の芸能カメラマン、スコット・ダウニーにそう尋ねると、彼はこう答えた。「イギリス王室に関するかぎり、超えてはならない一線など存在しない」

「マスコミは残忍。人のあら探しをするだけだし、何をやっても批判される」。ダイアナは最近の仏ルモンド紙のインタビューで、痛烈にマスコミを批判していた。「私の立場におかれたら、正気な人間ならとっくに[イギリスを]出ているでしょう。でも私には無理。息子たちがいますから」

さらに、マスコミ側にもニーズが存在する。三流芸能紙や、イギリスの大衆紙だけではない。硬派のニュース雑誌やライフスタイル雑誌、テレビ番組など、相当数の媒体が有名人の写真を求めている。

本誌も、ときにパパラッツィの写真を掲載して利益を得たことは事実だ。たとえばケネディ・ファミリーの御曹司、ジョン・F・ケネディJr.と結婚したキャロリン・ベセットを特集した号では、パパラッツィが撮った写真をふんだんに使った。

今回の悲劇を契機に、こうした需要がすべてなくなるとは考えがたい。「短期的には誰もがひどく用心深くなるだろうが、いずれはすべてが元に戻る」と、欧州のある編集者は言う。



アメリカ在住のパパラッツィ、ラッセル・チューリアックも同意見だ。「人は有名人の写真を見たがる。だからこういう商売がある」

ビジネスの原則も変わりそうにない。フォトジャーナリズムの世界では、刺激的な写真ほど高く売れる。大金を手にしたいなら、ただの「有名人の写真」ではなく「有名人が何か刺激的なことをしている写真」でなくてはならない。

カメラマンが被写体の怒りを買う事例が絶えないのは、これが一因でもある。昨年ダイアナが二人の息子を連れてスイスにスキー旅行に行った際、一家はカメラマンの一団に取り囲まれた。家族のささやかなプライバシーを認めてほしい、とダイアナが頼むと、ほとんどのカメラマンはその願いを尊重したが、一人だけは撮影を続けた。当然のように、彼の撮った写真はあらゆるメディアで繰り返し使われた。

今年5月、アーノルド・シュワルツェネッガーと妻のマリア・シュライバーは、息子の通う学校の近くで車を走らせていた。学校まで約400メートルほどのところまで来たとき、カメラマンの乗った二台の車が彼らの前に割り込み、写真を撮りはじめた。

【参考記事】現代女性も憧れる「ダイアナヘア」はこうして生まれた

タブロイド文化は不滅

カメラマンたちはそれだけでは飽き足りず、夫妻が学校に着いてからもシャッターを押し続け、騒ぎを収拾しようとした校長を突き倒した(彼らは後に逮捕され、起訴されている)。

トム・クルーズは、ダイアナが死亡したパリのトンネルで自分もパパラッツィに追跡されたことがある、とCNNに語った。マイク・タイソンは本誌の取材にこう答えた。「自宅の庭の木陰に、奴らが隠れていたこともある。今度の事件はいい教訓になるはずだ」

そう期待していいものか。被写体とのトラブルでたたかれたケースは過去にも何度かあるが、タブロイド文化は不滅だった。今回の事故の直後でさえ、ダイアナの車をバイクで追いかけていたパパラッツィは、シャッターを押すのをやめなかった。これほどの大事件にさえタブロイド文化はびくともしない、という証明かもしれない。

パパラッツィの元締め的な存在の一人、マッシモ・セスティーニは、オートバイやヘリの調達など、パパラッツィたちが必要とするさまざまな「経費」を提供している。あの運命の晩、ダイアナを追っていた連中のなかに自分の配下もいた、とセスティーニは言う。

「彼はすべてを撮っている。衝突の瞬間、その後の現場風景、そしてダイアナの無残な写真も」。死体の写真は売らない、と彼は言った。だがどこかの誰かがそれを紙面に載せたいとか、手に入れたいと思わない保証はない。


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マシュー・クーパー

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