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北極開発でロシアは誰よりも先へ

ニューズウィーク日本版 2017年9月1日 17時0分

<平均気温の上昇で資源開発が容易になった北極で、プーチン大統領は巨大な軍事力を展開し始めている>

3年前の10月、北極点にロシアの原子力砕氷船「ヤマル」の姿があった。船首に描いたサメの鋭い歯はご愛嬌だが、後に続いたのはエアガンを海底に向けて撃ち込む探査船。目的は海底油田の発見と、北極の海底はロシア領だと主張するための資料集めだ。

今年1月、ノルウェーの北極圏の町トロムソでの国際会議で、ロシアは探査結果を発表した。調査団のゲンナジ・イワノフは得意げに「採取可能な石油があるのは確かだ」と断言した。北極の膨大な資源の開発は石油業界の宿願だ。米地質調査所(USGS)によれば、この地域に眠る未発見資源量は、石油が世界の約13%、天然ガスが世界の約30%に当たる。

平均気温の上昇で氷が解け、北極海での探査は容易になってきており、既に資源の争奪戦は始まっている。ロシアは15年に、国連海洋法条約(UNCLOS)に基づいて北極海の海底120万平方キロ(フランスとスペインの合計面積に相当)を自国の大陸棚と主張した。

この条約は、200カイリの経済的排他水域(EEZ)を超える海域でも海底部分が当該国の陸地から続く大陸棚の延長であると「国連大陸棚限界委員会」が認定した場合には、一定の制限内で資源の開発権を認めるものだ。

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ロシアの主張は当初、データ不足を理由に退けられた。だが今回、イワノフには自信がある。もし彼の主張が通れば、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が掲げる目標の達成に追い風となるだろう。ロシアの原油・天然ガスの埋蔵量の増大と、北極海経由でヨーロッパとアジアを結ぶ最短の商船ルートの開発だ。

委員会の決定を待つ間にもロシアの開発は進む。北極圏での石油・天然ガス産出量は毎年記録を更新している。1月には国営ガスプロムネフチがペチョラ海のプリラズロムノエ油田で4カ所の油井を稼働させており、さらに28カ所での操業を計画中と発表した。

ロシアと中国とフランスのエネルギー会社が共同で設立した270億ドル規模の液化天然ガス工場からは、1260キロのパイプラインを通じてヨーロッパにガスが運ばれている。

遠くて危険とみられていた北極に、いま各国が殺到している。ノルウェーは探査地域を拡大しており、これまでで最北に位置するバレンツ海での新たな石油掘削権契約を提示した。ノルウェー石油・ガス協会のある人物は、損益分岐点は1バレル=45ドル近辺であり、世界的な原油安が続いたとしても、すぐに利益が出せるだろうと語った。



アメリカでは目下、利益は二の次だ。北極圏での最大の懸念は別にある。昨年12月、バラク・オバマ米大統領(当時)は海洋資源保護のため、北極圏の米海域の大半で新たに石油・天然ガスを掘削することを禁止した。石油流出で、イヌイットが食料にしている海洋生物が汚染される恐れがあるからだ。

現大統領のドナルド・トランプはオバマの決定を覆すかもしれない。アラスカ州選出の議員も石油開発の拡大を求めるロビー活動を行っている。

しかしトランプの決断に関係なく、交易ルートと天然資源をめぐる米ロの競争は激化するだろう。予兆はある。15年5月、ロシアは軍用機250機、兵士1万2000人による大規模な軍事演習を北極圏で行った。NATOによる同様の演習に対抗したものだ。対してNATOの旗手たるアメリカは今年2月から、ノルウェーに300人の海兵隊員を常駐させている。

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北極海で軍備増強を計画

さらにロシアは慣例を破り、軍事演習に関する事前通告を一方的にやめた。おかげで北極海沿岸のNATO加盟国は心中穏やかでない。何しろデンマークもUNCLOSに基づいて北極海底の主権を主張しているし、やはりNATO加盟国のカナダも同様な主張の申請を準備している。

いずれの国にも、北極の海底は自国の大陸棚の延長だと証明できる可能性がある。そしてUNCLOSの下では、領有権の主張が重複する場合は当事国間の協議で境界線を画定する決まりだ。

だからこそロシア軍は、北極海を未来の戦場と位置付けているのだろう。「ロシアの政治指導者も軍部も、世界的なエネルギー資源の枯渇による紛争発生の可能性ありと論じ、西側がロシアの資源を奪いに来る事態を想定してきた」と、ノルウェー防衛大学のカタルジーナ・ジスク准教授は言う。

だが衝突必至という見方ばかりではない。欧米の外交関係者は折に触れて、ロシアが沿岸国のアメリカやカナダ、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、デンマーク、アイスランドと良好な関係を保っている、北極海では船舶の航行と捜索救助活動で協力していると語ってきた。現にノルウェーとロシアは10年に、バレンツ海の海域画定問題を平和的に解決してみせた。



しかし北極海航路が開けたら、安全保障上の問題が緊急性を帯びてくる。『ロシアと新世界秩序』の著者ボボ・ローに言わせれば、「北極の注目度が高まれば友情は崩壊する」だろう。

いざとなれば、武力衝突であれ通常の開発競争であれ、準備万端なのはロシアのほうだ。砕氷船は40隻以上ある。しかも北極海方面に、冷戦時代以来最大の軍事力を展開している。

ロシアは沿岸国の中で最も多くの基地を持ち、さらに増やす計画だ。年内に飛行場が13カ所、防空レーダー基地が10カ所増える。北極圏での戦闘に特化した旅団もある。大型外洋船が停泊できる水深の港も16カ所に造る。こうなると、NATOの軍事演習に対して「挑発するつもりか? 望むところだ」と言っているのに等しい。

一方のアメリカは準備不足だ。トランプ政権の方針は定まらない。米政府が保有する砕氷船は古い2隻のみで、片方だけが重砕氷船。今のところ砕氷船を増やす具体的な計画はない。

「北極海に面した港が必要だ」と米国務省の北極圏担当デービッド・バルトンは言う。「石油流出や公害の対策もできない。海運事故が起きても捜索や救助を展開する態勢がほとんどない」

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そして、沿岸国ではアメリカだけがUNCLOSを批准していない。締約国でないと申請事項を検討する委員会に代表を出せず、反論もできない。UNCLOSに入れば、アラスカ沖でカリフォルニア州くらいの海底面積は領有権を主張できるのだが。

野球に例えると「アメリカはフィールドに立っていないし、観客席に座ってもいない」。米沿岸警備隊のジーン・ブルックス少将がそう嘆いたのは7年前だが、その後も状況はほとんど変わっていない。UNCLOSはオバマ前政権もその前のブッシュ政権も、海軍も環境保護団体も海運企業も石油企業も支持してきたが、国際条約を主権侵害と見なす一部の共和党上院議員が批准を阻んできた。

しかし、このままだとアメリカのいない間に、他国が北極の既成事実を積み上げていくことになる。

<本誌2017年8月29日号「特集:プーチンの新帝国」から>


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ボブ・ライス(ジャーナリスト)

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