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コンゴ・カビラ大統領とルワンダの利権 ----コンゴ中央部、国連とムクウェゲ医師の「忘れられた危機」

ニューズウィーク日本版 2017年9月11日 18時0分

<コンゴ東部「世界最悪の紛争」から中央部「忘れられた危機」へ──反政府派を殺すために民兵を輸送して暴れさせる、そのために国連PKOを使う、国連の調査員も抹殺する──カビラ独裁政権と隣国ルワンダの暴虐>

20年前の1997年9月7日、コンゴ民主共和国(以下、コンゴ)のモブツ・セセ・セコ(Mobutu Sese Seko)元大統領が死去した。

その直前に、ダイアナ妃(8月31日)もマザーテレサ(9月5日)も亡くなったために、「世界の有名人 ―善人も悪人も― が一気に亡くなった」と言われた1週間だった。

32年間、独裁政権を率いたモブツは、そもそもCIA(米中央情報局)に政権を与えられ、1960年代にコンゴのCIAに勤めていた父ブッシュ大統領はモブツのことを「最も貴重な友人の一人」と呼ぶほどであった。日本も例外ではない。モブツが1971年に訪日した際に、昭和天皇が羽田空港まで出迎えたぐらい権力をもち、日本に大切にされていた。

しかし冷戦終結後、モブツはアメリカから必要とされなくなり、代わりにウガンダのムセベニ大統領とルワンダのカガメ大統領がアメリカにとって重要人物となった。ルワンダとウガンダが創設した「コンゴ」反政府勢力が1997年にモブツ政権を倒した後に、モブツは同年5月にモロッコに亡命し、そのまま亡くなったのである。


先週9月7日に没後20年を迎えたコンゴ民主共和国のモブツ元大統領(写真中央、写真は1997年5月)REUTERS

モブツ大統領は独裁者として悪名が高かったが、そのモブツを恋しがるコンゴ人は多い。なぜなら、ジョセフ(J)・カビラ現大統領が2001年に就任してから、国内の状況が一気に悪化したからである。

「当時、あなた(モブツ)の良さを理解しなかった我々を許してくれ!汚職や女性スキャンダルなど多数あったが、あなたは実にコミュニケーション力に優れ、ビジョンもあった。コンゴ人として誇りもあった。モブツ、帰ってきてくれ!」と嘆く人までいる。

確かにこの20年間で、コンゴは地獄に落ちた。主な原因は、1996年以降、ルワンダがコンゴを侵略し、介入していることが挙げられる。それは、IT製品、諜報や防衛用に欠かせない戦略的な資源が豊富なばかりに「世界最悪の紛争地」となったコンゴ東部だけでなく、昨年以降暴力が続くコンゴ中央部のカサイ州にも共通する。カサイ州では現在140万もの人々が国内避難民となり(2016年で世界最大の新国内避難民数)、隣国アンゴラにも難民が流出している。



それと同時に、国連や昨年初来日したデニ・ムクウェゲ医師(上記の記事参照)を巻き込んださまざまな「忘れられた危機」が起きており、それらはすべてJ・カビラ大統領(とルワンダ政府)の利権のもとで相互に関連しあっている。

【参考記事】戦争兵器としての強姦が続くコンゴ
【参考記事】コンゴ「武器としての性暴力」と闘う医師に学ぶこと

カサイ州における「暴力」の背景

カサイ州では1960年代、コンゴからの分離独立運動に伴って、多くの死者や国内避難民が発生したが、それ以降は比較的安定していた。そのカサイ州で昨年8月以降、「暴力」が続いていると国際メディアは報道している。が、その実態はほぼ「虐殺行為」に近いと考えられ、8月現在、死者は3,300人以上にのぼり、集団墓地も80カ所発見された。その「暴力」の原因とは一体何であろうか?

カサイ州にはもともとナショナリストが多く、パトリス・ルムンバ(Patrice Lumumba)初代首相(1961年にCIAとベルギー政府によって暗殺される)や、50年以上野党で活動し、国民的英雄でもあるエティエンヌ・チセケディ野党党首(Etienne Tshisekedi)の出身地である。同州の伝統的首長カムウィナ・ンサプ(Kamuina Nsapu)氏も野党の支持者であったため、当然、中央政府から敵視されていた。

その中央政府が2015年、伝統的首長の権威を検討する法律を成立した。伝統的首長とは、家庭内問題や土地問題などを解決するという大事な役割を果たしている。コンゴ全州の伝統的首長のほとんどがカビラ大統領の支持者であるが、この法律は、伝統的首長に対して間接的にJ・カビラ大統領への忠誠を誓わせるもので、伝統的首長にとって脅迫を意味している。

そして2016年初め、警察と政府軍が、カサイ州民の伝統文化やアイデンティティの象徴として捉えられていた伝統的首長の屋敷を破壊し、現地の人々に大きな衝撃を与えた。このことを受け、同年6月、ンサプ首長はJ・カビラ大統領の退陣(後述)を求めて蜂起したのだが、2カ月後の8月に殺害され、同首長の支援者と支援組織が政府軍に対して立ち上がった。

このカサイ州の「暴力」は意図的に長期化し、悪化させられていると疑われている。それは、コンゴ南東部のカタンガ州にいる民兵「カタ・カタンガ」(Kata Katanga)をカサイ州に輸送し、暴力を振るわせていると言われているからだ。カタ・カタンガはもともとコンゴ政府と敵対関係であったが、政府はカビラの私利のために、この民兵を利用することにした。その証拠として、カタ・カタンガのリーダー、ゲデオン・キュング(Gedeon Kyungu)は以前、ある罪で投獄されたことがあり、その後、刑務所から逃亡したのだが、2015年以降、政府の迎賓館に住んでいる。



このように人為的に国内が不安定化することは、J・カビラ大統領にとって都合がよい。というのも、昨年12月にJ・カビラは2期の任期満了を迎えたが、大統領選を実施しないまま大統領職に居座り続けている。国内の不安定化がまさしく選挙を延期する口実になっているからである。

ルワンダがカサイ州の「暴力」を裏工作

カサイ州の「暴力」の裏にいたのはカタ・カタンガだけではない。隣国ルワンダが工作していたことも発覚された。

ラジオ・フランス・インターナショナルのジャーナリスト、ソニア・ロリー(Sonia Rolley)の報告書によると(注1)、1996年以降のコンゴ東部の紛争に関与していた反政府勢力のエリック・ルホリンべレ将軍(Eric Ruhorimbere、ルワンダ系コンゴ人)がカサイ州の「暴力」に加担している。

ルワンダは1996年から2013年まで、AFDL、RCD、CNDP、M23と次から次へと「コンゴ」の反政府勢力を創設してきた。名前は変更しているものの、指揮を執るのはほぼ同人物である。それらの反政府勢力はコンゴ東部で大量殺戮などの重大な罪を犯してきたが、その加害者がカサイ州に移送され、そこで再び暴力などの罪を犯しているのである。約20年間の不処罰の文化が招いた悪循環だ。

ルワンダがコンゴの紛争に介入してきたことは、2001年以降の国連報告書などにより認知されていた。ルワンダのカガメ大統領の元側近であるテオジェン・ルダシングワ(Theogene Rudasingwa)元駐米ルワンダ大使曰く、

「第1次コンゴ戦争後(1996~1997年)、資金が軍隊を通じて入るようになった。が、その資金がルワンダ国家の金庫に収まることはなく、RPF(ルワンダ現与党)の資金になった。カガメ大統領のみがその金額や支出先について知っている。会合でもよく言っていた。『ルワンダを強化するためには、コンゴが弱体化し、分断されなければならない』と」(注2)

つまり、コンゴの紛争や暴力を意図的に長期化することによって、コンゴ東部の資源を不法に搾取してきたルワンダ政府、とりわけカガメ大統領が恩恵を受けてきたのである。そして大統領職に居座りたいコンゴのJ・カビラ大統領も。

J・カビラの実の国籍はコンゴ人ではなく、実の父親はルワンダ人で、母親はツチで、本名も「ヒポリテ・カナンベ」だと言われている。カガメの操り人形である。父親のローラン・D・カビラは、モブツ政権が打倒された1997年から暗殺されるまでの2001年にコンゴの大統領だったが、J・カビラはそれを引き継いだ。行政経験は全くなく、亡命先のタンザニアでは運転手や道端で卵売りとして働いていたにもかかわらずである。

ブルームバーグ誌によると、カビラ一家は国内のさまざまな企業を所有している。
https://www.bloomberg.com/news/features/2016-12-15/with-his-family-fortune-at-stake-congo-president-kabila-digs-in

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(注1)RFI, "RDC: Violence"
(注2)The Guardian, "Why Blair and Buffett are wrong about giving international aid to Rwanda", 12 April 2013



また今年7月、このカビラ大統領一家によるビジネスに関する報告書が発表され、政府と国連との契約でカビラ・ビジネスの一部が儲かっているとのことだ。

その他に、長年、コンゴに投資してきたイスラエル人の商業家、ダン・ガートラー(Dan Gertler)はJ・カビラの親友である。
https://www.bloomberg.com/news/articles/2017-09-07/trump-s-surprise-deal-with-democrats-sets-up-christmas-showdown

モブツの個人資産は32年間で50億ドルに達したと言われるが、Forbesによると、カビラはその半分の16年間で50億~150億ドルの資産を蓄積したと推定されている。
http://www.lecongolais.cd/la-fortune-de-joseph-kabila-estimee-a-15-milliards-us/

だからこそ、J・カビラは任期が切れても大統領職にしがみついているのだ。そして情けないことに、「国際社会」がJ・カビラに対して強く非難できないのは、コンゴが資源大国であり、各国が経済的にコンゴに依存しているからだろう。

国連PKOの「暴力」への間接的な関与、国連専門家グループの殺害

話をカタ・カタンガに戻すと、その輸送に在コンゴのPKO、国連コンゴ民主共和国安定化ミッション(MONUSCO)が協力していると噂されている。PKOはトラックやヘリコプターなど輸送手段が豊富にあり、MONUCSOの任務に含まれているコンゴ軍への支援のために、コンゴ軍を輸送することはしばしばある。カサイ州への輸送に関して、MONUSCOはカタ・カタンガであることを知った上で、あるいはコンゴ軍と間違えて、輸送したのか定かではない。たとえ前者であったとしても、特に驚きではない。なぜなら、これまでMONUSCOは反政府勢力に国連の食糧配給を金(ゴールド)と引き換えに横流ししたことなどが報道されているからである。

その国連に打撃を与える事件が今年3月に発生した。カサイ州での「暴力」の問題を調査していた国連専門家ザイダ・カタラン氏(Zaida Catalan)とマイケル・シャープ氏(Michael Sharp)が、コンゴ人通訳ベツ・ツシンテラ氏(Betu Tshintela)とバイク運転手3名と共に殺害されたのだ。特にカタラン氏はコンゴ政府にとって不都合な情報を収集したらしく、その復讐として斬首され、未だに遺体の頭部が見つかっていない。

【参考記事】コンゴで警察官42人殺害、国連専門家も遺体で発見

国連専門家グループはこれまで、コンゴ以外にもアフガニスタンやイランなどにも派遣されているが、専門家の殺害は今回が初めてであり、国連にとって危機的な問題である。それにもかかわらず、奇妙なことに国連の対応が非常に鈍い。コンゴ政府が彼らを殺害した可能性が高いからなのか。本事件から4カ月後の7月、ようやく国連人権理事会で独立調査委員会の設立が決まった。しかし、本委員会のマンデート(負託)は、被害者が殺害された状況を調査するだけで、加害者の身元確認は含まれていない。

そのMONUSCOが民兵を輸送した可能性や専門家グループの殺害の背景について、米政府がどこまで把握していたかは不明である。しかし、2017年3月下旬、MONUSCOの任務の延長に関する議論の場で、ヘイリー米国連大使は厳しいコメントを発表した。



「国連PKOは、腐敗し、かつ国民を食い物にしているコンゴ政府を支援している」("U.N. peacekeepers in the DRC are aiding a government that is 'corrupt and preys on its citizens")

「国連は、国民に対して略奪行為を行っている政府を支援している。それを終わらせるための品位と常識を持つべきだ」("the U.N. is aiding a government that is inflicting predatory behavior against its own people. We should have the decency and common sense to end this.")(注3)

MONUSCOは悪名高い存在だが、米国という大国の大使がMONUSCOを初めて明白に批判したことは注目に値すべきである。

ムクウェゲ医師の現状

最後に、性暴力の犠牲者を救う活動を続けている産婦人科医、ムクウェゲ医師の現状について触れたい。今年4月、ムクウェゲ医師の親友で婦人科医、かつ活動家であるギルド・ビャムング(Gildo Byamungu)医師が殺害された。ビャムング医師はムクウェゲ医師が暮らすコンゴ東部のブカブ市より南にあるウヴィラ市で危険を伴いながら活動を続けており、ムクウェゲ医師同様に、MONUSCOによる護衛が付いていた。それが突然なくなったため、ビャムング医師はムクウェゲ医師に相談に行き、ウヴィラの自宅に帰ったとたんに襲われた。その際にまだ生きていたので、家族は彼を隣国ブルンジの首都ブジュンブラの病院に運ぼうとしたが、国境の出入国管理事務所で出国を止められた。これはコンゴ政府が関与しているという意味であり、ムクウェゲ医師に対する脅迫でもあると思われる。

本事件の翌月、MONUSCOが、ムクウェゲ医師が働き、かつ住まいがあるパンジ病院での護衛の撤退を突然表明した。MONUSCOの予算不足というのが表向き理由だが、コンゴ政府からの圧力があった可能性が高い。上記のようにMONUSCOは悪評が高いが、それでもいないよりいる方がましな場合もある。キャンペーンサイト「change.org」上では同医師の保護のため署名を求める運動が世界を巡った。その効果とEU(欧州連合)からの厳しい非難もあって、MONUSCO撤退は撤回された。しかし、ムクウェゲ医師によると、このPKOによる保護がいつまで続くかわからず、不安定な状態にあることには変わりない。

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(注3)Reuters, "U.S. envoy says U.N. aiding 'corrupt' Congo government", March 29, 2017,



なぜコンゴ政府がムクウェゲ医師を敵視しているのかというと、同医師に大統領候補として出馬してほしいと願っているコンゴ人が多いからである。それを抑圧するために、国際メディアと違って、国内メディアは一切ムクウェゲ医師の活動を報じることが許されていない。同様に、上記のカサイ出身のチセケディ野党党首は今年2月ベルギーで亡くなったのが、半年以上経った現在でも、彼の遺体は祖国に輸送されず、死体安置所に保管されたままである。コンゴでチセケディの葬式を行うとなれば、J・カビラに対する反発が煽る可能性があると政府は恐れているのだ。カビラはとにかく反体制の人間を黙殺させたい考えのようである―例え死者に対してもだ。埋葬の権利も保証されていないなんて、異常としか言えない。

このようにいつ殺害されても不思議ではない環境にいるにもかかわらず、ムクウェゲ医師は6月30日のコンゴの独立記念日にビデオメッセージを公開し、国歌「起て、コンゴ人よ」を引用しながら、コンゴ国民、特に若者に対し、コンゴの真の意味での独立、自由、尊厳を訴えた(カビラ「大統領」は「病気」のために、当日の演説をせず)。以下はその演説の翻訳の要約である。



コンゴはこれまで、紛争、他国や一部の権力者による搾取、介入など、凄惨な歴史を経験してきた。現在もなお、殺戮が続いており、司法府や立法府は機能不全に陥り、搾取の構造が残存している。しかし、かつて独立を果たした祖先が描いた、強く美しいコンゴを築き、よりよい未来を後世へ引き継ぐためには、コンゴの歴史に向き合い、他の誰でもないコンゴ人が主権と尊厳を取り戻すべきであり、団結して立ち上がらなくてはならない。そのためには、民族の多様性を包含した「コンゴ人」という確固たるアイデンティティに基づく統合、全ての人々による努力、連帯が必要であり、現実に立ち向かう力と自信を取り戻すことで、失われた尊厳を回復しなければならない。また、若者は過去の過ちを決して繰り返さぬよう、自らの自由と運命を取り戻し、新たな道を進むべきである。


ムクウェゲ医師が夢描くコンゴが近い将来、築くことができるよう、心から祈りたい。

[執筆者]
米川正子
立教大学特定課題研究員、コンゴの性暴力と紛争を考える会の代表。昨年10月のムクウェゲ医師の初来日を企画・アテンドした。
国連ボランティアで活動後、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)では、ルワンダ、ケニア、コンゴ民主共和国、スーダン、コンゴ共和国、ジュネーブ本部などで勤務。コンゴ民主共和国のゴマ事務所長を歴任。専門分野は紛争と平和、人道支援、難民。著書に『世界最悪の紛争「コンゴ」~平和以外に何でもある国』(創成社、2010 年)など。

[協力]
村松智妃呂(国際基督教大学大学院)
溝端悠(東京大学大学院)


米川正子(立教大学特定課題研究員、コンゴの性暴力と紛争を考える会)

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