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「正義」を冷笑して権力を手にしたトランプ - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2017年9月19日 18時20分

<オバマの掲げた「正義」を冷笑してのし上がったトランプに対して、全面的に「正義」を振りかざすヒラリー。これではアメリカ社会の分断は緩和されない>

先週から日本のツイッター上で「正義」に関する議論が盛り上がっています。1つのきっかけとしては、まずある作家の「暴走するような正義が、この地上のどこにあったって言うんだよ。」という投稿があり、これに対して原理主義の掲げる正義への批判や、「正義の味方」という言葉の「正義」と英語の「ジャスティス」の違いとか、様々な議論が寄せられました。そうした一連の議論を受けて佐々木俊尚氏が、

「正義の側から見ると正義は暴走するようには見えないんだけど、そうじゃない側から見ると暴走していると見える。しかし指摘すると冷笑的と怒られる。理解し得ない悩ましい問題」

と応じたのは興味深いと思いました。この問題では、「絶対と信じて正義を掲げつつ、それを信じないグループからは暴走と思われないように言動には自制をかける」という姿勢が多数派の中にあれば、議論は安定をする方向に向かい、社会の分断は避けられるはずではないかと感じました。

アメリカの場合、2009~2016年のオバマ政権の時代がまさにそうで、他でもないバラク・オバマという大統領自身が「暴走と見られないための自制」を意識的にしていました。

【参考記事】民主党に傾くトランプに「隠れ中道派」疑惑が

例えば、白人警官が黒人の若い男性の「挑発的な言辞や大きな体躯」に勝手に恐怖心を抱いてしまって一方的に射殺してしまう事件では、本来であれば100%の正義を主張すべきところを70%程度に抑制していたという印象です。銃規制問題ではもっと抑制を効かせていて、100%のところを30%くらいしか主張をしていませんでした。

今問題になっているDACAつまり親に連れられて子供時代に不法移民としてアメリカに来た若者への救済策にしても、一発で永住権を与えるような対策を100%とすれば、40%くらいの措置と言えます。反対論の存在を意識して2年更新にしたり、学業や兵役などの達成を基準に厳しく審査したり、2年更新でその度に高額な手数料を取ったり、制度としての抑制をかけているわけです。

最大の自制は医療保険改革で、公営保険を導入するのではなく、民間の医療保険ビジネスを母体として、民間の利潤追求原理によって医療費の膨張をチェックさせるとか、個人加入の保険料はしっかり取るなど、理想的な公営保険を100%としたら、30%とか40%に自制して、公費の投入幅も抑えた、それが「オバマケア」だったのです。オバマの8年というのは、理想を実現するための8年だけでなく、社会が分断されないように最新の注意を払った8年でもありました。

ですが、トランプによる反動は、そのような「オバマの自制」など全く眼中にないように、オバマの掲げた正義を「徹底的に冷笑」しながら「破壊」しようとしているわけです。

もちろん口では「オバマケア廃止、DACA廃止」と言いながら、実際のところは、極端な不利益変更にならないような実務的な代替案は模索されているわけです。そうではあるのですが、政治スローガンとしては「オバマの偉そうな理想主義は白人貧困層のプライドを打ち砕く正義の暴走だ」的な、まさに「冷笑主義」を撒き散らして、それに火を付けて回っているというのがトランプ現象だと言っていいでしょう。



そんな中で、9月12日にはヒラリー・クリントンによる2016年の選挙戦を回顧した『何が起こったか?("What Happened?")』が発売されて話題を呼んでいます。この本でヒラリーが述べているのは、どちらかと言えば「正義は正義だから暴走ということはありえない」という立場から、徹底的にトランプを「こき下ろす」という姿勢です。

具体的には、ドナルド・トランプというのは「性差別者」であり、「民主主義を信じない権力の亡者」であり、それゆえに「経済的にも諜報活動のターゲットということでもロシアに操縦され米国の国益を毀損する存在」だという全否定で一貫しています。

ですから「相手のことは悪の暴走」だと100%断定し、その相手側からは「正義の暴走」だとか「ヒラリーを牢につなげ」などと言われても平気(と言いますか、実際にそう言われてきたわけですが)であり、小気味よいほどです。ですが2017年も9月に差し掛かる中で、実際にトランプ政権が動きだした中では、ヒラリー的なアプローチが社会の分断を緩和するとはとても思えません。

いずれにしても、現在のアメリカでは、
「暴走と見られることをおそれて正義を抑制したオバマ」
「正義への冷笑を権力化するという手品で野次馬的な観客を集めるトランプ」
「正義に暴走なしとして100%の正義を躊躇なく掲げるヒラリー」
という3種類のアプローチが、いずれも国の分断を広める結果になっています。

もっと言えば、これに「正義だけでは人間は生きられないのだから、再分配の大盤振る舞いもセットしないと正義にならない」というバーニー・サンダースのグループが、今でも民主党内では勢力を維持しており、分断の構図を複雑にしているのです。

【参考記事】9.11から16年、アメリカの分断

こうした混乱、つまり全体として見れば「正義の動揺」という現象は、何もアメリカだけでなく、先進国一般に見られるものだと思います。ではどうすれば、こうした「正義の動揺」と「社会の分断」は緩和できるのでしょうか?

2つあるのだと思います。1つは、正義の達成というには、不正義を叩くことではなく、不正義の中にある情報不足や誤解を解きほぐすアプローチが必要ということです。例えば多文化主義を浸透させるには、排外主義を叩くのではなく、具体的な異文化の情報を孤立主義的な人々にも浸透させていく努力が先行すべきだということです。

2つ目は、理念としての正義が、グローバリズムの勝者である富裕層の特権的・貴族的な態度に過ぎないという印象を「与えない」ということです。あらゆる理想主義は、国内の格差問題などにも目を配ることで「与える側に回れない」という「脱落者」を作らないように配慮しながら進めなくては、足元をすくわれるということです。

いずれにしても、「トランプ現象」というかたちで「正義が挑戦を受けている」のが現在のアメリカであり、そこからアメリカがどう抜け出していくのかということには、世界的な「正義に関する議論」のなかでも重要な問題のように思います。


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