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日本の対中観が現実と乖離する理由──阿南友亮教授インタビュー

ニューズウィーク日本版 2017年10月18日 11時51分

<ニューズウィーク日本版10月17日発売号(2017年10月24日号)は「中国予測はなぜ間違うのか」特集。政治も経済も問題だらけで間もなく破綻する――そんな「中国崩壊論」はなぜ生まれ、なぜ外れるのか。党大会を控えた中国を正しく読み解く方法を検証する本特集から、東北大学・阿南教授のインタビューを転載する。根拠なき礼賛と悲観が生み出される背景には何があるのか>

一昔前は「日中友好」、近年は「中国台頭」、そして今は「中国崩壊」。日本の書店に並ぶ中国関連本の顔触れはその時々の日本の対中観を映し出す。

そうした中国イメージの混乱を経て、親中でも反中でもない冷静な視点が現れ始めた。そうした論者の1人であり、中国人民解放軍と中国共産党の関係を研究する東北大学の阿南友亮(あなみ・ゆうすけ)教授に、本誌・深田政彦が聞いた。

◇ ◇ ◇

――日本の対中観が現実と乖離し始めたのはいつ頃か。

戦前の日本にも、中国の革命や近代化に大きな期待を寄せる声があった。その一方で、軍官民問わず「支那通」と呼ばれる専門家が現地での経験に基づき、中国の近代化が一筋縄ではいかないという見解を示していた。

戦後の日本では、そういった中国の近代化に悲観的な見方(中国停滞論)が「対中侵略の正当化」につながったとして、それをタブー視する風潮が強まった。また、マルクス主義が言論界においてプレゼンスを強めていったなかで「社会主義国となった中国は資本主義の日本よりもずっと先を行く先進国だ」という認識まで出現した。

――実際には日本が高度成長を遂げる一方、中国では大躍進運動や文化大革命の混乱により悲惨な状況が続いた。

中国との交流が制限されていた当時の環境では、そうした悲惨な実態を覆い隠す中国共産党の巧妙なプロパガンダが日本人の対中認識に強い影響を及ぼしていた。そのプロパガンダと実態との間に大きなギャップがあるということが日本で広く認識されるようになるのは、70年代後半から80年代にかけてのこと。特に89年の天安門事件のインパクトは大きかった。

――それが日本の対中観が現実性を取り戻すチャンスだった。

ところがおかしなことに、その後日本社会は、これまた中国共産党のプロパガンダという要素を多分に含んだGDPの統計を安易にうのみにするようになり、そこから今度は中国台頭論が出てきた。確かにこの30年で都市部の景観は大きく変わったが、1人当たりのGDPを見ればようやく8000ドルを超えたところ(日本は3万8000ドル、アメリカは5万7000ドル)。数億人の貧しい農民を抱える農村部を見れば、日本の高度成長と似て非なるものなのは明らかだ。

――中国台頭論が盛んなのは日本だけではないのでは。

「中国が新たな超大国となり、アメリカを中心とする既存の世界秩序に挑戦するのは必然の成り行きだ」とする台頭論は、アメリカでも盛んに議論されている。そうした台頭論は、1+1=2というシンプルな論理に基づいている。つまり、「14億の人口」+「経済発展」=「アメリカに匹敵する大国」というロジックだ。

だが経済発展に伴うすさまじいまでの格差拡大とそれを原因とする社会不安の深刻化を考えれば、1+1は1.4くらいにとどまるかもしれず、0.8といったシナリオさえも否定できない。つまり、経済発展によって国内体制がかえって動揺することも十分あり得る。

【参考記事】石平「中国『崩壊』とは言ってない。予言したこともない」



――日本は今では崩壊論のほうが盛んかもしれない。

深刻な矛盾を抱える中国の現状を正確に反映していない台頭論が日本国内で流布した結果として中国脅威論が生まれ、その台頭・脅威論に対するアンチテーゼとして崩壊論が浮上した。崩壊論には2種類ある。1つは中国に対する過剰なまでの対抗心と反発が、中国を全否定する主張に転化しているパターン。もう1つは過度な台頭・脅威論を沈静化させるために、現代中国が抱える諸矛盾と脆弱性をあえて強調するパターンだ。

いずれにしても日本社会、特に言論界が、中国の社会主義神話が虚構であったという教訓をきちんと生かして、共産党の新たな神話、すなわち経済成長神話の中身を冷静に吟味していれば、非現実的な台頭論に対する感情的反発がここまで高まることはなかったのではないか。

――実際に崩壊はあるのか。

そもそも崩壊を論じる前に、現在の中国が近代国家としての要素を十分に兼ね備えていないという点に注目する必要がある。憲法を根幹とする法治主義に基づいて国家が国内民衆の人権を保障し、その民衆が選挙などを通じて国家の運営に参画するという形による近代的な国家と社会の一体化がいまだにほとんどできていない。

特に人口の大半が暮らす農村部では、国家に対する当事者意識が全般的に低い。政治参加よりも自分の最低限の生活が確保できればそれでいいと考える風潮が濃厚だ。政治に対する諦めムードも漂っている。土地改革や経済発展を成し遂げたにもかかわらず、農村の生活水準は依然として非常に低い水準にあり、劇的に改善する見込みはない。もちろん不満はいろいろあるが、共産党は民衆に銃口を向けることもいとわない人民解放軍や武装警察を抱えているため、人々は理不尽な現実でも受け入れるしかない。

大多数の民衆は、北京で盛り上がった民主化要求運動が共産党政権と正面衝突した際(天安門事件)、その事実を把握していなかった。現在でも天安門事件の存在すら知らない中国人は珍しくない。首都での異変が即国家体制の崩壊につながったソ連の例とは大違いだ。

――崩壊リスクはゼロ?

生存の危機に直面した民衆が国家権力に牙をむくという王朝交代劇が2000年間繰り返されてきた。そのサイクルを止めるために、国家が民衆の面倒をきちんと見て、国家と民衆の調和を達成するというのが中華人民共和国の当初の国是だった。ところが共産党は皇帝専制国家時代の貴族や官僚のように、権力を駆使して富を優先的に囲い込むようになり、民衆に対する社会保障、すなわち富の再分配をおざなりにしてきた。

そのような政権にとってリスクが高まるのは、最低限の生活すら保障されない民衆が大量に発生したときだ。中国では今でも台風、洪水、干ばつ、冷害、地震などといった自然災害の被災者が1年で億単位にも達する。経済の先行きがあまり芳しくないなかで、大規模な自然災害や環境破壊が続けば、既に相当深刻な社会不安に一層拍車が掛かることは容易に想像できる。そこに共産党内部での権力闘争の激化という状況が加われば、何が起きてもおかしくない。

――近著『中国はなぜ軍拡を続けるのか』(新潮選書)では、そうした緊張をはらんだ中国を直視する視点を提供している。

中国国内の緊張が外交の硬直化をもたらし、それが多くの国との関係を不安定化させている。人権問題を含む中国内部の矛盾と緊張が緩和されることなくして、日中関係の安定化は望めない──そうした認識に立脚した対中政策を検討すべき時期に来ている。

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深田政彦(本誌記者)

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