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金王朝支える作家集団 初の「金正恩小説」は対米決戦勝利のシナリオ

ニューズウィーク日本版 2017年10月19日 17時5分

このところミサイル実験などの挑発がやんでいるなあと思っていたら、平壌から1冊の短編小説集が届いた。「君子里の乙女」(文学芸術出版社)とある。作家はタク・スクボン。表紙は地下工場で一人の少女が砲弾の製造に携わっている絵である。岩盤に貼られたスローガンには「前線により多くの武器を送ろう!」とある。著者の名前を見て、ぴんときた。私には見覚えのある作家だった。金日成主席の事績をたたえる「不滅の歴史」シリーズで、長編の「命脈」を書いている。主人公は池(チ)ウンモ。日本の植民地時代、東京帝国大学を卒業し、平壌の陸軍兵器工場で銃の設計技師をしていた。解放後まもなく金主席が荒廃した工場を訪ね、池ウンモにソ連の援助に頼らず、自前の銃を持つ必要を説く。

「祖国を守り、人民を保護する銃を造ってほしい」

もう兵器造りはごめんだと思っていた池ウンモは次第に考えを変え、ついに国産第1号となる機関短銃を設計する。さらに朝鮮戦争が勃発するや、ひそかに山奥に移された地下工場で銃製造の責任技師として従事し続けるが、激化する戦火の中で倒れる。その地下工場の所在地が「君子里」であった。

作者のタク・スクボンこそ、恐らく現在、北朝鮮当局が最も重用しようとしている作家だと筆者はにらんでいる。それはなぜか?

軍需工場跡視察後に水爆実験を強行

作家の生い立ちを「命脈」の編集後記が詳しく紹介している。それによれば、タク・スクボンは1942年、中国黒竜江省生まれ。一貫して軍需工業、それも自力での国防力強化をテーマにしてきた。祖父は1919年の「3・1独立運動」に参加して指名手配を受けたことで故郷を離れ、北満州に逃れる。48年に祖国に戻り、60年に平壌第4高級中学校を卒業、朝鮮人民軍に入隊し、砲兵として服務する。前線での誇らしい軍隊生活は、作家に祖国に対する熱烈な愛、真の愛国主義を育ませた貴重な日々であり、希望を花咲かせる貴重な体験の瞬間ばかりだった、と記している。

作家としては、68年に第一作「看護長」を発表後、文学修行にいそしむ。念願だったことから、除隊後は軍需工業部門で働きだすが、創作のペンを離さなかった。仕事は誠実で粘り強く、党の厚い信任によって、労働者からある出版報道機関の記者、部長に任命される。仕事をしながらも文学作品の執筆を続け、首領形象(最高指導者をモデルとした)短編小説「幸福」をはじめ、数十編の短編小説を書き、2003年には短編小説「未来」を出版。それだけでなく、白頭山3大偉人(金日成、金正日、金正淑)の偉大性宣伝図書も幾つか執筆、編集し、出版した。

注目すべきは「党の厚い信任によって、労働者からある出版報道機関の記者、部長に任命され」たというくだりである。「党」とは金正日総書記を指すと思われる。あえて報道機関名を伏せているのは、恐らく「朝鮮人民軍新聞」など軍関係の公にできないメディアの可能性が高い。軍事機密にも触れられる特別待遇の記者だったとすれば、作家としてもさまざまな情報に接しながら作品を書くことが許されているはずだ。つまり、北朝鮮の最高機密情報を持つ作家と言っていいだろう。



「命脈」が出版されたのは、金正恩時代になってまだまもない13年である。金正恩朝鮮労働党委員長がこの小説を強く意識していることは、彼が15年12月9日に突如、かつて機関短銃を生産した軍需工場跡である平壌の平川革命事績地に足を運び、初の水爆実験をにおわせたからである。

「首領さまがここで鳴らした歴史の銃声があったので今日、わが祖国は国の自主権と民族の尊厳をしっかり守る自衛の核弾、水素弾の巨大な爆音をとどろかせることのできる強大な核保有国になることができた」

そして、この示唆からすぐ、年明け早々に水爆実験を強行したのである。

お抱え作家グループの存在


さて、「不滅の歴史」など最高指導者の業績をたたえる小説を書き続ける金王朝お抱え作家グループ「4・15文学創作団」が、今年創立50周年を迎えた。67年6月に創立された作家集団だが、その直前の5月、秘密裏に開かれた朝鮮労働党中央委員会第4期第15次全員会議で「唯一思想体系」が打ち出されたことと関わっている。金日成を唯一の首領として仰ぎ、その指示に無条件で従うことを決めたのだ。社会主義国が中世の王朝のごとき独裁体制へ転換していく分岐点となったこの会議を影で主導したのが、20代の金正日だったとされる。いかに偉大な指導者であるか、その業績を人民に伝えるため、知られざるエピソードを満載した小説を生みだす「基地」として創作団は結成されたのである。

創作団は金主席が還暦を迎えた72年に抗日革命を扱った長編「1932年」を「不滅の歴史」シリーズの第1弾として刊行、これまでに43作品を出している。また金正日の事績を扱ったシリーズ「不滅の嚮導」が32作品、さらに金主席の夫人・金正淑の事績を扱ったシリーズ「忠誠の一路で」も10作品ある。いずれも力量ある作家の手による長編で、完成までにたっぷり時間をかけているという。

ベールに包まれた創作団の拠点は平壌郊外にある。外部の人間はなかなか近づけない。2万平方メートルもの敷地で、広い庭園に薄緑色の2階建ての棟が三つ並び、中庭もある。執筆や読書のための創作室は30あり、外国文学もそろった資料室、娯楽室、食堂も完備されている。専属医師も配置されている。金総書記は外国の図書はいくら高くても買いそろえてよいとのお墨付きも与えたという。

その創作団が誕生して半世紀、朝鮮作家同盟機関誌「朝鮮文学」6月号に所属作家5人による座談会が掲載された。タイトルは「太陽の歴史をあやなし50年」。作家らは口々に恩人としての金総書記の思い出を語る。ある作家はこう言う。「作家は座って執筆する時間が多いので、運動不足による疾病が起こります。将軍さまは運動機材を送ってくださり、必要に応じ、外国の休養所で休めるようにまでしてくださいました。人民たちが将軍さまの健康を願ってささげた珍しい補薬や薬剤を、わが創作団の平凡な作家に送ってくださりもしました」

座談会で作家らは、金総書記が小説の初稿からすべて目を通していたという驚くべき事実も明かしている。800ページにもおよぶ長編の「1932年」は、わざわざ遠くの現地指導先から電話で事細かく指示したとも述べている。そして締めくくり、ある作家が力を込めるのである。「敬愛する最高司令官、金正恩同志の先軍革命領導の名作を滝のように出版して持ち上げていかねばならない。その第1騎手になるためもっと奮発しよう」「不世出の先軍霊将である全国千万軍民の慈悲深い父、敬愛する金正恩同志の偉人的風貌を文学作品として深く形象しなければならない栄誉ある、かつ重い課業がわれらの前に立っています」。つまり金正恩の業績を立派な小説にすべきだ、という結論なのである。

実際、平壌では金委員長が登場する小説の出版が相次いでいる。例えば「不滅の嚮導」シリーズでは、ペク・ナムリョンの新刊「野戦列車」がそうである。金総書記の最晩年を金委員長との会話をふんだんに盛り込み、描いている。だが、こうした小説はあくまで主人公が父の金総書記である。金委員長を主人公にした小説も幾つかあるが、いずれも短編で、波瀾(はらん)万丈のストーリー展開も無ければ、手に汗握るスペクタクル感も乏しいのが実情だ。



金正恩小説の登場を予言

ところが、である。くだんのタク・スクボンが最新刊の「君子里の乙女」の編集後記でこう明言しているのだ。

<......私の余生はどれほど残っているでしょう。でも、私は楽観的です。いや、焦っています。私には作家としてする仕事より、やるべき仕事が多いのです。...現在、執筆中の敬愛する元帥さまの不滅の革命活動を描く長編小説に作家の個性をにじませつつ、読者に会いたいと思います>

そう、ずばり、近く初の本格的な「金正恩小説」が誕生するとの予告である。その小説のテーマが、金委員長がこれまで主導してきた水爆や大陸間弾道ミサイル(ICBM)などの実験であることは想像に難くない。それを金王朝三代にわたる偉業の「完成」として描こうとしているのではないか。タイトルは祖父・金主席の事績をたたえた最初の小説にちなんで「2017年」だろうか。そして、対米決戦で「勝利」したとつづられるのではないか。

核・ミサイル開発を急ぐ背景には、金正恩の権威を一気に確立したいとの思惑があることは間違いない。それを国内向けのプロパガンダに最大限利用したいはずである。その一つが完成間近のタク・スクボンの長編小説になる気がする。一触即発のように見える米朝対決だが、考えてみれば、戦争にまで突入してしまっては小説どころではない。何気なく編集後記にしたためられた言葉が、金委員長の本音を表しているようでならない。(文中一部敬称略)

平壌(ピョンヤン)、君子里(クンジャリ)、金日成(キム・イルソン)、白頭(ペクトゥ)、金正日(キム・ ジョンイル)、金正淑(キム・ジョンスク)、金正恩(キム・ジョンウン)、平川(ピョンチョン)


[執筆者]
鈴木琢磨(すずき・たくま)
毎日新聞社部長委員
1959年大津市生まれ。大阪外国語大学朝鮮語学科卒、82年毎日新聞社入社。「サンデー毎日」時代から北朝鮮ウオッチを続け、現在、毎日新聞社部長委員。著書に『金正日と高英姫』『テポドンを抱いた金正日』、佐藤優氏との共著に『情報力』などがある。

※当記事は時事通信社発行の電子書籍「e-World Premium」からの転載記事です。




鈴木琢磨(毎日新聞社部長委員)※時事通信社発行の電子書籍「e-World Premium」より転載

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