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味覚の95%は鼻で感じる──味覚を育てる「ピュイゼ理論」とは何か

ニューズウィーク日本版 2017年10月19日 16時33分

<食育の大切さが叫ばれて久しいが、味覚については無理解がまだまだ多い。味覚のうち味は5%だけ、味の種類は4つでも5つでもない、好き嫌いは遺伝じゃない......。味覚の権威ジャック・ピュイゼ博士の新著には、味覚の多様性、養い方、驚くべき側面が記されている>

「味覚障害」になる人が増えているという。小学校低学年の30%が、なんらかの味を認識できなかったという調査もあり、患者数は20万人以上に上るとする医師もいるそうだ。

生きるための基礎的な力を子供たちに養わせるという目的で、「食育」の大切さが叫ばれて久しい。2005年には食育基本法が制定され、国を挙げての取り組みとなった。だが、子供たちの味覚を養う教育となると、これまで日本ではほとんど行われてこなかった。

40年以上にわたって「味覚教育」を行っているのが、美食大国フランスだ。味覚の権威として世界的に知られるジャック・ピュイゼ博士が、子供の味覚を育てる理論を開発。それをもとにした「味覚を目覚めさせる授業」は、フランス全土の小学校で十数万人が参加しているという。

ピュイゼ博士の著書『子どもの味覚を育てる――親子で学ぶ「ピュイゼ理論」』(石井克枝・田尻泉監修、鳥取絹子訳、CCCメディアハウス)を読むと、人の味覚の多様性とともに、それを子供たちに教えるとはどういうことなのか、その意外な側面が見えてくる。

味覚の95%は「鼻」で感じている

色覚や視力、聴覚は通常の健康診断でも調べられるが、味覚や嗅覚が検査されることは、まずない。味覚とは一体どういうものなのだろうか?

専門家の間ではいまだに論争があるそうだが、味覚が「『多数の感覚』が混ざり合ったもの」だということは、はっきりしているのだという。なかでも嗅覚とは密接につながっていて、ある神経生理学者は、味覚とは「95%が嗅覚」で、残りの5%が味だとしている。それほどに、味覚に関する情報の大半は鼻から脳に入っているということだ。

確かに、風邪を引いて鼻がつまっているときには、何を食べても味を感じない。だが実は、味を感じないのではなく、嗅覚がない状態では「味でしか」感知していないのだ。人は食べ物を口にしたとき、まず鼻で匂いを、それから舌で味を感知する。それらの情報は複雑に混ざり合っていて、その感覚を専門家は「風味」と呼ぶそうだ。

実際には、嗅覚以外にも、温度による感覚や視覚、聴覚も、味覚に関わっている。熱いか冷たいか、どんな見た目なのか、そして食べるときの音といった情報だ。さらに、ツルツルしているかザラザラしているか、あるいはボリューム感や形といった立体感覚も、味覚に影響を与えているという。まさに「五感で味わう」ものが、味覚の正体なのだ。

そして味覚障害とは、「味を誤って感知したり、弱く感じたりすること」を指し、薬の服用や病気、事故などと結びついている可能性がある。最近日本で多く取り上げられているように、亜鉛不足による味覚障害も増えている。



味の種類は4つでも5つでもない

味覚の大半が嗅覚によるものだとすると、そもそも「味」とは何なのか? ピュイゼ博士は「味とは味覚そのもので、そこが触覚や温度など、他の感覚と違うところ」だと述べている。つまり、人が感じたものが味、ということだ。

一般的に、味は4つの基本味に分けて考えられる。塩味(鹹味)、甘味、苦味、酸味だ。ただ、この分類法に異議を唱える科学者は多く、これでは日本の「旨味」がどこにも属さないことになると、ピュイゼ博士も本書の中で指摘している(日本では通常、旨味を含めた5つが基本味とされる)。

いずれにせよ、味というのは、それぞれが単体で存在しているというよりも、虹のように無限に変化する「連続体」なのだという。甘味から苦味までの4つ(5つ)の味の間には、あらゆる違った味が存在するということだ。

実際、私たちは「塩味がきつすぎる」「甘すぎる」といった表現をする。それは、いずれかの味の「濃さ」を感じているからだ。その感じ方(感知する濃度)は人によって大きく違っていて、マラリアの特効薬として知られるキニーネの苦味を感じる差は500倍にもなる。

また、味覚障害と分けて考えなければいけないものとして「味盲(みもう)」がある。色覚異常のように特定の味を認識できないことで、アセスルファムという合成甘味料を「苦い」と思う人も20%いるという。反対に、酸味に敏感な人や苦味に敏感な人など「味覚過敏」の人もいる。

人の感覚器官はそれぞれ違っていて、舌に何百とある受容体も誰ひとりとして同じではなく、同タイプの受容体の数も異なっているそうだ。つまり、人は生まれつき同じ味覚を持ってはおらず、味の感じ方(つまりは味そのもの)も人によって違っているのだ。

生まれつきの「好き嫌い」はない

このように味を感じる能力には大きな違いがあり、さらには年齢や健康状態によっても変わってくる。しかし、そこに優劣があるわけではなく、あくまで自分が何をどう感じるかを認識できることが重要だと、ピュイゼ博士は言う。だからこそ、子供たちへの味覚の教育が重要になってくるのだと。

一方で、自分の食べ物の好き嫌いは遺伝だと思っている人もいるかもしれない。だが、たとえ家族と同じ好き嫌いがあったとしても、本当に遺伝によるものなのか、絶対的な証拠はないという。

食べ物の好き嫌いには、育った環境や、母親がそれを嫌いで子供にも食べさせなかったなど、さまざまな要因が考えられる。子供の頃に無理やり食べさせられた、といった過去の嫌な経験のせいで食べられなくなる人もいる。また面白いことに、赤ちゃんは親の表情にも影響を受けるらしい。

例えば、親(または世話をする人)が赤ちゃんにほうれん草を食べさせるとき、自分がほうれん草好きであれば、「これはおいしいものだよ」という表情をして赤ちゃんに差し出す。すると赤ちゃんは、その表情を読み取って、ほうれん草=おいしいものと思う。

だが、もしほうれん草が嫌いな人であれば、赤ちゃんはそこに「おいしいもの」という表情を読み取れないため、ほうれん草が嫌いになってしまうというのだ。こうした好き嫌いは「生まれつき」ではないし、決して「遺伝」でもない。



味覚の教育とは「言葉」を育てること

ある年齢になると、それまでは普通に食べていたものを急に嫌がるようになる子供がいる。それは味覚が変化したからというより、子供の成長過程における「拒否」だという。体にいいからと無理に食べさせられることへの拒否だったり、あるいは、新しいものに対する拒否であったり。子供の「嫌い」は自己主張の1つなのだ。

実は、味覚(味)というもの自体が、人それぞれの主張であり、表現だと言うことができる。ピュイゼ博士曰く、「『味覚』そのものが存在するのではない」。全ては人が食べ物や飲み物を口にして味わい、あらゆる感覚を通して感じたものを脳に伝え、その情報を表現した「言葉」なのだ。

だから、子供たちに味覚の教育をするということは、自分が感じたものをどう表現するかを教えることでもある。ピュイゼ博士の「味覚を目覚めさせる授業」を受けていない子供は、匂いを表現する語彙があやふやだったのに対し、授業を受けた子供は的確な表現をするようになったという(覚えているだろうか。味覚の大半は嗅覚なのだ)。

ピュイゼ博士は、子供たちが味覚を自由に楽しめるよう、あらゆるチャンスを与えてほしいと述べている。栄養面ですぐれた食事じゃないとダメとか、昔ながらの食事がいいということではなく、菓子パンとジュースだけでは、得られる感覚の範囲が狭すぎて「味覚を開花」させられないからだ。

私は個人的には、コカコーラやケチャップ、キャンプ用の簡易食品を食べる子どもを見てもあまり憤りを感じません。私の願いは、そういう子どもたちがそういう食品しか知らないのを避けたいだけです。子どもの味覚が開花するのを助けるのは私たち、(中略)もし子どもが「偏った味覚の持ち主」になるなら、それは特別の場合をのぞき、私たちのやり方に問題があったということです。(11ページより)

なお本書は、ピュイゼ博士の理論に基づく味覚教育を、日本の一般家庭でも実践できるテキストになっている。その理論をベースに、日本ならではの食文化や風土を大切にした味覚教育を行うため、ピュイゼ博士の許可の下、日本人監修者によってメニューが改訂された。食材や料理は日本向けのものになり、都道府県別の食の特性を考えるページも追加されている。

人の味覚は小学生のうちに決まるらしい。だとすると、今の自分の好き嫌いはどこに要因があるのか、ひょっとしたら味以外の感覚が原因でアプローチを変えれば食べられるようになるのか......。子供に教えるだけでなく、自分の味覚を見直すきっかけにもなりそうだ。


『子どもの味覚を育てる
 ――親子で学ぶ「ピュイゼ理論」』
 ジャック・ピュイゼ 著
 石井克枝・田尻泉 監修
 鳥取絹子 訳
 CCCメディアハウス



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ニューズウィーク日本版ウェブ編集部

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