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北極圏の生態系を壊す原油採掘再開の悪夢

ニューズウィーク日本版 2017年10月25日 17時30分

<トランプ政権による危険な「見切り発車」は、原油流出事故の大惨事につながりかねない>

10年春にメキシコ湾の石油掘削基地ディープウオーター・ホライズンで発生した大規模な原油流出事故。もしもあんな事故が再び起きたらと、想像するだけで恐ろしい。

シナリオは同じだ。大量の原油が来る日も来る日も海に流出し、行方不明者の生存は絶望的。大量の化学分散剤が使用され、海面下で続く流出を封じ込めようと必死の試みが続く――。

ただし場所は4月のメキシコ湾ではない。12月のアラスカ北方のボーフォート海だ。

昼間でも暗く、気温が氷点下17度を超えることはまれで、ハリケーン並みの風が吹くことも珍しくない。救援に駆け付ける技師と必要なリソースがそろった街からは遠く離れている。最も近い沿岸警備隊との距離は1600キロ。しかも海上の一部は氷に閉ざされている。

私は89年に米アラスカ州プリンス・ウィリアムズ湾で原油タンカーのエクソン・バルディーズ号が原油流出事故を起こした際、環境回復計画の実施を指揮した。ディープウオーター・ホライズンの事故の際も、バラク・オバマ大統領が設置した諮問委員会の委員を務めた。

そうした貴重な体験を基に、北極圏での「悪夢のシナリオ」をまざまざと思い描くことができる。しかも、そのシナリオはここ数カ月、人々の想像以上に現実味を帯びつつある。

ドナルド・トランプ大統領は4月、前オバマ政権が北極圏の米海域での石油採掘に課した規制を覆す大統領令に署名した。7月には伊石油大手ENIに、北極圏での初の試験掘削開始を許可。同社は12月からボーフォート海で試掘を開始する予定だ。

掘削深度はディープウオーター・ホライズンには及ばないが、大事故が起きる可能性は変わらずにある。実際、北極圏の厳しい環境は、流出した原油の除去を難しくするし、そもそも流出事故が起きやすい要因となる。

流出を止める方法はない

北極圏のような環境で原油流出事故に対応するための知識と専門技術と対応能力を、人類はまだ持ち合わせていない。その証拠に、エクソン・バルディーズ号の事故から四半世紀以上が過ぎた今も、氷から石油を除去する手だては分かっていない。

ボーフォート海に関するわれわれの知識は乏しく、原油流出と分散剤が北極圏の壊れやすい生態系に及ぼす影響もほとんど理解できていない。さらに言えば、いったん流出が始まったら最後、止めるのは至難の業だということも。いざというとき厚い氷を砕いて事故現場にたどり着くには、米政府が所有する砕氷船で唯一まともに使える1隻がよそで使用中でないことを祈るしかない。



北極圏の環境が突き付ける難題の数々を、石油会社は果たして理解しているのか。例えばメキシコ湾での流出事故発生後のBPの対応計画では、事故の影響を受ける恐れのある野生動物にアシカ、ラッコ、セイウチが含まれていた。どれもメキシコ湾にはいない動物ばかりだ。

英・オランダ系石油大手ロイヤル・ダッチ・シェルは15年まで断続的に北極圏で油田探査を行っていたが、その間、掘削リグの火災や掘削リグの座礁事故など大惨事につながりかねない事故を立て続けに起こしている。

私は自然保護活動家だが、現実主義者でもある。地球温暖化の影響で北極の氷の融解が進み、35兆ドル規模の原油・天然ガス資源の宝庫が姿を現している。資源開発の誘惑も抗し難いものになるだろう――子供たちが受け継ぐ地球にどんな影響を及ぼすことになろうとも、だ。

実際的なルールの確立を

しかし最低限、北極圏での採掘を望む企業に対して良識的な規制を設けることはできる。採掘を許可する条件として次の3つを義務付けるのだ。その環境特有のあらゆるリスクを完全に評価したことを提示すること。除去作業が必要になった場合は全面的な最終責任を負うと約束すること(必要なリソースがあることも示す)。そして北極圏で速やかに(数週間や数カ月ではなく数日単位で)効果を上げられる対応・封じ込め能力があると証明することだ。

北極の生態系の調査に大規模な資金を投じる必要もある。管理し保護するためには、まず理解しなければならない。悲しいことに、私たちは北極海の海底よりも火星の表面についてのほうが詳しいくらいだ。それでも、特に影響を受けやすい海域に指定保護区を設けて生態系の回復力を高めることはできる。

アメリカは北極での掘削権を手に入れるべきだ。北極圏で活動しているのはアメリカだけではない。中国とロシアも北極の原油採掘に向けて動いている。安全でない慣行が普及しないうちに、今すぐ最良のやり方を確立しなければならない。

エクソン・バルディーズ号の原油流出事故から30年近くが過ぎた今も、プリンス・ウィリアム湾沿岸の一部では砂浜を少し掘れば流出した原油が現れる。北極圏での人間の活動の影響が何世代も尾を引くことをまざまざと見せつける。

人類の活動によって北極を覆う無垢で真っ白な氷が解け、代わりに有害で真っ黒な原油が広がっていく――そんな光景が脳裏に浮かんで離れない。シンプルで実際的なルールを設けよう。悪夢が現実になるのを断固阻止するために。

(筆者はメキシコ湾原油流出事故の原因究明・提言に携わった流出事故対応のエキスパート)


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[2017.9.26号掲載]
テリー・ガルシア(米エクスプロレーション・ベンチャーズCEO)

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