Infoseek 楽天

ボブ・ディランの「黒歴史」に新たな光を

ニューズウィーク日本版 2017年11月7日 16時50分

<ファンを幻滅させたキリスト教3部作のボックスセットが登場。ライブバージョンで伝わる圧倒的な歌声と演奏の魅力>

裏切られたファンの怒りほど怖いものはない。

79年、ボブ・ディランはアルバム『スロー・トレイン・カミング』を発表した。キリスト教福音派への改宗を反映した宗教色たっぷりの本作に、彼を愛してきたファンは幻滅どころか欺かれた気分にさえなった。

あれほど懐疑主義的で、飽くなき探求心と独自の思考を持つ男が、なぜ既成の宗教を信じられるのか。ディラン流の陰影に富む物の見方と、厳格な信仰がどうかみ合うのか――。

ディランが突然の変身を遂げたのは、もちろんそれが初めてではない。65年にはアコースティックからエレキに転換してブーイングを浴びたものの、反発は長続きしなかった。5年後、今度はカバー曲中心の生ぬるいアルバム『セルフ・ポートレイト』を酷評されたが、そのわずか4カ月後に内省に満ちた傑作『新しい夜明け』を発表して汚名を返上してみせた。

だが、79~81年のキリスト教3部作(『スロー・トレイン・カミング』と『セイヴド』『ショット・オブ・ラブ』)への反感は長く尾を引いた。当時10代だった筆者の場合、再びディランを聴く気になったのは89年に『オー・マーシー』が出たとき。その後のディランが素晴らしい音楽と演奏を披露し続けたことを考えれば、あの忌まわしい「ゴスペル時代」をわざわざ振り返る必要はないはずだ。

それにあえて挑戦したのが、ボックスセット『トラブル・ノー・モア 1979-1981』(日本版は11月8日発売、2枚組のスタンダード版もあり)。CD8枚とDVD1枚の9枚組で当時の曲を聴き直した筆者は悔い改める気になった。信仰薄き、愚かなる私よ! ここに収められているパフォーマンスは、まさに「啓示」だ。

お断りしておこう。『トラブル』に収録されているのは、オリジナル・アルバム版ではない(個人的には、アルバム版は今も自意識過剰で説教くさく聞こえる)。79~81年のライブで演奏されたバージョンで、その響きは格段にダイナミックだ。

スタジオ収録のオリジナルと大きく異なるのは当然だろう。当時のディランは自らのメッセージを直接聴衆に伝え、その体験から刺激を受けていた。彼の歌声がこれほど熱を帯びたことも、バックバンドがこれほど緊張感のある鋭い演奏で応えたこともめったにない。それはロックの情熱を注入した全く新しいゴスペルだ。

それでもライブの途中で帰ってしまうファンもいた。大きな理由はディランが3部作以前の曲、なかでもヒット曲を演奏しなかったからだ。だが80年の後半に入ってディランは幾分妥協するようになり、過去の名曲も披露し始めた。『トラブル』で聴ける「北国の少女」は新鮮味にあふれている。

この頃のディランは、ライブごとに歌詞やアレンジを変えて常に曲を生まれ変わらせようとしていた。その証拠にボックスセットには、「スロー・トレイン」の6つの異なるバージョンが収録されている。



「理解不能」と認めること

ディランがキリスト教徒的使命に駆り立てられた時期は、彼が最も創造的だった時期の1つでもあった。『トラブル』収録曲のうち14曲は未発表のもの。「エイント・ノー・マン・ライチャス、ノー・ナット・ワン」のような曲をなぜ発表しなかったのかと不思議だが、深みのあるこの曲をスタジオで再現するのは不可能だったのかもしれない。

ディランとは、理解し難い存在だ――私たちはそう認めるべきだったのだろう。「追憶のハイウェイ61」「天国への扉」など、それまでの曲にも宗教的な要素は顔をのぞかせていた。アーティストがラブソングを発表するとき、ファンはその愛情が間違っているとは考えない。

ならば、当時のディランの情熱の対象に(筆者を含めた)ファンが異を唱えたのは誤りではなかったか?

ゴスペル3部作で表現された信仰は、78年にディランが体験した出来事に基づいていた。だが数年後、またも理解し難いことにディランのキリスト教への熱狂は冷めた。「宗教性は音楽そのものに宿ると思う。私が信じるのは歌だ」。彼は97年に本誌にそう語った。

『トラブル』を聴けば、私たちも歌の力を信じられる。


【お知らせ】ニューズウィーク日本版メルマガリニューアル! ご登録(無料)はこちらから=>>

[2017.11. 7号掲載]
ジム・ファーバー(音楽評論家)

この記事の関連ニュース