Infoseek 楽天

北朝鮮経済の「心臓」を病んだ金正恩─電力不足で節約に必死か

ニューズウィーク日本版 2017年11月8日 11時0分

このところ弾道ミサイル発射などの軍事挑発をせず、沈黙を続ける北朝鮮だが、気になるニュースがあった。9月23日に米空軍のB1B戦略爆撃機とF15戦闘機が北朝鮮東方の国際空域を飛行した際、朝鮮人民軍の早期警戒レーダーが稼働していなかった可能性があるというのだ。韓国の国家情報院も朝鮮人民軍がスクランブルなどの対抗措置を取らなかった、と国会に報告している。筆者が注目したのは、その原因の一つが深刻な電力不足にあるのでは、との指摘である。

内部向けに危機感にじます演説

北朝鮮の電力が慢性的に逼迫(ひっぱく)しているのは何も新しい情報ではない。かつて米航空宇宙局(NASA)が公開した1枚の衛星写真に驚いたことがあった。夜の朝鮮半島、韓国が明るいのとは対照的に北朝鮮は真っ暗、わずかに平壌だけが光っていた。ご覧になった方も多いだろう。

この写真にうそは無いが、改善の兆しが無いわけではない。地方は今も停電しがちで、列車もよく止まるものの、平壌辺りの電力事情はかなり良くなっている。ホテルでも停電はまれで、金正恩朝鮮労働党委員長肝煎りのニュータウンである黎明通りなどの光輝く夜景は、胸を張って外国メディアに宣伝している。

だが、それはあくまで一部なのだろう。軍事上、極めて重要な「目」であり「耳」であるレーダーすら常時、稼働できていないとなると事態はかなり重大である。24時間体制で監視するレーダーはかなりの電力を消費するらしいが、優先されているはずの軍事部門での電力不足はそれこそ国家の危機に違いない。

そうした北朝鮮の電力状況がいかに深刻であるか、金正恩が幹部らに語った秘密演説文を入手した。

<電力問題は、経済強国建設で真っ先に解決しなければならない最も重要かつ切迫した問題です>

そう金正恩が単刀直入に語りだす演説は、朝鮮労働党出版社が刊行した緑色の表紙の冊子に19ページにわたって記されていた。タイトルは「電力問題を解決し、経済強国建設の突撃路を開こう」。演説は今年5月3日、党と国家経済機関の責任幹部に対して行ったとある。冊子は5月25日に発行されたが、党機関紙の労働新聞などのメディアでは一切報じておらず、内部学習用に作成されたのだろう。あまりにも率直に語ったためではないかとみられる。

自慢のニュータウンの夜景などを持ち出すこともなく、内部向けの演説では金正恩はありのままに語る。

<電力事情が切迫して生産に大きな支障をもたらし、人民の生活に不便を来しています。電力は生産であり、電力の増産は即、生産の成長といえるのです>

その経済建設の要であるはずの電力がどんな危機的状況なのかをこう語る。

<火力発電所と水力発電所で電力生産を増やせないでいる主たる原因は、石炭と水の不足にあります。内閣と石炭工業部門、鉄道運輸部門では火力発電用石炭の保障を、最優先的に力を入れ、石炭の予備を1週間分以上とすべきだとの偉大な将軍さま(金正日総書記)の遺訓を貫徹しなければなりません>

<当面の電力需要を保障するといって、補修の周期を守らず、発電設備を酷使させているが、これは科学技術を無視した先のことを考えない近視眼的な態度で、国の電力事情をより切迫させる行為です>



軍事を最優先にと指示

明らかにいらだっている。それは演説の1年前、2016年5月に36年ぶりに開いた朝鮮労働党大会で、金正恩は「国家経済発展5カ年戦略」を提示し、電力問題解決へ力を注ぐよう訴えたが、状況は一向に改善しないままだからとみられる。電力の有効活用のため、国家統合電力管理体系も導入したことも明かし、こう述べる。

<平均主義をやってはいけない。電力が足りない条件で、当分の間は国家的に重視すべき単位に、電気を優先して送る規律を打ち立てなければなりません>

つまり軍事など優先順の高いところへまずは電力を供給せよというわけだが、そうした方針があったにもかかわらず、電力不足でレーダーが機能不全に陥っていたとするならば、怒りは相当なものになるだろう。

演説で金正恩はこうも言っている。

<貴重な電力を浪費するのは重大な犯罪行為です。電力使用の限度超過、不法な電気使用に対しては誰であれ、どの単位であれ、財政的、法的制裁を加えなければなりません>

そして幹部らを叱責する。

<座して心配するだけの憂国の志士ではなく、問題を一つでも解決する実践家型の幹部が必要なのです>

さらに幹部が先頭に立って「節約闘争」を繰り広げろ、とハッパを掛ける。

<「ちりも積もれば山となる」というが、幹部らが夜、事務室で仕事をする時、室内灯の代わりに卓上灯を利用すれば、少なくない電気が節約できる。住宅や機関庁舎の廊下の照明に自動感知器を設置するなど節約の方法を開発し、導入しなければなりません>

最高指導者の言葉にしては、いささか指示が細か過ぎる気もするが、それだけ事態は切迫しているのだろう。また、これからは多くの電力を消費するタイプの建築物の設計は承認しないとし、平壌の黎明通りは省エネ型建築のモデルケースだから全国に広めよ、と命じてもいる。

発電所の建設促す

さて、そもそもなぜ5月3日に金正恩は演説したのか? 当日の動静は不明だが、演説の翌日、平壌から遠い黄海に浮かぶ茂島の防御隊を視察している。2010年に韓国・延坪島を砲撃した精鋭部隊だ。ここで金正恩は事件をこう振り返ったという。「(朝鮮戦争の)停戦以後の最も痛快な戦いだった」

韓国への抜きがたい対抗心、いや、敵がい心がにじむ言葉である。先に紹介した夜の朝鮮半島の衛星写真、これが頭にあるのではないか。スイスに留学した彼は、夜なお明るいヨーロッパの生活を体験している。行ってはなくともソウルも知っているだろう。

5月のこの演説の頃、私はソウルで最終盤の韓国大統領選を取材していた。ソウルも眠ることを知らず、屋台はどこも政治談議の花盛り。市民の「ろうそく集会」で朴槿恵大統領を青瓦台(大統領府)から追い出した高揚感が続いていた。対北朝鮮融和派の文在寅大統領誕生が有力視され、平壌のメディアも連日報じていたが、労働新聞に掲載された写真は集会参加者のアップばかり、たまに遠景写真があっても街並みはぼかされた。明るい夜のソウルを見せたくなかったのではないか。



演説でもきな臭い発言をしている。中小発電所を至るところに建設せよ、と奨励し、こう言うのだ。

<電力生産地と消費地を接近させれば、電力の途中損失を減らすことができるし、戦争の観点から見ても有利な点が多いのです>

「戦争の観点」とは、たとえ空爆などで1カ所の発電所が破壊されても別の発電所で対応できるよう、できるだけ数多くの発電所を確保しておけということだろう。

さらに演説では、太陽光や風力発電など自然エネルギーをもっと活用すべきだとの考えを示しながら、主体的な「核動力工業」を創設し、自らの力と技術による能力の大きな原子力発電所の早期建設を促しているのだ。

<安全性を徹底して担保できるよう建設しなければなりません>

金正恩はそうくぎを刺しているものの、遠くない将来、大規模な原発が完成する可能性があり、核兵器に転用できるプルトニウムが大量に生産されることにもつながる。原発建設の動きが確認されれば、新たな懸念が加わることになりかねない。

金正恩は既存の発電所はおおむね老朽化していることをはっきり認め、こう語る。

<今、発電設備が全般的に老化し、設備補修をちゃんとできないが、電力生産者たちが難しい条件で働いています。彼らには障害と難関が小さくないが、党の構想と意図に従って、必ず経済強国建設の突撃路を開く情熱を抱き、電力増産戦闘に献身奮闘しています。人民経済の心臓である動力基地を守るため、誰が見ていようが見ていまいが、知られようが知られまいが、玉の汗を流している電力生産者は尊敬すべき国家の宝です。

われわれは党に対する確固とした信頼と未来に対する楽観を抱き、祖国と人民のために誠実に働いている電力工業部門の労働者、技術者たちをいたわり、大事にしなければなりません。電力生産者たちの食糧、副食、労働保護物資を十分に保障し、文化厚生施設もきちんと整え、特に彼らの健康によく配慮しなければなりません。電力生産者たちが誇りや栄誉の気持ちを持って働けるように党としても社会としても優遇し、彼らに良い生活条件をつくってやらなければなりません>

「次の世代は電力安定を」

現場の労働者へは優しい。演説はあくまで幹部を叱責しているのだ。だが、金正恩は最高指導者として思うに任せぬ現実の前で日々、焦燥感を募らせているかもしれない。演説はこう締めくくられている。

<わが世代が苦労したとしても、国家の電力工業を必ず立て直し、後世の代は電気での苦労を知らないようにすべきです>

まだ30代、まだ執権5年目の金正恩がもう「後世の代」に言及しているのはどうしたことか。筆者には意外である。核・ミサイルでの「対米決戦」発言との落差が激しすぎる。そういえば、金王朝の4代目が誕生したとの未確認情報がある。経済の「心臓」を病みつつ、なおも金正恩は長く険しい孤立の道を歩もうと決意しているのだろうか。


平壌(ピョンヤン)、金正恩(キム・ジョンウン)、黎明(リョミョン)、金正日(キム・ ジョンイル)、茂島(ムド)、延坪島(ヨンピョンド)、朴槿恵(パク・クネ)、文在寅(ムン・ジェイン)

[執筆者]
鈴木琢磨(すずき・たくま)
毎日新聞社部長委員
1959年大津市生まれ。大阪外国語大学朝鮮語学科卒、82年毎日新聞社入社。「サンデー毎日」時代から北朝鮮ウオッチを続け、現在、毎日新聞社部長委員。著書に『金正日と高英姫』『テポドンを抱いた金正日』、佐藤優氏との共著に『情報力』などがある。

※当記事は時事通信社発行の電子書籍「e-World Premium」からの転載記事です。




鈴木琢磨(毎日新聞社部長委員)※時事通信社発行の電子書籍「e-World Premium」より転載

この記事の関連ニュース