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既視感だらけの「政府閉鎖」ドタバタ劇 - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2018年1月23日 18時30分

<政府機関の一部の機能が停止する「政府閉鎖」は、過去に何度も政治的駆け引きの道具にされたため国民もすっかり慣れてしまった>

今週22日、連邦議会の上下両院は「向こう3週間有効な暫定予算案」を可決させました。これで約2日半に及んだ「政府閉鎖」は解除される見通しとなりました。何ともお騒がせな話ですが、「政府閉鎖」は90年代から数えると3度目となります。ある意味では政治的なショック療法とも言えるものですが、このように既視感が付いて回ると、ドタバタ劇にしか見えません。

この政府閉鎖は、予算が成立せず、また暫定予算も成立しないなどの状況下で、「歳出の根拠」が失われた場合に政府機関を閉鎖してしまうという措置のことを指します。と言っても、軍や病院など国民の生命財産に関わる機能については、閉鎖はしないことになっています。その一方で「不要不急」の部署は閉鎖対象となるわけで、国立公園であるとか国立の博物館などがその典型です。

昨年の秋から何度も政府閉鎖の「可能性がある」として、政治的な駆け引きの道具にされてきました。その時は、トランプ政権が掲げていた税制改正をめぐる議論が「もつれた」場合に可能性があると言われていたのですが、実際は「移民政策」をめぐる与野党協議が不調になる中で発生しました。

非常に簡略化して言えば、トランプ政権は野党の民主党に対して「メキシコ国境の壁建設に関する財源を認めよ」と迫り、「認めなければDACAを廃止、つまり幼くして不法に入国した移民の子供たちについて、猶予していた強制送還を実施する」という「取引」を持ちかけたのです。

その交渉は、途中で大統領が「ハイチやアフリカのようなs***hole(肥えだめ)から来る移民はお断り」などという、絶対に口にしてはならない種類の暴言を吐いたという騒動が持ち上がったりして迷走した挙句に「時間切れ」になって政府閉鎖に至ったわけです。

もっとも、トランプ政権としては「責任を民主党に押し付ける」つもりだったようで、交渉の前半からそんな気配はしていましたから、「敢えて政府閉鎖に持っていって、民主党の責任にしてしまう」という作戦を実行しただけという説もあります。

いずれにしても、「壁」を認めるなら「若者の強制送還も猶予してやろう」という、取引としては露骨と言いますか、血も涙もない一方で、知恵もなければ実利もない意味不明の「交渉」に持ち込まれたわけで、政局として見た場合の「ドタバタ感」は半端なものではないのです。



一方で、こうした「ドタバタ感」は既視感だらけということも言えます。例えば、2013年の政府閉鎖の場合、当時はオバマ政権下で共和党が下院の多数を占めていました。そんな中で、予算案に含まれる「オバマケア」つまり医療保険改革絡みの歳出にイチャモンをつけたことで、予算審議が暗礁に乗り上げたのです。

この時は、「さすがに政府閉鎖は回避されるだろう」という見方が主流だったのですが、後に大統領候補となるテッド・クルーズ上院議員が「長時間演説作戦」をやったりする中で時間切れとなって政府は閉鎖、結果的に16日間も続いたのでした。

さらにその前は、1995~96年にかけてで、この時は「均衡財政」を目指した共和党のニュート・ギングリッチ下院議長が、当時のビル・クリントン大統領(民主)を相手に激しい政争を繰り広げ、断続的に計27日間の「閉鎖」になっています。

この時の政争は、何とも激しい泥沼でしたが、13年も与野党のイデオロギー対決の争いの結果でしたし、今回の「閉鎖」にいたっては、移民の若者たちの人生設計を弄ぶかのような、おかしな政争になっています。

そんなわけで既視感では、この「政府閉鎖」には辟易させられるわけですが、同時に95~96年の時には衝撃的だった「閉鎖」に、アメリカ社会が慣れてしまっている、あるいは麻痺してしまっているのかもしれません。今回は、社会の受け止め方は平静そのものでした。

既視感ということでは、「政権の内幕暴露本」である『炎と怒り』が現在アメリカで大きな話題となっているなかで、テレビドラマ化、あるいは映画化の可能性が取りざたされています。

というのは、似たような話が96年にもあったからです。就任丸3年を迎えたビル・クリントン大統領に関して、92年の大統領選挙の「闇の部分も含めたなりふり構わぬ戦いぶり」を暴露した『プライマリー・カラーズ』という本が爆発的にヒットしたのです。衝撃的な内容と同時に、作者不詳という売り方も話題を呼んだのでした。(後に、タイム誌のコラムニスト、ジョー・クラインと判明)

今から思えば、クリントン夫妻について、反対派は「裏表のあるカップルだ」とか「権力のためには手段を選ばない」といった印象を抱いていますが、そうしたイメージを作った契機として、この本の影響は今でも残っています。この書籍は後に映画化(邦題は『パーフェクト・カップル』)されていますが、映画化にあたっては「毒のある」部分は完全に抜かれ、クリントン大統領は「スタントン大統領」という架空の人物にされて衝撃度はほとんどなくなり、映画として話題になることもありませんでした。

政府閉鎖にしても、暴露本の映像化にしても、このように既視感のある現象なので、衝撃的ではありません。アメリカの政局にはどうしようもない停滞感が漂っているのです。

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