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死んだ息子の精子で孫を......イスラエルで増える遺体からの精子採取

ニューズウィーク日本版 2018年3月16日 18時30分

<イスラエルでは家族の遺体から精子を採取して、子供をつくりたいと望む人が増えている>

わが子に先立たれた親の喪失感は計り知れない。「血筋」にこだわる伝統的な社会では、特にそう。イリットとアシャーのシャハール夫妻も、まだ息子の死を受け入れられない。今も壁に遺影を飾り、キッチンにはブロンズ像を置き、父アシャーは息子の顔を刻印したメダルを首に掛けている。

息子オムリが亡くなったのは6年前のこと。何の前触れもなくイスラエル軍の使者が同国中部の町クファルサバにある夫妻の家にやって来て、オムリ(海軍士官で当時25歳)が自動車事故で死亡したと告げた。

母イリットは泣き崩れた。そして使者に迫った。「息子の精子を、遺体から取り出して!」

使者は困ったような顔をして、「それには裁判所の許可が必要です」と答えた。すると元軍人のアシャーは、使者の目を見据えて言った。「では、ぐずぐずしておれんな」

アシャーは使者と一緒に車に飛び乗り、最寄りの裁判所に向かい、息子の精子採取の許可を申請した。判事は許可を出し、医師が直ちに精子を採取した。しかし「喜びはなかった」とアシャーは言う。息子を失った悲しみのほうが大きかった。

シャハール家だけではない。イスラエルには、戦場に赴く前に自分の精子を凍結保存する男がたくさんいる。息子や夫の死後に精子を採取して保存する遺族も増えている。全ては血筋を絶やさないためだ。

死因にもよるが、精子は死後48時間以内なら採取・保存が可能とされる。通常は、医師が外科的に精巣を切断して採取する。措置が早ければ早いほど良好な状態の精子が得られる。

遺体からの精子採取は今に始まったことではない。記録にある限り、初めて行われたのはアメリカで、1970年代のことだ。しかし80年代以降、ドイツやフランス、スウェーデンなどは倫理的な懸念から、たとえ死者が生前に同意していた場合でも遺体からの精子採取を禁じている(アメリカではまだ判例が確定していない。通常の臓器提供と同様に扱う例もあるが、法廷の判断は分かれている)。

配偶者以外の妊娠もOK?

倫理的な混乱を避けるために、イスラエルでは政府が03年に公的なガイドラインを発表した。もっぱら聖書を根拠にしたもので、子を産むことは神の認めた「善行」であり、神はノアとその息子たちに「産めよ、増えよ」と命じている(創世記)とした。ただし、体外受精の目的で遺体から精子を採取する権利を有するのは死者の配偶者だけと明記していた。

その後、イスラエルの法廷はこの制限を徐々に緩和してきた。



07年には、パレスチナ・ガザ地区での戦闘で死亡した兵士の両親が、死んだ息子の精子を出産希望の女性に提供して孫をつくることを認められた。この両親は何十人もの女性と面談した上で1人を選び、彼女に子供を産んでもらった。その子は今、出産した女性と一緒に暮らしている。

09年には、癌と診断された兵士が子孫を残したいと自分の精子を提供した。彼の家族はやはり代理母に出産を依頼、生まれた子供はその女性が育てている。

シャハール夫妻はドナーから卵子を購入し、代理母を雇って息子の精子で孫を産んでもらい、自分たちで育てたいと望んでいた。しかし政府は、生まれてくる子を「父親が死亡、母親は匿名」という環境に置くのは倫理に反するとし、故人の精子を出産に利用する権利は故人の配偶者のみに限定されると主張した。

16年9月27日、法廷はシャハール夫妻を支持する画期的な判決を下した。この時イリットは言ったものだ。「うちの家系の枝の1本は折れてしまった。でも新しい技術のおかげで折れた枝が新たに枝分かれしていく」

次世代を残すことの重み

ところが、安堵したのも束の間。17年には最高裁が下級審の判断を覆し、夫妻が息子の精子を使うことを禁じた。息子オムリのパートナーが、シャハール夫妻の主張を支持しつつも、自分がその精子で妊娠することを拒否していたからだ。03年のガイドラインを厳密に解釈した格好だ。

それでも、まだ終わりではない。イスラエル国会では超党派の議員たちが、死亡した兵士の両親が息子の精子を使えるようにする法改正を提案しているからだ。

どんな文化でも子孫を残すことは大事にされている。とりわけホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の悲劇をくぐり抜けて生まれたイスラエルでは、命を次の世代につないでいくことが一段と重い意味を持つ。そのためなら人工的な手段に頼ることもいとわない。

テルアビブで弁護士をしているイリット・ローゼンブルムによれば、16年にシャハール夫妻勝訴の判決が下った直後には、同じように代理母を使って孫を育てたいという相談が相次いだという。

イスラエルはOECD(経済協力開発機構)加盟の先進国中で最も出生率が高い国だ。40代の女性でも、体外受精による出産を望むなら国の補助金を得られる。全てはユダヤ人の血筋を絶やさぬため、国民には自分の遺伝子を次の世代に伝えていく権利があるという強い信念ゆえだ。

「養子縁組なんて、この国ではほとんどあり得ない」。匿名を条件にそう語ったのは、ある大手病院に勤務する婦人科の医師だ。「大事なのは自分の生物学的な系統を保つことだから」

実際、シャハール夫妻がオムリの精子を使うために訴訟を起こした時も、オムリ自身が子供を欲しがっていたかどうかを疑問視する声はどこからも上がらなかった。家庭裁判所も、特段の遺言がない限り、男は子を欲しがるものという前提で審理を進めている。ユダヤ人である限り、子孫を残すことは民族に課された使命なのだ。

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[2018.3. 6号掲載]
アサフ・ユニ

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