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金正恩が目指す核なき世界:南北宣言の「完全なる非核化」が意味するもの

ニューズウィーク日本版 2018年4月29日 23時15分



4月27日、韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩労働党委員長が板門店で会談し、「朝鮮半島の平和と繁栄、統一のための板門店宣言」に署名した。両首脳は軍事境界線を挟んで握手し、金委員長が韓国側に足を踏み入れた後、両者が手をつないだまま北朝鮮側に入るサプライズ演出もあり、会談は終始友好ムードで彩られた。一年前には朝鮮半島で戦争が起こるのではないかと言われていたことを考えれば、隔世の感がある。

今回の共同宣言では、南北宥和、朝鮮半島における平和体制、そして朝鮮半島の非核化が取り上げられている。宣言の中身は、これまでに南北で結ばれてきた合意内容を踏襲しており、離散家族の問題や経済協力、軍事的緊張の緩和などが盛り込まれている。平和体制に関しては、2018年末までに朝鮮戦争の終戦協定を平和協定にすると期限を切るなど、踏み込んだ点も見られる。

しかし、日米など国際社会にとって一番の懸念である非核化については、曖昧な表現となった。板門店宣言では、「完全な非核化」を通じて「核なき朝鮮半島」を実現することが南北共通の目標とされたが、その意味するところは示されなかった。また、北側が取っている主体的な措置が半島の非核化のために重要だとされたが、これは4月20日に金委員長が発表した核実験と大陸間弾道ミサイル(ICBM)の実験停止、核実験場の閉鎖、核不拡散・核軍縮への取り組みのことを指していると考えられる。しかし、これらの措置は核保有国であるという立場を前提にしており、金委員長の非核化の意思について疑念を払拭することはできない。

難航が予想される米朝首脳会談

国際社会は完全で検証可能かつ不可逆的な北朝鮮の非核化を求めているが、北朝鮮は在韓米軍の撤収や韓国への核の傘の提供をやめることを含む、朝鮮半島全体の非核化を主張してきた。数週間内にも行われる予定の米朝首脳会談で、非核化に関して具体的な話し合いが行われる見込みだが、国際社会と北朝鮮の間で非核化の定義がそもそも違うのだ。北朝鮮は2012年に憲法を改正して自らを核保有国と位置づけており、その立場を簡単に崩すとは考えにくい。

3月に金委員長が訪中し、習近平国家主席と会った時、朝鮮半島の非核化は祖父である金日成主席と父である金正日総書記の「遺訓」と発言した上で、韓国と米国が善意をもって応じ、「段階的、共同歩調の措置を取るならば」非核化の問題は解決できると非核化の条件を提示した。つまり、非核化と引き換えに制裁緩和や体制保証などの見返りを求めようというのだ。北朝鮮がこの姿勢を貫くなら、北朝鮮の無条件の非核化を求める米国のドナルド・トランプ大統領と金委員長の間の会談は難航が予想される。トランプ大統領は非核化がうまくいかないなら会談中でも席を立つと言っているが、そうなる可能性は高い。



しかし、金委員長が韓国を通じてトランプ大統領に直接会談を提案した時、非核化の問題で対話がうまくいかないことは想定済みだったはずだ。それでも米朝会談を持ちかけたのは何か妙案があってのことに違いない。北朝鮮の動きを見る限り、金委員長は劇的に韓国との関係を改善し、宥和ムードを高める中で日米が主導してきた圧力を緩和し、朝鮮半島における平和体制を構築する中で在韓米軍や米韓合同軍事演習の縮小を実現しようとしていると考えられる。

うまくやった金正恩

では、金委員長は非核化についてどう考えているのだろうか。そのカギは、2016年に北京で開かれた国際会議での北朝鮮の外交官の発言にある。この外交官は北朝鮮が考える非核化について、すでに保有している核能力は放棄しない、今後持つ能力については取引可能、核兵器を放棄するのはグローバル・ゼロが達成される時という発言をした。つまり、北朝鮮は開発中のICBMを放棄することで核保有国としての立場を国際社会に認めさせる一方、自らの非核化を核なき世界の実現という文脈に位置づけようとしているのだ。実際、北朝鮮はこれまでも「責任ある核保有国」を自認し、核不拡散や核軍縮に取り組むと繰り返し発言している。南北首脳会談翌日の朝鮮中央通信も、核実験の停止や核実験場の閉鎖などの措置は、「核兵器のない世界建設に貢献するために積極的に努力することを宣言した」ものと説明している。

金委員長が定義する「完全なる非核化」とは、これまでのような在韓米軍の撤収や核の傘の除去ではなく、核なき世界の実現を意味していると考えるべきだ。トランプ政権はそのような非核化の定義を受け入れないだろうが、仮にトランプ大統領が米朝首脳会談の途中で席を立っても、世界中のメディアが伝えた宥和ムードの中で、北朝鮮の非核化を迫るために軍事的圧力を強めることはもはや困難だろう。経済制裁の強化も中露の反対で難しくなるだろう。むしろ、制裁緩和の動きも中露や韓国から出てくるはずだ。金委員長は、非核化よりも平和という雰囲気作りにすでに成功した。米朝首脳会談も、金委員長のペースで進むことになるだろう。

[執筆者]小谷哲男
日本国際問題研究所主任研究員を兼任。専門は日本の外交・安全保障政策、日米同盟、インド太平洋地域の国際関係と海洋安全保障。1973年生まれ。2008年、同志社大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。米ヴァンダービルト大学日米センター研究員、岡崎研究所研究員、日本国際問題研究所研究員等を経て2018年4月より現職。主な共著として、『アジアの安全保障(2017-2018)(朝雲新聞社、2017年)、『現代日本の地政学』(中公新書、2017年)、『国際関係・安全保障用語辞典第2版』(ミネルヴァ書房、2017年)。平成15年度防衛庁長官賞受賞。

小谷哲男(明海大学准教授)

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