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ルワンダ現政権は虐殺の加害者だった──新著が明かす殺戮と繁栄の方程式

ニューズウィーク日本版 2018年5月9日 17時40分

<多数派フツが少数派ツチを虐殺したという通説は誤りだった。フツとツチは双方向で虐殺し合ったのだ(「ダブル・ジェノサイド」)。「救世主」とされてきた現政権も殺戮に手を染めていた>

近年、「開発モデル」「ジェノサイドを乗り越えた成功国」として国際社会からもてはやされているルワンダ。そのルワンダの実態を暴露し、世界の同国関係者の間で話題を呼んでいる本を紹介したい。




In Praise of Blood: Crimes by the Rwandan Patriotic Front(Random House Canada, 2018年、277頁)。カナダ人ジャーナリスト、ジュディ・レバー(Judi Rever)が命を懸け、そして私生活を犠牲にしてまで、約20年の取材をまとめたものだ。

1994年のルワンダ・ジェノサイドの通説は「多数派フツが少数派ツチを虐殺した」とし、ルワンダ現政権のルワンダ愛国戦線(RPF)は「ジェノサイドを止めた救済者」とされている。が、著者の調査によって、下記の事が明らかになった。

1)フツがツチを、ツチがフツをと、双方向で虐殺が展開された。

2)RPF、とりわけ、RPFのリーダーであるポール・カガメ氏(現ルワンダ大統領)の目標は、フツを政治的・軍事的権力の座から降ろし、ツチのリーダーと置き換えることだった。


「救済者」とされ国際社会でも尊敬を集めてきたルワンダのカガメ大統領 Noor Khamis-REUTERS

3)RPFが関与した3つの重大な罪(1990~1994年のルワンダ内戦中の市民の殺戮、ジェノサイド勃発の引き金となった1994年4月6日に起きたハビャリマナ大統領の専用機の撃墜、そしてジェノサイド中の大量殺戮)は極めて残酷かつ巧みな方法で実行され、RPFにとって都合の悪い情報が隠され、操作された。

つまり、ジェノサイドが発生した原因は、映画『ホテル・ルワンダ』等が描いた「民族対立」が主というより、「政治的な道具」としてジェノサイドが使われたことにあった。

あれは「ダブル・ジェノサイド」だった

我々が教えられてきたルワンダのジェノサイドの一般像より一層複雑で、マスメディアや研究者などによってどれだけ洗脳されてきたかがわかる。

世界有数のルワンダ研究者であるフィリップ・レインチェンス氏は本書の出版直後の2018年3月23日に下記のツイッターを流し、注目を浴びている。

#Rwanda I have long thought that @rpfinkotanyi committed crimes against humanity and war crimes in 1994, not #genocide. Book by @JudiRever shows irrefutably they did commit genocide. So, yes, double genocide happened. https://t.co/IKcYIZNBeS— Filip Reyntjens (@freyntje) 2018年3月23日

(RPFは人道に対する罪と戦争犯罪を犯したのではないかと長年疑ってきたが、本書によってそれが事実だということが明らかになった。つまり、ダブル・ジェノサイドが起こっていたことになる)


「ダブル・ジェノサイド」とは、旧政権とRPFの両方がジェノサイドに関与したことを意味する。



筆者がレインチェンス氏を日本に招聘して立教大学で講演会を開催した2014年には、「RPF はジェノサイドを犯しておらず、RPFの『ダブル・ジェノサイド説』を支持していない」と述べていた。上記のツイッター(注1)がいかに政治的に衝撃的であるか理解できるだろう。

1994年6月、フランスのアラン・ジュペ外務大臣(当時)がジェノサイドについて執筆した際、双方が罪を犯していることを示唆して、複数形のジェノサイド 'genocides'を用いた。フランスのフランソワ・ミッテラン大統領(当時)も 1994 年 11 月に行われた演説で、同様の表現を使った。

RPF の元メンバーのアブデゥル・ジョシュア・ルジビザ氏もまた、ダブル・ジェノサイドを明確に論じている。(注2)

これだけでも恐ろしいのに、RPFはルワンダでジェノサイドを行っただけでなく、隣国コンゴ民主共和国(コンゴ)でも行ったとされる。

敵になりすまして味方を攻撃

1996年、「自国の安全保障上の理由で」コンゴに侵攻したルワンダ軍(RPFの軍隊)はコンゴ東部に侵攻し、難民キャンプを襲撃した。その際に、ルワンダ難民(フツ)と彼らを受け入れたコンゴ住民計数万人を殺戮した。

その行為は、1998年の国連報告書(ガレトン・レポート)と2010年に公表された国連報告書(マッピング・レポート)によると、「ジェノサイド」と特徴づけられる。

ただし同報告書は司法調査ではなく、国内の人権侵害を包括的にまとめて分析し、衝撃的な法の裁きの欠如を徹底的に記したもので、ジェノサイドの認定に関しては裁判所が決めるとした。

ここで留意すべき点が2点ある。1つ目は、ルワンダでのジェノサイド後、RPFがコンゴ東部の資源を確保するために侵攻計画を立てた際、侵攻の「安全保障上」の口実をつくるために、コンゴからルワンダへの軍事行動を「敵(第三者)になりすまして(false flag operation)」を仕掛けたことである。

1996年以降、現在までコンゴ東部での紛争がまだ続いているのは、主にRPFの責任である。

そして2点目は、実は、ルワンダのジェノサイドとコンゴのジェノサイドの両方を調査した国連法律家によると、後者では前者と同様か、あるいはさらに悪いパターンが起こったという。 (注3)

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(注1)「世界難民の日」国際シンポジウム報告書「ルワンダのジェノサイドと国際協力 ~残虐行為と難民流出をどう予防すべきか~」 立教大学、2014 年6月20日。
(注2) Juppé, 'Intervenir au Rwanda', Libération, June 16, 1994; Mitterand, 'Discours de Monsieur François Mitterand', Biarritz, 8 November 1994, 4; Ruzibiza, Rwanda. L'histoire secrète(Panama, 2005)328-336.
(注3)Judi Rever, "Congo butchery `like Rwandan genocide,'" 28 August 2010
https://www.smh.com.au/world/congo-butchery-like-rwandan-genocide-20100828-13wbm.html



マッピング・レポートが発表される前の2010年8月、本報告書が「ル・モンド」紙と「ニューヨーク・タイムズ」紙にリークされ、論争を呼んだ。

ルワンダ政府は怒りをあらわにし、報告書を公表するならスーダンのダルフール地方から自国のPKO要員を撤退させると脅した。

おそらくそのRPFをなだめるためか、潘基文国連事務総長(当時)がルワンダの首都キガリに飛び、交渉したらしい。同年10月1日に最終版のマッピング・レポートが公表されたが、その後、国連安保理などで同報告書の内容は一切議論されてない。

国内の人口割合からするとルワンダは世界最大のPKO派遣国であるが、そのPKO派遣が「政争の具」として利用されたことになる。

政争の具にされたPKO

さらに異常なのは、国連を含む「国際社会」はRPFが犯した罪を認める一方で、同じ「国際社会」は何もなかったかのように振る舞い、国家元首のカガメ大統領を「すばらしいリーダー」として賞賛していることだ。一体何のために──。

そしてさらにショッキングなことも共有したい。筆者は自身の研究の関係でこの数年、世界にいるルワンダ難民に聞き取り調査をしてきたが、ある元RPFの離反者はこう述べた。

「あのジェノサイドは結局、『投資』だったんだ。」

すなわち、ジェノサイドが発生した「おかげ」で、ルワンダは「国際社会」から膨大な援助が入るようになり、世界中から研究者、ジャーナリストや観光客が入国し、投資も増え経済成長した。何百万人の犠牲という悲惨な「投資」があったからこそ、カガメ氏が世界のヒーローになった。上記のコメントはあくまでも個人見解であるが、それに同意する難民も少なくない。考えただけでぞっとする。

               *****

実は日本からも同国を視察、観光、研究、そして留学目的に訪れる人は多いものの、同国の政治やRPFが犯したジェノサイドなどについて精通している人はかなり少ないのが残念である。

ぜひ本書を手に取って、ジェノサイドの実態だけでなく、人道支援や開発援助が悪用された事実も学んでもらいたい。

来年2019年、ジェノサイド発生から25周年を迎えるルワンダ。将来、同様な罪が繰り返されないためにも、ルワンダとコンゴにおける残虐行為の歴史を改めて直面すべきなのではないだろうか。




米川正子(立教大学特定課題研究員、コンゴの性暴力と紛争を考える会の代表)

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