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「女の子」か「女性」か? 言葉のパワーの重要性

ニューズウィーク日本版 2018年5月30日 18時30分

<アンゲラ・メルケルのことを「ドイツ首相を務める女の子」と呼ぶだろうか?――答えはノー>

「女の子」と使っていいのは13歳以下に限定するべき。それ以降には「10代の」と付け、16歳前後からは『若い女性』と呼べばいい。そして18歳より年上はすべて「女性」――ジャーナリストのハンナ・ジェーン・パーキンソンは過去に、英ガーディアン紙でこのように提案した。

「女の子」という呼び方、そして背景にある問題は私たちの文化に深く染み付いている。日本だけでなく海外においても、男性も女性も日常的にこの言葉を使うからだ。それも大概、ポジティブな意味合いで良かれと思って。

セクハラに関する報道は「ネタ」になるものばかりが大きく取り上げられているが、まずは身近なこの問題に向き合いたい。

女性としての尊厳と引き換えに...

米ハフィントンポストに掲載された、カリフォルニア在住のライター、タビー・ビドルの記事では、女性に対して「女の子」と使うの理由がこう述べられている。

「『女の子』と言うことによって『ガールパワー』を再認識できるからよ。私自身含めてね」。さらにこう続ける。「私が考える『女の子』は、愉快で、冒険心と追求心があって、そして大胆な人」。「『女性』という場合は、強くて、自信と責任感を持っていて、面倒見がよく、そしてグローバルな考え方のできる人」

それにしてもなぜ、「ガールパワー」と「ウーマンパワー」は別物として扱われるのだろうか?――女性は強い、けれどユーモアに欠ける。責任感がある、けれど保守的。グローバルにものごとを捉えることができる、けれど思い切った発想ができない。つまりはこういうことなのだろうか?

ビドルは、「フェミニズムに関する議論はよく理解している」としながらも、「常に『女性』と呼ばれるべきだと主張することによって、何かを諦めることにならないのかしら?」と言っている。「女性としての尊厳を手にするために、女の子らしいプレイフルさや繊細さを捨てたくない」



単なる二者択一の議論ではない

リンカーン・ジャーナル・スター紙のレポーター、ジョアンナ・ヤンは、この言葉の二者択一論は的外れだと言った。

ネブラスカ州のキャロル・ブラッド上院議員は、この「女の子」か「女性」か、の論争を別の角度から考えている。そして、この議論を議会に持ち込んだ。

論点のひとつに挙げたのは、俗に言う「女の子のいる店」を規制する法案。同州には、「ミッドウェスト・ガールズ・クラブ」という会員制のソーシャルクラブがあるという。

ブラッドは「正式名称に『女の子』という単語が使われている」ことを問題視した。

「部屋を掃除するために来てくれる女の子がいる」「自分の代わりに税金関係を処理してくれる女の子がいる」とか言う人はよくいるが、「税金関係をやってくれる男の子」「車のメンテナンスをしてくれる男の子」という風に話す人がいるだろうか?

少し視点を変えてみよう。普段、「女性」と伝えられる人物をイメージしてほしい。例えば、ドイツのアンゲラ・メルケル首相のことを「ドイツ首相を務める女の子」、もしくは中央アフリカ共和国のカトリーヌ・サンバ・パンザのような指導者。彼女たちを「女の子」と呼ぶだろうか?――答えは「ノー」だ。

メルケルやパンザには必ずと言っていいほど「女性」という呼称がつく。それなら、子育て中の人やレストランのサーバー、友人とのお喋りにふけっている人も、すべからく「女性」と呼ばれるべき。

女友達に親しみを込めて「女の子」と呼ぶ人もいる。しかし、成人女性に対して「女の子」と言ってしまうと、彼女たちの成熟性と経験を否定することになってしまう。結果として、同性を見下すことにもなり得る。

言葉が繰り返されて、概念が構築される

好きなものを食べる、好きな職業に就く、好きな格好をする。一見、当然のことかもしれないが、実はまだ実現できていないことかもしれない。私たちの選択には、無意識のうちに「社会の総意」が反映されることが多い。

「言葉にはパワーがある。ひとつひとつを切り取れば大したことではないが、繰り返されることで大きな影響をもたらす」と、ブラッドは言う。「私たちの社会は、『女の子』問題について考え直す必要がある。大袈裟だと思われるかもしれないが、この風潮をそのままにしておくと、『レイプカルチャー』を助長することになりかねない」

キャロルは決して同性を攻撃しているわけではない。「ありのままを受け入れるという価値観をもっと育てていくべきではないか」と願っているだけだ。

「ありのまま」の美しさが肯定される価値観が根付けば、いろいろな問題の解決に結びつくかもしれない。見えないプレッシャーを気にして、わざわざ「女の子」を演じようとなんてしなくていい。

女性の総称について、受け入れるか受け入れないかは、議論の結果で決めればいい。ひとつ言えるのは、この問題について誰もが考えてみる価値があるということだ。

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ニューズウィーク日本版ウェブ編集部

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