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新しい「窒素ガス」による死刑は完璧か? 薬物注射やガス室に比べるとマシだが欠陥だらけ

ニューズウィーク日本版 2018年6月7日 17時33分

<死にそこなわない、苦しまない、他の方法よりマシ、という3条件のうち、「窒素ガス」が満たすのは3つめだけ>

今から400年以上前、アメリカの記録に残る初めての国家による死刑として、大英帝国の植民地ジェームズタウンがスペインの諜報部隊を火あぶりにしてからというもの、アメリカは死刑囚を殺すのに使用する技術を探しあぐねてきた。

1976年以降の死刑執行件数は1476件に上り(年間0~98件)、全体の88%が薬物注射によるものだった。現在も死刑制度をもつのは全米50州のうち31州で、そのうち何州かは死刑執行を一時停止している。

死刑執行方法の改善を目指すオクラホマ州、アラバマ州、ミズーリ州の3つの州は2015年以降、「窒素ガス」を新たな選択肢に加えた。アメリカでは現在、薬物注射、ガス室(アメリカでは青酸ガス)、絞首が死刑執行の主な方法となっている。


アラバマ州の死刑執行施設。ほとんど誰も見ていない密室で行われる

窒素は空気中の約78%を占める無色、無味、無臭の気体だ。セラミックスや鉄の製造をはじめ、幅広い産業で使われている。毒性は低いが、高純度の窒素ガスの中で呼吸すると脳が酸欠状態になり、死に直結する。実際、窒素ガスによる中毒が原因の労災事故は、毎年多数報告されている。

従来の方法はすべて欠陥だらけ

だが、死刑のための使用を想定した正式な研究結果はない。それにもかかわらず支持者らは、窒素ガスを用いれば死刑囚はより早く、安らかに、人道的に死ねる、と主張している。

死刑執行に窒素ガスを使用するには3つの基準をクリアする必要がある。まず、確実に死ねるか。既存の方法より優れているか。「残酷で異常な刑罰」を禁じる合衆国憲法修正第8条に違反しないか。多分、答えはすべて「イエス」だ。

まず第一の点だが、死刑のための使用例はないにせよ、窒素ガスの殺傷能力が極めて高いことは間違いない。高純度の窒素ガスが充満した室内に入れば、1分以内(あるいは1~2回の呼吸)で意識を失い、すぐ死にいたるだろう。死刑囚がなかなか死なずに生き残ってしまう「失敗」の確率は、従来の死刑執行方法よりかなり低いはずだ。

従来の方法より優れているかどうかは、より難しい問題だ。死刑執行に新たな方法を導入するときは慎重にならなければならない。過去に導入した方法はどれも、理論上はどんなに優れたものでも現場で使えば欠陥だらけで、死刑囚に耐え難い苦痛を与えてきたからだ。



電気椅子の場合、死刑囚の体が燃え上がったり、何度も電気ショックを与えなければならなかったりした事例がある。ガス室は12の州が人道的な方法として採用しているが、失敗率が5%に上り、死刑囚が長い間もがき苦しんだり、痙攣を起こした例が報告されている。

死刑執行方法として最も一般的な薬物注射は、失敗率がほかのどの方法よりも高く、7%超になる。静脈に何度か注射をする必要があるのだが、とくに死刑囚が麻薬常用者や慢性疾患の患者のように何度も注射を繰り返して血管が硬くなっている場合、静脈を見つけるのは極めて難しい。

今年アラバマ州で行われた例では、医師が最後は男性死刑囚の鼠径部に注射針を刺して膀胱を傷つけたあげく、死刑執行期限の午前0時になってしまい中断された。「死んだほうがましな」激痛だったと、この死刑囚は医師に語ったという。

加えて近年は多くの製薬会社が、医療用の薬物が死刑執行に使われているというイメージを嫌がり、自社製品が刑務所に回らないよう流通を規制し始めている。薬物注射による死刑執行は物理的に難しくなってきているのだ。

実用性に多くの疑問

窒素ガスによる処刑は実行可能なのかについても、多くの疑問が残っている。たとえば、もし死刑囚の顔面を密着性の高いマスクで覆えば、呼吸ができず苦しくならないか。マスクで顔面を覆っても、窒素ガスが漏れて効かない可能性はないのか。部屋全体を、高純度の窒素ガスで充満させる必要があるのだろうか。マスクや部屋の空気に微量の酸素が残っていた場合、死ぬまで時間がかかるか失敗するかして、結果的に死刑囚が昏睡状態や脳損傷に陥る恐れはないか。

しかも、窒素ガスの医学的な品質に関する規制がないため、死刑執行用に検査をする場合でも品質管理をどう徹底したらいいかわからない。もし汚染されたガスだったらどうなるのか。窒素ガスメーカーは製薬会社と違い、死刑用とわかっても供給し続けてくれるだろうか。

最も重要なのは、窒素ガスを使った処刑が、合衆国憲法の禁じる「残酷で異常な刑罰」に相当しないかどうかだ。

人は普段、生命維持に必要な量の酸素を取り込み、二酸化炭素を吐き出して呼吸する。酸欠の経験者はみな、ひどい苦痛だったと言う。だが窒素ガス使用を支持する人々に言わせれば、苦痛は酸欠のせい(いわゆる酸素欠乏症)ではなく二酸化炭素の蓄積のせいだという。窒素ガスを吸う間も二酸化炭素を吐き出すことは可能なのだから、死刑囚が酸欠で苦しむはずはない、という。



だがもし、窒素ガス賛成派の言うことが間違っていたら? 命に関わるような酸欠状態になった時点で、人は窒息の不安と恐怖に襲われる、とする研究もある。

麻酔薬と違って、窒素ガスには睡眠導入効果がないため、死刑囚は意識を保ちながら苦痛に苛まれる可能性がある。死刑執行の前に眠らせれば、酸欠による不安や恐怖を取り除くことはできるかもしれないが、麻酔をかけるにはまた静脈注射の問題が浮上する。

窒素ガスはかつてペットの安楽死に使われていたが、現在は使われていない点も留意すべきだ。米獣医師会(AVMA)は、窒素ガスを吸った犬や猫が死ぬ間際にもだえ苦しんだ証拠があるとして、ペットの安楽死法として推奨していない。

窒素ガスによる窒息は本当に「安らかな」死を可能にするのか、事前に知ることは不可能なのだ。体験談を話してくれるような窒素ガス事故の生存者は少ないし、人体実験など非倫理的でもってのほかだ。

合憲か否か科学的には証明できない

もし使い古した方法が理想的でなく、窒素ガス使用なら人道的だと証明することもできないのなら、ほかに選択肢はあるのか? 

答えはイエスだ。筆者は今年、薬物注射による死刑に失敗して生き延びた死刑囚が同じ方法による死刑執行停止を訴えた裁判で証言した。裁判所は、薬物注射の代わりに、末期患者の「尊厳死」に使用する目的で使われる経口薬の使用を認める判決を下した。過去の死刑執行でも、経口薬を合法的に使用できたこと例はある。経口薬なら、注射のような失敗は起こりにくい。

それよりも、アメリカが死刑制度を廃止すべきか否かを論じるべきだろうか。一部の州はすでに死刑を廃止するか執行停止に踏み切っているが、アメリカが欧米先進国で唯一、死刑が残る国であることに変わりはない。そして今も、約3000人の死刑囚が執行を待っている。

死刑は憲法でも認められているし、すぐに廃止されることはない。ただし米最高裁は、死刑では不必要または非人道的な苦痛を与えてはならず、憲法に沿った方法で執行されなければならないという判決を下している。

ということは、検討すべきは死刑執行の方法だ。だが、それらが合憲か違憲かを科学的に判断するのは不可能だ。窒素ガスを使った窒息死が苦しくないのかどうかは知るよしもなく、死刑執行の選択肢としてふさわしくない。

(翻訳:河原里香)


チャールズ・ブランク(米オレゴン健康科学大学医学部教授、腫瘍専門医)

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