Infoseek 楽天

トランプの移民強硬策で、日系人収容所の悪夢がいま甦る

ニューズウィーク日本版 2018年6月28日 11時30分

<第2次大戦中に経験した日系アメリカ人収容所――不法移民問題におけるあのような施設の再来に断固抵抗する>

想像してほしい。子供を含む何万人もの人々が政府によって「国家への脅威」というレッテルを貼られ、「犯罪者に違いない」という推定に基づき市民権と人権を剝奪されるさまを。彼らが、人間らしさではなくコスト重視で造られた簡易な収容所をたらい回しにされる姿を――。

これは今のアメリカの話だ。米南部では亡命希望者やビザのない移民が国境を越えて来ようとしている。そして、1941年12月の日本軍による真珠湾攻撃後のアメリカの話でもある。当時、私たち日系人はたまたま彼らと外見が同じだったため、一夜にして「敵」となり、収容所に入れられた。

だがあの頃よりも、今のほうが状況は悲惨だ。少なくとも日系人収容所では、私もほかの子供たちも親から引き離されることはなかった。泣き叫ぶなか、母親の腕の中から剝ぎ取られることはなかった。自分たちよりも小さな子供のおむつを替えさせられるようなこともなかった。

ローラ・ブッシュ元米大統領夫人がワシントン・ポスト紙への寄稿で書いたように、網の張られた檻や収容所にいる子供の映像は、戦時中の体験を思い起こさせる。ブッシュは「これらの光景は、今やアメリカ史上最も恥ずべき行為の1つと考えられている、第二次大戦中の日系アメリカ人収容所に不気味なほど似ている」と書く。

「こうした扱いはトラウマを生む。収容所にいた日系人は収容経験のない人に比べ、心臓血管系の病気を患ったり早死にしたりする確率が2倍高い」とも指摘した。

社会的弱者や世間の非難にさらされている人々に対して政府が気まぐれな行動を取るとき、その恐怖や不安は言葉にし難い。状況を変えようとしても、訴える相手がいないのだ。

助けられる権力を持つ者は、自分たちに銃を向けている。人権を奪われ、起訴や裁判もなく拘束される。世界がひっくり返り、情報も入らず、世間はそうした自分たちの窮状に無関心、もしくは敵対的だ。

人間性のない政権トップ

それでも私はおぞましい皮肉を込めて、「少なくとも日系人収容所では......」と前置きすることができる。

少なくとも日系人収容所では、5歳の私が両親から引き離されることはなかった。私たち家族は競馬場に送られ馬小屋で数週間暮らしたが、少なくとも家族は一緒にいられた。両親は私に「馬たちと暮らす休暇に出掛けるよ」と言った。収容所に着いてからも両親が恐怖と私との間に立ってくれたおかげで、自分たちを取り巻く恐ろしい現実を本当の意味で理解せずに済んだ。



もし両親がいない状態で収容所に入れられていたら、自分の子供時代がどうなっていたか、全く想像できない。このような事態が現在起きていることに、私は怒りと悲しみを覚える。基本的な人間性さえ失ったような政権トップに対する怒りと、影響を受けた家族たちに対する心からの悲しみだ。

政治家たちはどうしたらこんな政策を正当化できるのかと思うが、歴史を顧みれば難しいことではない。真珠湾攻撃を受けてアメリカが戦争へと向かうなか、当時の政権は日本に強硬姿勢で臨むと米国民に示す必要があった。故に米国内の「日本人」に対して強硬姿勢を取った。私たちのほとんどは日本人でさえなかったのに。収容された12万人の日系人の3分の2以上は、アメリカ国籍だった

それでも政府は「ジャップ(日本人の蔑称)はジャップ」という明確な方針を打ち出した。トランプ政権が進めている不法移民摘発の「ゼロ・トレランス(寛容ゼロ)」政策と同じだ。

私たちは再び、収容所とフェンスと人種差別のイメージに自分たちを追い込みつつある。収容所を経験した私は人生を懸けて、アメリカにあのような施設が造られることに反対していく。将来、歴史に書かれるのはかつてのような「服従」の物語ではなく、「抵抗」の物語であってほしい。

(筆者のジョージ・タケイは、カリフォルニア州ロサンゼルス生まれの日系二世。SFドラマシリーズ『スタートレック』のパイロット、ヒカル・スールー役〔日本語吹替版ではカトー[加藤])を演じて人気に。戦時中の1942年、6歳の時に家族で日系人収容所に送られ、その後3年余りの収容所生活を送った)

From Foreign Policy Magazine

<本誌2018年7月3日号掲載>

【お知らせ】ニューズウィーク日本版メルマガのご登録を!気になる北朝鮮問題の動向から英国ロイヤルファミリーの話題まで、世界の動きをウイークデーの朝にお届けします。ご登録(無料)はこちらから=>>

ジョージ・タケイ(日系アメリカ人俳優)

この記事の関連ニュース