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エジプトで自由を求め続ける86歳の女闘士

ニューズウィーク日本版 2018年7月4日 17時0分

<父権主義や人権弾圧、女性器切除を果敢に告発してきたエジプト人作家ナワル・エル・サーダウィの揺るがぬ信念>

エジプト人作家ナワル・エル・サーダウィが初めて書いた手紙は神に宛てたものだった。

「あなたが公平な神様なら、なぜお母さんをお父さんと対等にしなかったのですか」。7歳のサーダウィは神にそう問い掛けたが、神は返事をくれなかった。

9人の子供を育てたサーダウィの母親は45歳の若さで亡くなった。両親の信じるイスラム教によれば、父親は死ねば天国で72人の処女に迎えられるが、死んだ母には何も与えられない。

「地上でも天国でも、女性は価値がないということだ」。サーダウィは自伝『イシスの娘』でそう嘆いている。

少女時代に神への不信を抱いた彼女は、86歳の今も神を信じない。「生まれて初めて書いた手紙で、私は神に告げた。『あなたが公平でないなら、私はあなたを信じない』と」

相手が誰でも不公正には屈服しない。そんな生き方を貫いてきたために、サーダウィはこれまでの人生で「死の脅迫を受け続けて」きたと、友人の作家マーガレット・アトウッドは言う。

サーダウィはエジプトの首都カイロの北に位置する小さな村で1931年に生まれた。医学を学び、若くしてエジプト保健省の要職に就いたが、女性器切除を批判したため解任された。77年の著書『イヴの隠れた顔』(邦訳・未来社)で、サーダウィは6歳のときに受けた自身の女性器切除の体験を生々しく語っている。

彼女は未成年の少女に対する強制結婚の実態も告発した。75年刊行の小説『0度の女』(邦訳・三一書房)の主人公は、強制結婚させられ、夫の虐待から逃れてカイロで売春婦になった若い女性フィルダス。自分に客を斡旋する男を殺して逮捕されるが、改悛の情を見せず死刑に処せられる。

サーダウィは実在の人物に基づくフィルダスをフェミニズムのヒロインとして描いた。作品には「私は出会った男たち一人一人の顔面に激しい平手打ちを食らわせたい衝動に駆られた」というフィルダスの言葉がある。

サーダウィが平手打ちを食らわしたかった男の中には強大な権力を握った人物もいる。70年にエジプト大統領に就任し、国内の反発を押し切ってイスラエルと和平を結んだ軍人指導者アンワル・サダトだ。そのサダトの指示で、サーダウィは81年に「国家反逆罪」で投獄された。

宗教の呪縛を解く試み

同時期に逮捕された人々はサダトの命令で全員死刑になると思ったが、サーダウィは自分はサダトより長生きすると確信していた。実際、逮捕の1カ月後の81年10月にサダトは暗殺され、サーダウィらは釈放された。



しかしサーダウィに憎しみを募らせる一派はほかにもいた。91年に彼女の名はイスラム過激派の暗殺リストに加えられた。それは、ただの脅しではなかった。92年にはエジプト人作家ファラジ・フォダが殺された。暗殺リストにはフォダの次にサーダウィの名が挙がっていた。

93年、彼女はやむなく故国を後にし、96年に帰国するまで3年間アメリカで亡命生活を送る。

ノースカロライナ州のデューク大学で教壇に立ったサーダウィは、創造性と抵抗についての講義を始めるに当たり、自分にはどちらも教えられないと言って学生たちを驚かせた。「これまでの教育の呪縛を解くことは、私にはできないと彼らに言った。なぜ自分たちが抑圧されているのか、歴史に由来するその要因に人々は全く無自覚だ、と」

それでも彼女は必死で呪縛を解こうとした。まずは宗教の呪縛だ。「(エジプトでは)宗教は資本主義とも、女性の権利とも結び付いていると、私は指摘した。そのため彼らは私の活動を妨害し、投獄し、私の作品を検閲しなければならなかった」

何より、宗教は「ばかげている。キリストが墓から出て昇天しただの、はりつけにされただの」と、サーダウィは笑う。「私は10年かけて旧約聖書と新約聖書とコーランを比較し、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を研究した。インドへも行ってヒンドゥー教も研究した。調べれば調べるほど宗教は奇妙なものに思えてくる」

昨年からサーダウィの先見の明を裏付けるかのように世界中で#MeToo旋風が Ronen Tivony-Nurphoto/GETTY IMAGES

アメリカ亡命中にビル・クリントンが大統領に就任、その後ジョージ・W・ブッシュ、バラク・オバマが続いた。16年の大統領選ではヒラリー・クリントンがドナルド・トランプと接戦を展開。サーダウィはアメリカ初の女性大統領誕生の可能性について意見を求められたが、それ自体が彼女のフェミニズムを根本的に誤解している証拠だ。

女性が統治者になることを望むかどうかは「場合による」という。「私は生殖器で人を分けないから。男か女かは関係ない。女性を抑圧することに反対するフェミニストの男性もいれば、ヒラリーやテリーザ・メイ(英首相)、コンドリーザ・ライス(元米国務長官)のように男以上に父権的な女性もいる」

11年にサーダウィも参加した革命がムバラク政権を打倒。その後の選挙でムスリム同胞団が勝利してモルシ政権が誕生したが、軍によって倒された。

サーダウィもエジプトの多くの左派同様、13年7月の軍によるモルシ政権打倒を歓迎し、クーデターという呼び方に反対している。「私はクーデターとは言わない。欧米はムスリム同胞団を排除したクーデターだと言うが、真実ではない。あれは民衆による革命だった」



だがアブデル・ファタハ・アル・シシ将軍が権力を掌握して4年たった今、エジプトでは大規模な人権弾圧が行われ、11年の革命に加わったリベラル派や作家、ムスリム同胞団メンバーなど大勢の活動家が獄中にある。今年3月の大統領選では有力な対立候補は出馬禁止になるか投獄され、シシが得票率97%で再選を果たした。

#MeTooは「今頃?」

それでもエジプト政府を支持するのか。「私はどんな政府も支持しない」と、サーダウィは言う。「本当に民衆のために働く政府なんてエジプトにもアメリカにも存在しない。私は個々の統治者を信じない。王も(マーガレット・)サッチャーもムバラクもシシもサダトも。民衆を1人の人間が統治するなんて無理。民衆による革命が必要」

エジプトでは女性器切除は違法だが、WHO(世界保健機関)によれば15~49歳の女性の87.2%が経験している。サーダウィは今も国内メディアでこの問題を論じることを禁じられているが、政府系のアハラーム紙にコラムを執筆している。「進歩はしている。サダトやムバラクの時代には検閲された」

エジプト以外でも明るい兆しが見えるという。その筆頭格が、17年10月のハリウッドでのセクハラ告発に端を発する「#MeToo(私も)」運動だ。「私の半分の年齢の女性たちが、私が40年前に気付いたことに気付いた。私は当時、父権制を階級や資本主義や宗教や人種差別と結び付けていた。#MeTooが起きて『今頃?』と言った」

長年「抑圧や差別に苦しんでいるのはアラブ社会やイスラム社会の女性だけで、アメリカやイギリスの女性は自由だと考えられていた。私は『いいえ、女性はみんな苦しんでいる』と言い続けた。50年代半ばにね。笑われた」。

話しながらサーダウィは紙切れに重要な単語を書き出して下線を引き、自分の主張を図にする。今後について尋ねると、彼女は紙切れを裏返して山あり谷ありの線を引く。歴史はそうやって浮き沈みしつつも常に前進しているのだという。

「今はここ」と、サーダウィは下降線の途中に印を付ける。「だからトランプやメイがいる。今は強烈な資本主義と強烈な宗教原理主義の組み合わせと人種差別の時代──パレスチナの人々があんなふうに殺されて。苦難の時代だけれど、いつか終わる。歴史とはそういうもの」

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[2018.7. 3号掲載]
オーランド・クロウクロフト

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