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地下鉄サリンから23年、オウム事件と日本社会の変化

ニューズウィーク日本版 2018年7月12日 17時15分

<現在では先進国全体が当時の日本と同じ問題に直面している――混迷と動乱の時代、カルトの説く「真理」が人気商品に>

オウム真理教の教祖・麻原彰晃(本名・松本智津夫)と教団幹部の計7人の死刑が執行されたというニュースを聞いて、95年3月の恐ろしい出来事の記憶がまざまざとよみがえってきた。あの日の朝、当時3歳だった私の娘は保育園に行くため、地下鉄千代田線に乗っていた。幸い、地下鉄サリン事件が起きたのは少し後だったが、当時の衝撃は今も忘れられない。

日本は公共空間の安全性で名高い国だったが、この事件は首都東京の中心部で、日本人が起こしたテロだった。しかも犯人は庶民ではなく、科学者や一流大学の卒業生――つまり将来の日本を動かすエリート層の同級生や友人たちだった。

これは重要な問題だと、私は感じた。90年代前半の日本は既にさまざまな「神話」の崩壊を経験していた。不動産価格は上がり続けるという神話。優秀な官僚は日本経済を輝かしい未来へと導くという神話。人口の90%が中流だという神話。

そして今度は、もう1つの神話が崩壊した。日本の教育制度は国民を正しく選別し、有名大学の卒業生はそれだけで尊敬に値するという神話が......。

当時、この事件についての記事の執筆を本誌から依頼された私は、社会から疎外された人間や落伍者を引き付ける欧米のカルト教団との違いを強調した。

ISIS戦闘員と共通点

オウムは信者たちに、外部の社会と対立する信仰とアイデンティティーを植え付けた。信者は絶対的な服従を要求され、一般常識の外に飛び出すことがその証明とされた。

その意味で、オウムは現実から目を背ける日本のエリート組織――当時の大蔵省、銀行、大企業の系譜に連なる「邪悪な兄弟」だった。これらの組織は部外者を排除し、個人に集団への忠誠を要求した。時には、道徳や法律を破ることになったとしても。

今になって振り返ると、やや違った風景が見える。第1に、日本はいい方向に変化した。銀行を含む企業は説明責任と透明性の面で前進した。国民の間には懐疑的な見方が広がり、もはや誰も官僚たちが高い経済成長を実現できるとは思わない。

1億総中流社会という幻想はとうの昔に消え去った。カンヌ国際映画祭の最高賞に当たるパルムドールを受賞した是枝裕和監督の『万引き家族』を見ればいい。所得格差を示すジニ係数はOECD(経済協力開発機構)の平均を上回っている。

第2に、欧米との対比は今から考えると単純化し過ぎていた。欧米にもサイエントロジーなど、ハリウッドセレブのような成功者を引き付けるカルト教団がいくつかある。

さらに重要なのは、宗教的カルトと政治的カルトの違いは人為的な分類にすぎず、後者は神を信じない欧米の知識人を魅了してきたという事実だ。スターリン時代のソ連に祖国を売ったイギリスのスパイ「ケンブリッジ・ファイブ」は、庶民ではなく名門大学卒のエリートだった。



高学歴の人間は目の前の現実を無視する傾向があり、カルト的な知識体系や集団に心を奪われる――日本に限らず、あらゆる国で見受けられる現象だ。

第3に、オウム事件は日本の歴史的瞬間――バブル時代の熱狂が去り、はるかに困難な時代が始まろうとしていた時期に起きた。これは日本特有の現象に思えたが、08年の世界金融危機後には先進国全体が同じような自信の喪失に直面した。

既にテロ、銃乱射、陰謀論、民族対立、政治的分断が深刻な問題として浮上している。ヨーロッパでは無数の若者がテロ組織ISIS(自称イスラム国)の戦闘員に志願した。大半は社会の「負け組」だが、中には医師や一流大学の学生もいる。

オウムに限らず、政治的・宗教的カルトは「真理」を売りものにする。混迷と動乱の時代には、この商品の需要は大きい。次に登場するオウム的組織は、麻原には想像し難い方法で破壊を世界中に広める能力を持っているかもしれない。

<本誌2018年7月17日号【最新号】掲載>

ピーター・タスカ(経済評論家)

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