中国の政局に何やら怪しい風が吹いている。聖地化された文革時代の習近平の下放先「梁家河」に関して王滬寧が習近平の個人崇拝を煽り過ぎ世論の反発を招いた。危険を感じた習近平が自ら禁止したことが「怪」の正体だ。
研究課題「梁家河」大学問でつまずいた王滬寧
チャイナ・セブンの一人である王滬(こ)寧(党内序列5。イデオロギー担当)は、聖地化された「梁家河」(りょうかが)を「梁家河」大学問という研究課題で推進し、習近平への崇拝をさらに強化しようとしたが、それが行き過ぎてしくじってしまった。
「梁家河」というのは、文化大革命時代、習近平(1953年6月15日生まれ)がまだ15歳だった1969年1月、下放のために行った先の地名だ。正確には陝西(せんせい)省延安市延川県文安驛(やく)鎮にある村である。習近平は1975年までの7年間、梁家河にいた。
延安は毛沢東の革命の地。15歳の習近平は自ら下放先に延安を選んでいた。その後、「(自分は)延安の人」という文章を書いて、まるで「毛沢東の直系の後継者」のような正当性が自分にはあるという雰囲気を醸し出すようになる。習近平の威信を高めていくに従い、梁家河はまるで「聖地」のように位置づけられ、観光客や信奉者で賑わうようになった。
2016年9月、陝西人民出版社は『梁家河』という本を出版せよという政府からの指令を受け、2018年5月2日に出版。陝西省人民政府と陝西人民出版社による出版発表会が開催された。
2018年6月13日になると、中共中央は<『梁家河』を学習せよ>というキャンペーンを始めた。
すると今度は中国共産党新聞網(網:ネット)が「梁家河で"大学問"を感じ取ろう」という記事を載せた。
そこには習近平の次の言葉がある。
「私が人生の第一歩として学んだものは全て梁家河にある。梁家河を軽視しない方がいい。ここは大学問の地だ。」
6月22日には中国共産党新聞網が「梁家河大学問に学ぶ熱い血潮が燃えたぎる」という趣旨の報道をし、中央テレビ局CCTVでも熱く宣伝されて、中国は真っ赤に燃え始めた。
ラジオでも『梁家河』を12回連続ドキュメンタリー番組として放送した。
また華陰市中医医院という小さな組織においてさえ、その学習会を開催するという徹底ぶりだ。
そもそも今年1月から既に「中国共産党新聞網」には「梁家河は"大学問"の地だ」という報道が見られる。
こうして6月21日、陝西社会科学網は、陝西省社会科学界聯合会が「梁家河大学問を研究課題とする」と宣言し、17項目にわたるプロジェクトを組むことを発表した。
この辺りから中国共産党内からも「いくらなんでも、度が過ぎやしないか」、「これでは党規約で禁止している個人崇拝を煽ることになる」「文革の肯定につながりはしないか」といった数々の疑問の声が出始めたのである。筆者自身、中国政府高官から直接「行き過ぎだ」という憂慮の声を聞いている。
「墨かけ女子事件」が起きたのは、それから間もない7月4日のことだった。
昨年の第19回党大会以来、中共中央のイデオロギー宣伝を担当しているのは、言うまでもなく王滬寧。習近平の権威を高めてあげようと邁進していたことが裏目に出た格好になる。
映画「すごいぞ、我が国」で知識人の間に不満の素地が
そうでなくとも、今年に入ってから、他の出来事で知識人の間に不満がくすぶり始めていた。その中にはもちろん、少なからぬ中国共産党員がいる。
それは映画「すごいぞ、我が国」が上映されたことにある。
今年3月5日からの全人代(全国人民代表大会)開幕に合わせて、3月2日に封切られた。これは昨年、CCTVで報道された連続ドキュメンタリー番組「輝煌中国」を一つにまとめたものだが、初日から7億円を超える興行収入があり、どこも満席だとCCTVは自画自賛していた。
それもそのはず。チケットは強制的に買わされた「組織的動員票」だったのである。
そこに「落とし穴」があった。
中国共産党員の中の知識層も観に行かなければならない。党員でなくとも、知識層はどこかの組織に所属している。普段なら観なければ済むが、強制的に観に行かせられたために不満が充満した。
「中国人民の知的レベルをバカにしているのか」
「こんなお粗末なものを無理やり観させられて、かえって"高級黒"を感じた」("高級黒"とは「相手をすごく褒めているのだが、実は讃辞を通して暗に相手を批判する風刺手法」を指すネット用語)
「お粗末としか言いようがない」
など、数々の不満がネットにも充満した。
こんな素地の中に出てきたのが、上述の研究課題「梁家河大学問」だったのである。知識人の不満が表面化しそうになってきた時に、「墨かけ女子事件」が起きたのだ。
「7月12日」に習近平自らが過度の個人崇拝にストップをかけた
習近平は慌てたにちがいない。
今年7月12日、なんと、習近平自らがこの研究課題「梁家河大学問」を推進するのを禁止したのである。
反動を招いて、それがきっかけで自分の威信に傷が付いてしまうと警戒した習近平が、「蟻の一穴、天下の破れ」を防ぐために、あわてて個人崇拝の行き過ぎにストップをかけたと言っていいだろう。
一党支配体制を維持するために始めた個人崇拝が、結局は一党支配体制を潰す。そのギリギリの線まで来ていた。
それでも習近平の意向に沿って動くのが党と政府の慣わし。
習近平が意思表示を検討する辺りから、すでに習近平の意をくみ、党や政府のメディアにも「7月12日」前後を中心として異変が起きた。
「7月12日」前後に党と政府系メディアで起きた「怪」
たとえば以下のような事象が連続して起きた。
1.7月9日と12日および15日の3日間、中国共産党機関紙「人民日報」1面見出しには、習近平の文字がなかった。これは異常な現象だ。
2.CCTVも7月12日の北京時間夕方7時のニュースでは習近平に関する報道のときに、いつもはその前に付ける「中共中央総書記」「国家主席」「中央軍事委員会主席」という長い敬称を全て省いて、ただ「習近平」とのみ称してニュース原稿を読み上げた。
3.それだけでも十分に驚くべきことなのに、2回目の「習近平」を言い終わった時だ。いきなり、ニュースキャスターの前に頭から黒い布で体を覆った黒装束の男(の後ろ姿)がテレビ画面に飛び出してきて、キャスターに「差替え原稿」を渡したではないか!
視聴者はみな凍りついたことだろう。一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
不思議なことに女性キャスターは3回目の「習近平」から、いつも通り名前の前に「中共中央総書記」「国家主席」「中央軍事委員会主席」を3つとも付けた。4回目は「習近平」のみ。5回目は「習近平総書記」、6,7,8回目は「国家主席・習近平」。最も「あれ?」と思ったのは男性キャスターが9回目の「習近平」を言ったときに「習近平総書記」と言おうとして、「習近平」と「総書記」の間に、一瞬の間合いが生じたことである。
つまり、どう呼ぼうかと「言い淀んだ」のだ。おまけに目までが一瞬、泳いだ。
多くの華人華僑がざわつき、これら一連の画面をネット公開して(たとえば「これ」など)、ネットはこの「怪」に炎上。
CCTVのテレビ報道が始まってから、初めての出来事と言っていいだろう。
7月13日からは正常に戻った。
4.7月17日付けのコラム「墨かけ女子事件」でも触れたように、(7月11日の夜遅く)中国政府の通信社である新華社の電子版「新華網」に「華国鋒は自分の過ちを認めた」として、「華国鋒が個人崇拝を戒めた」過去の記事(1978年)が突然現れた。それはまもなく削除された。
一党支配体制を維持するための道具「個人崇拝」が、一党支配を滅ぼす
メディアの反応から何が見えるかというと、一つには「習近平が過度の個人崇拝を禁止したので、その意図を忖度して、従った」という側面と、「そのチャンスを捉えて、個人崇拝に反対する内部のスタッフが自分の意見を表現した」という側面だ。両方入り混じっているとは思うが、それにしても「CCTV生放送中における黒装束の男の出現」の「怪」は説明が困難で、さらに詳細な考察が必要だろう。
少なくとも言えることは、「一党支配体制を維持するための道具"個人崇拝"が、一党支配を滅ぼす」ということだ。
事実を歪曲した、日本の煽り情報を憂う
日本の一部のメディアでは、ここぞとばかりに「習近平が降ろされる」といった「鬼の首でも取った」ような中国研究者の記事が氾濫している。一党支配体制が崩壊するのは筆者も望むところだが、しかし正確な中国の政局分析をしないと、日本の国益を損ねる。しかし今ここでその反証を一つ一つ列挙するには文字数オーバーなので又の機会にしよう。
それでもせめて簡単に、以下のことにだけでも触れておきたい。
(1)習近平が7月19日から24日にかけてアフリカ諸国を訪問している間に(鬼の居ぬ間に)、李克強が勢力を挽回して経済問題で主導権を回復したという情報が見られる。日本人の耳には心地よいだろうが、これは事実とは異なる。習近平は外遊直前の7月17日に「党外人士座談会」を主宰し、経済問題を中心に討議した。外遊中に実施するよう、李克強に命じた。この会議には王滬寧も出席している。帰国後にはすぐに中共中央政治局会議を開催して李克強に経済報告をさせることになっていた。事実、習近平は帰国後の7月31日に中共中央政治局会議を開催して、李克強に実施状況を報告させている。王滬寧も出席した。CCTVが詳細に伝えた。
(2)7月12日に習近平は「中央と国家機関による党の政治建設推進会」を開催したが、王滬寧が欠席(させられて?)、その代わりに丁薛(せつ)祥が出席したので、これは王滬寧降ろしのサインで権力闘争が激化している証拠だという趣旨の分析も見られる。中国の「党と政府」の基本構造を知らないと、外部からはこのように見えてしまうのだろうかと、驚きを禁じ得ない。丁薛祥は中共中央政治局委員で中共中央書記処書記であると同時に、最も重要なのは「中央と国家機関工作委員会(工委)の書記である」という点だ。このことを知らないと、「党と国家機関による会議」には王滬寧ではなく、工委書記の丁薛祥が出席しなければならないという中国内部の政治構造が理解できないにちがいない。それ故の中国政局に対する誤読だ。
(3)習近平の7月のアフリカ外遊に王滬寧が随行していなかったので「習近平は一人ぼっち?」という分析もあるようだが、昨年の第19回党大会で、王滬寧がチャイナ・セブン入りして役割が変わったのを知らないわけではあるまい。もし王滬寧が随行したら、それこそ奇々怪々だ。中国の政治構造を深く理解せずに、日本人が喜ぶ方向に情報操作をするのは、日本国民の利益に反するのではないだろうか。
習近平はアフリカ外遊で「BRICSプラス」を形成し、31億人の共同体でアメリカに対抗し、米中貿易で有利な立場に立とうとしている(これに関しては別途、論じる)。権力闘争をしている場合ではない。彼の敵は「人民」であることを見落とさないようにしたいものだ。
[執筆者]遠藤 誉
1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会科学研究所客員研究員・教授などを歴任。著書に『習近平vs.トランプ 世界を制するのは誰か』(飛鳥新社)『毛沢東 日本軍と共謀した男』(中文版も)『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。
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遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)
研究課題「梁家河」大学問でつまずいた王滬寧
チャイナ・セブンの一人である王滬(こ)寧(党内序列5。イデオロギー担当)は、聖地化された「梁家河」(りょうかが)を「梁家河」大学問という研究課題で推進し、習近平への崇拝をさらに強化しようとしたが、それが行き過ぎてしくじってしまった。
「梁家河」というのは、文化大革命時代、習近平(1953年6月15日生まれ)がまだ15歳だった1969年1月、下放のために行った先の地名だ。正確には陝西(せんせい)省延安市延川県文安驛(やく)鎮にある村である。習近平は1975年までの7年間、梁家河にいた。
延安は毛沢東の革命の地。15歳の習近平は自ら下放先に延安を選んでいた。その後、「(自分は)延安の人」という文章を書いて、まるで「毛沢東の直系の後継者」のような正当性が自分にはあるという雰囲気を醸し出すようになる。習近平の威信を高めていくに従い、梁家河はまるで「聖地」のように位置づけられ、観光客や信奉者で賑わうようになった。
2016年9月、陝西人民出版社は『梁家河』という本を出版せよという政府からの指令を受け、2018年5月2日に出版。陝西省人民政府と陝西人民出版社による出版発表会が開催された。
2018年6月13日になると、中共中央は<『梁家河』を学習せよ>というキャンペーンを始めた。
すると今度は中国共産党新聞網(網:ネット)が「梁家河で"大学問"を感じ取ろう」という記事を載せた。
そこには習近平の次の言葉がある。
「私が人生の第一歩として学んだものは全て梁家河にある。梁家河を軽視しない方がいい。ここは大学問の地だ。」
6月22日には中国共産党新聞網が「梁家河大学問に学ぶ熱い血潮が燃えたぎる」という趣旨の報道をし、中央テレビ局CCTVでも熱く宣伝されて、中国は真っ赤に燃え始めた。
ラジオでも『梁家河』を12回連続ドキュメンタリー番組として放送した。
また華陰市中医医院という小さな組織においてさえ、その学習会を開催するという徹底ぶりだ。
そもそも今年1月から既に「中国共産党新聞網」には「梁家河は"大学問"の地だ」という報道が見られる。
こうして6月21日、陝西社会科学網は、陝西省社会科学界聯合会が「梁家河大学問を研究課題とする」と宣言し、17項目にわたるプロジェクトを組むことを発表した。
この辺りから中国共産党内からも「いくらなんでも、度が過ぎやしないか」、「これでは党規約で禁止している個人崇拝を煽ることになる」「文革の肯定につながりはしないか」といった数々の疑問の声が出始めたのである。筆者自身、中国政府高官から直接「行き過ぎだ」という憂慮の声を聞いている。
「墨かけ女子事件」が起きたのは、それから間もない7月4日のことだった。
昨年の第19回党大会以来、中共中央のイデオロギー宣伝を担当しているのは、言うまでもなく王滬寧。習近平の権威を高めてあげようと邁進していたことが裏目に出た格好になる。
映画「すごいぞ、我が国」で知識人の間に不満の素地が
そうでなくとも、今年に入ってから、他の出来事で知識人の間に不満がくすぶり始めていた。その中にはもちろん、少なからぬ中国共産党員がいる。
それは映画「すごいぞ、我が国」が上映されたことにある。
今年3月5日からの全人代(全国人民代表大会)開幕に合わせて、3月2日に封切られた。これは昨年、CCTVで報道された連続ドキュメンタリー番組「輝煌中国」を一つにまとめたものだが、初日から7億円を超える興行収入があり、どこも満席だとCCTVは自画自賛していた。
それもそのはず。チケットは強制的に買わされた「組織的動員票」だったのである。
そこに「落とし穴」があった。
中国共産党員の中の知識層も観に行かなければならない。党員でなくとも、知識層はどこかの組織に所属している。普段なら観なければ済むが、強制的に観に行かせられたために不満が充満した。
「中国人民の知的レベルをバカにしているのか」
「こんなお粗末なものを無理やり観させられて、かえって"高級黒"を感じた」("高級黒"とは「相手をすごく褒めているのだが、実は讃辞を通して暗に相手を批判する風刺手法」を指すネット用語)
「お粗末としか言いようがない」
など、数々の不満がネットにも充満した。
こんな素地の中に出てきたのが、上述の研究課題「梁家河大学問」だったのである。知識人の不満が表面化しそうになってきた時に、「墨かけ女子事件」が起きたのだ。
「7月12日」に習近平自らが過度の個人崇拝にストップをかけた
習近平は慌てたにちがいない。
今年7月12日、なんと、習近平自らがこの研究課題「梁家河大学問」を推進するのを禁止したのである。
反動を招いて、それがきっかけで自分の威信に傷が付いてしまうと警戒した習近平が、「蟻の一穴、天下の破れ」を防ぐために、あわてて個人崇拝の行き過ぎにストップをかけたと言っていいだろう。
一党支配体制を維持するために始めた個人崇拝が、結局は一党支配体制を潰す。そのギリギリの線まで来ていた。
それでも習近平の意向に沿って動くのが党と政府の慣わし。
習近平が意思表示を検討する辺りから、すでに習近平の意をくみ、党や政府のメディアにも「7月12日」前後を中心として異変が起きた。
「7月12日」前後に党と政府系メディアで起きた「怪」
たとえば以下のような事象が連続して起きた。
1.7月9日と12日および15日の3日間、中国共産党機関紙「人民日報」1面見出しには、習近平の文字がなかった。これは異常な現象だ。
2.CCTVも7月12日の北京時間夕方7時のニュースでは習近平に関する報道のときに、いつもはその前に付ける「中共中央総書記」「国家主席」「中央軍事委員会主席」という長い敬称を全て省いて、ただ「習近平」とのみ称してニュース原稿を読み上げた。
3.それだけでも十分に驚くべきことなのに、2回目の「習近平」を言い終わった時だ。いきなり、ニュースキャスターの前に頭から黒い布で体を覆った黒装束の男(の後ろ姿)がテレビ画面に飛び出してきて、キャスターに「差替え原稿」を渡したではないか!
視聴者はみな凍りついたことだろう。一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
不思議なことに女性キャスターは3回目の「習近平」から、いつも通り名前の前に「中共中央総書記」「国家主席」「中央軍事委員会主席」を3つとも付けた。4回目は「習近平」のみ。5回目は「習近平総書記」、6,7,8回目は「国家主席・習近平」。最も「あれ?」と思ったのは男性キャスターが9回目の「習近平」を言ったときに「習近平総書記」と言おうとして、「習近平」と「総書記」の間に、一瞬の間合いが生じたことである。
つまり、どう呼ぼうかと「言い淀んだ」のだ。おまけに目までが一瞬、泳いだ。
多くの華人華僑がざわつき、これら一連の画面をネット公開して(たとえば「これ」など)、ネットはこの「怪」に炎上。
CCTVのテレビ報道が始まってから、初めての出来事と言っていいだろう。
7月13日からは正常に戻った。
4.7月17日付けのコラム「墨かけ女子事件」でも触れたように、(7月11日の夜遅く)中国政府の通信社である新華社の電子版「新華網」に「華国鋒は自分の過ちを認めた」として、「華国鋒が個人崇拝を戒めた」過去の記事(1978年)が突然現れた。それはまもなく削除された。
一党支配体制を維持するための道具「個人崇拝」が、一党支配を滅ぼす
メディアの反応から何が見えるかというと、一つには「習近平が過度の個人崇拝を禁止したので、その意図を忖度して、従った」という側面と、「そのチャンスを捉えて、個人崇拝に反対する内部のスタッフが自分の意見を表現した」という側面だ。両方入り混じっているとは思うが、それにしても「CCTV生放送中における黒装束の男の出現」の「怪」は説明が困難で、さらに詳細な考察が必要だろう。
少なくとも言えることは、「一党支配体制を維持するための道具"個人崇拝"が、一党支配を滅ぼす」ということだ。
事実を歪曲した、日本の煽り情報を憂う
日本の一部のメディアでは、ここぞとばかりに「習近平が降ろされる」といった「鬼の首でも取った」ような中国研究者の記事が氾濫している。一党支配体制が崩壊するのは筆者も望むところだが、しかし正確な中国の政局分析をしないと、日本の国益を損ねる。しかし今ここでその反証を一つ一つ列挙するには文字数オーバーなので又の機会にしよう。
それでもせめて簡単に、以下のことにだけでも触れておきたい。
(1)習近平が7月19日から24日にかけてアフリカ諸国を訪問している間に(鬼の居ぬ間に)、李克強が勢力を挽回して経済問題で主導権を回復したという情報が見られる。日本人の耳には心地よいだろうが、これは事実とは異なる。習近平は外遊直前の7月17日に「党外人士座談会」を主宰し、経済問題を中心に討議した。外遊中に実施するよう、李克強に命じた。この会議には王滬寧も出席している。帰国後にはすぐに中共中央政治局会議を開催して李克強に経済報告をさせることになっていた。事実、習近平は帰国後の7月31日に中共中央政治局会議を開催して、李克強に実施状況を報告させている。王滬寧も出席した。CCTVが詳細に伝えた。
(2)7月12日に習近平は「中央と国家機関による党の政治建設推進会」を開催したが、王滬寧が欠席(させられて?)、その代わりに丁薛(せつ)祥が出席したので、これは王滬寧降ろしのサインで権力闘争が激化している証拠だという趣旨の分析も見られる。中国の「党と政府」の基本構造を知らないと、外部からはこのように見えてしまうのだろうかと、驚きを禁じ得ない。丁薛祥は中共中央政治局委員で中共中央書記処書記であると同時に、最も重要なのは「中央と国家機関工作委員会(工委)の書記である」という点だ。このことを知らないと、「党と国家機関による会議」には王滬寧ではなく、工委書記の丁薛祥が出席しなければならないという中国内部の政治構造が理解できないにちがいない。それ故の中国政局に対する誤読だ。
(3)習近平の7月のアフリカ外遊に王滬寧が随行していなかったので「習近平は一人ぼっち?」という分析もあるようだが、昨年の第19回党大会で、王滬寧がチャイナ・セブン入りして役割が変わったのを知らないわけではあるまい。もし王滬寧が随行したら、それこそ奇々怪々だ。中国の政治構造を深く理解せずに、日本人が喜ぶ方向に情報操作をするのは、日本国民の利益に反するのではないだろうか。
習近平はアフリカ外遊で「BRICSプラス」を形成し、31億人の共同体でアメリカに対抗し、米中貿易で有利な立場に立とうとしている(これに関しては別途、論じる)。権力闘争をしている場合ではない。彼の敵は「人民」であることを見落とさないようにしたいものだ。
[執筆者]遠藤 誉
1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会科学研究所客員研究員・教授などを歴任。著書に『習近平vs.トランプ 世界を制するのは誰か』(飛鳥新社)『毛沢東 日本軍と共謀した男』(中文版も)『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。
≪この筆者の記事一覧はこちら≫
遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)