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世界に吹き出したデスカフェ旋風

ニューズウィーク日本版 2018年8月22日 16時10分

<お茶とケーキを楽しみながら死について自由に語り合う――そんな場を提供する社会活動が世界で急拡大している理由>

同じ趣味や興味を持つ人同士でカフェに集まって、思う存分おしゃべりするのはまさに至福の時間。一番盛り上がれるテーマといえば、映画かサッカーか、あるいは......死についてとか?

悪い冗談のようだが、ロンドンに住むジョン・アンダーウッドは、これこそカフェでざっくばらんに語り合うべきテーマだと確信した。犯罪者の更生プログラムなどを仕事で手掛け、社会貢献につながる独自の取り組みを始めたいと考えていた彼は11年、友人6人を自宅に招いて初の「デスカフェ」を開いた。

「当時、義理の父親にこのアイデアを熱く語ったら、『死について話したがる人なんていないぞ』と言われた。幸い彼は間違っていたけどね」

もともとはスイスの社会学者ベルナルド・クレッタズが提唱したものだが、アンダーウッドがデスカフェと名付けて活動を始めると、わずか数年で世界各地へ普及した。「非営利」「誰もが安心して話せる環境づくり」「議論を誘導しない」「おいしい飲み物と食べ物を用意する」という条件さえ守れば、誰でも自分たちなりのデスカフェを開ける――そんなオープンなスタイルが追い風となり、現在までに56カ国で6600回以上開かれた(アンダーウッドは17年に病で他界したが、その後も家族や仲間が活動を続けている)。

デスカフェの最大の魅力は、まさに井戸端会議的な「緩い」雰囲気。「ケーキはとても重要。葬儀でもそうだが、食べることは死への恐怖を和らげる」と、生前のアンダーウッドは語っていた。特定のテーマを話し合うのではなく、参加者が興味のあることなら葬儀をめぐる不安から愛するペットの死まで、何でもOKだ。

結論を出したり、役立つ情報を集めるための場ではない。ただ、それまで家族にも話せなかった死への不安や疑問を率直に語り、ほかの人の話にも同じように耳を傾けるだけ。その点で講習やカウンセリングとは全く異質だ。

なぜそうした集まりに多くの人が魅了されるのか。米オハイオ州に住むリジー・マイルズが、初めてデスカフェを開いたのは12年。以来、ホスピスで働く傍ら、35回近く主催しているという彼女に、本誌・佐伯直美が聞いた。

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――毎回集まる人数と年齢層は?

私が主催しているのは16人くらい。よそでは70人近い規模のものもある。平均年齢は50代半ばだけど、年齢層は幅広い。時には20代前半から90代まで、年齢差が70歳近いこともあった。

――実際にどんな話をするのか。

(主催したもの以外も含め)これまで40回以上参加したけど、今も毎回新しいテーマに出合う。危うく死にそうになった体験や死後の世界、ゆっくり死へ向かうのと事故などで突然死ぬのとどちらがいいかといった話もあれば、面白い追悼記事について語る人もいる。

遺品の整理について、本人が事前に準備を進めていたら、家族がそうした作業を通じて絆を深める機会を奪ってしまうかもしれないと言う人もいた。



――デスカフェは悩みを相談したり、情報を得るための場ではないというわけだが、参加することでどんなふうに役立つ?

実際参加すると、ほかの人と語り合うことで自分自身について新たな発見や学びがあったと言う人が多い。死について安心して語れる――それだけでも大きな効果がある。

デスカフェのいいところは「専門家」がいないこと。参加者はほかの人との議論を通して学んでいく。私のようにホスピスで働いていて、死を目前にした人々と日々付き合っている者でさえ、毎回何かしら学ぶことがある。謙虚な気持ちになれるし、生や死について世の中にはさまざまな見方があるのだと気付かせてくれる。私の祖母は生前にいつも言っていた。「誰もが自分自身で答えを見いださなければいけない」、とね。

――参加者の多くは初対面? 知らない人といきなり死について語り合うのは難しい気がするけれど、逆にそのほうが話しやすい?

そのとおり。参加者はほとんどが初対面で、誰かと一緒に来た人はあえて席を離す。3~4人ごとにテーブルを分けて、最初は私が説明をしながら、各自に「雨の降る土曜日の午前中に、わざわざ家から出て死について語りに来た理由」を話してもらう。

誰も無理強いしたりしないから、内気な人も打ち解けやすい。5分もしないうちに、どのテーブルでも奥の深い会話が交わされるようになる。自分が話したかったことを、ようやく誰かと語り合えるのがうれしいのだろう。

――思いがけない発見はあったか。

初めてデスカフェを開いたときには、参加者が感情的になるだろうと思ってティッシュを数箱用意していた。でも実際は、そういうことはあまり起きない。(むしろ)笑い声がたくさん聞こえる。会話が変な方向に展開して、果たして全裸で埋葬することは認められるかどうかについて盛り上がってしまったこともある。

アメリカで起きている銃乱射の話がもっと出てくると思っていたけど、そうでもない。自分の町で起きたりしないと話題に上がらないのかも。

――若者にもこういう場は必要?

ポジティブな姿勢で、死について自分なりの考えを持つことは大切。それによって生き方が変わる可能性だってある。

いま私は大学の授業の一部として、デスカフェのイベントを行っている。学生は死について語れる場がない。だからそうした話をするのは不慣れだけど、デスカフェに参加した人たちは、たくさんの学びがあったし、役に立ったと言ってくれる。高校や大学などの授業でも、もっと死についての教育を取り入れていくべきだと思う。

<本誌2018年7月24日号「特集:人生が豊かになる スウェーデン式終活」より転載>



佐伯直美(本誌記者)

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