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名ドラマ『大地の子』の養父役、朱旭さんに見た「古きよき中国の父親像」

ニューズウィーク日本版 2018年9月20日 16時0分



9月15日、中国の名優が亡くなった。朱旭さん、88歳。朱さんの名前を聞いてもピンとこない日本人がほとんどだと思うが、朱さんは中国を代表する俳優のひとり。日本とも縁が深く、40代以上の日中関係者の間ではよく知られた存在だった。

最も強く印象に残っているのは、1995年にNHKで放送されたドラマ『大地の子』だ。これは山崎豊子の小説をもとに、NHKの放送70周年記念番組として中国中央電視台(CCTV)と共同で制作したものだった。

内容は中国残留日本人孤児の波乱万丈の人生を描いたものだ。主人公の陸一心を当時無名の新人だった上川隆也が演じ、その養父役(陸徳志)を朱旭さんが演じた。主人公が人買いにあって裸にされ、道端で売られているところを養父である陸徳志が救い出し、自分の子どもとして育てるが、「小日本鬼子(日本人の蔑称)」といじめられ、苦労しながら成長する。そして日本の支援を受けた中国で初の製鉄会社でエンジニアとして活躍し実の父親と対面する。苦難を乗り越えようとする一心を陰で支える愛情深い父親が朱さんだ。



中国残留日本人孤児とは第二次大戦直後、中国に取り残された日本人の子どものことだ。混乱の中、日本に引き揚げる両親とはぐれたり、両親が長い道中を連れていくことができないなどさまざまな理由で中国に置き去りにされた子どもたちで、数千人から数万人に上るといわれている。

1991年に出版された小説『大地の子』はそうした事実に基づき、山崎が中国の農村にまで出向き、300人以上の残留孤児にインタビューし、8年もの歳月をかけて書き上げた労作だ。

「真実を書け」と言った胡耀邦

山崎が後に執筆時を振り返って書いた「『大地の子』と私」(文春文庫)によれば、ほとんどの孤児が生活のために働き詰めで、ろくに学校にも行けなかったが、たったひとりだけ大学まで進学させてもらえた孤児がいた。その孤児の逸話を聞き、小説の主人公の姿が思い浮かんだ、と回想している。取材を開始した1984年当時、中国での取材は非常に難しかったが、胡耀邦総書記(当時)の後押しがあったからこそ、やり遂げることができたという。

小説やドラマの中では文化大革命で主人公が味わった悲惨な経験も表現されているが、いまだに中国ではタブーといわれている文革をここまでリアルに描いている同作品が果たした意義は大きい。

胡総書記は山崎にこう語ったといわれている。

「中国を美しく書いてくれなくてもいい。中国の欠点も、暗い影も書いて結構。ただし、それが真実であるならば」

こんな骨太の指導者が中国にいたからこそ、小説もドラマも非常にリアルに当時の中国を描くことができたのだ。



名シーンはいくつも存在する。たとえば、病気にかかった一心を助けるお金がなく、やむなく日本人がかつて住んでいた街にリヤカーに乗せていくが、かわいそうで結局家に連れて帰るシーン。労働改造所に収容されている一心を助けるために北京に直訴に行くシーン。労働改造所から数年ぶりに帰ってくる一心を何日間も駅で待ち続けるシーンなど......。

とくに実の父親(仲代達矢)が現れて家に訪ねてきたシーンではとっさにアドリブで「ありがとう」と日本語を話したことが印象的だった。養父としての複雑な心境と寂しげな表情に多くの日本人が感動の涙を流した。

実在の養父母の中には孤児を働き手としてしか見ず、いじめた人もいたことは確かだが、山崎が取材した人のように、敵であった日本人の子どもでも愛情深く育て、実の親子のように強い絆で結ばれた人も少なくなかった。

まだ日本で報道される中国情報が非常に限られていた時代、生身の中国人が喜怒哀楽を表現する姿など、ほとんど想像もできなかった日本人が多い(逆も同じだったが)。そんな中、「中国人も日本人も同じ人間だったんだ」「日中の間にはこんな歴史があったのか」ということをこのドラマから学んだ人は多かった。そうした意味で、このドラマは強烈な印象を日本人に残した。

主役を演じたわけでもない朱さんの訃報は、中国ではもちろん、日本のほとんどの大手新聞に掲載された。彼の姿は「古きよき中国の父親像」として、これからも語り継がれることだろう。

[執筆者]
中島 恵(なかじまけい)ジャーナリスト
山梨県生まれ。北京大学、香港中文大学に留学。新聞記者を経てフリージャーナリスト。
中国、香港、台湾、韓国などの社会事情、ビジネス事情などを雑誌、ネット等に執筆している。主な著書に『中国人エリートは日本人をこう見る』、『中国人の誤解 日本人の誤解』、『なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか』、『爆買い後、彼らはどこに向かうのか』、『中国人エリートは日本をめざす』、『なぜ中国人は財布を持たないのか』、『中国人富裕層はなぜ日本の老舗が好きなのか』などがある。

中島恵公式ホームページ



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中島恵(ジャーナリスト)

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