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「全員アジア系」の映画『クレージー・リッチ』がアメリカで大ヒットした理由 - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2018年9月27日 16時20分

<原作、監督、俳優の全員がアジア系の映画『クレージー・リッチ』が大ヒットしている。内容自体に目新しさはないラブコメがここまでヒットしたのは......>

話題の映画『クレージー・リッチ(原題は "Crazy Rich Asians")』は、ハリウッド作品としては珍しい「オール・アジア人」のキャスティング、つまりアジア人の原作、アジア人の監督でアジア人を描いた映画です。そんな作品が巨大な北米映画市場で「3週連続興収1位」になるというのは1つの事件です。

もちろん、アメリカでも中国の張芸謀(チャン・イーモウ)監督や、台湾の李安(アン・リー)監督の作品が「外国文芸映画」としてヒットすることはありました。ただ、張監督の場合は「外国映画扱い」でしたし、李安監督の場合はハリウッドのスタジオの製作で「オール・アジア人」の作品ではありません。北米で不思議な売れ方をした『グリーン・デスティニー』(原題は「臥虎蔵龍」)は中国・台湾などとの合作でした。

ハリウッド製作のアジア人の物語で、ヒットした作品というと、少々古いのですが『ジョイ・ラック・クラブ』(原題は "The Joy Luck Club"、原作エイミ・タン、監督ウェイン・ワン)という1993年の映画まで遡るように思います。

それにしてもこの『クレージー・リッチ』、3週連続1位というのは大変な記録です。累計の興行収入も、26日時点で1億6000万ドル(約180億円)に達しており、2018年(まだ3カ月残っていますが)のランキングでも11位につけています。『オーシャンズ8』や『マンマ・ミア2』を上回っているのですから圧倒的です。

原作は、シンガポール系アメリカ人のケビン・クワンが書いたヒット小説で、自身が経験したり、見聞きした「シンガポールのスーパーリッチ」のライフスタイルを細かく描写したことが、小説としては人気を呼んだとされています。

この映画ですが、社会的には「ホワイトウォッシング」を「やめた」というエピソードが有名です。つまり「米国の多数派観客」を意識して、主役に白人俳優に起用して翻案する手法を、原作者が「拒否」したというエピソードです。

このホワイトウォッシングは、例えば『攻殻機動隊』のスカーレット・ヨハンソンや、『アロハ』のエマ・ストーンなどは、それぞれアジア系の役なのに、白人キャラに変えられた役を受けたとして、大きく批判されていました。

本作の場合は元来が、華僑コミュニティにおける「中国系アメリカ人」と「シンガポール華人」の行き違いが重要な要素となっており、主要な人物を白人にしてしまうと全体が破綻するというのが原作者の主張でした。その主張が通り、結果的に「ホワイトウォッシング」ではなく、オール・アジア人キャストで作ったところが、多数派の観客にも大きく支持されたという結果になりました。その点で、この作品はハリウッドの歴史を変えたと言って良いと思います。



では、この作品が大変な傑作かというと、それは違うと思います。全体は、何とも昭和風といいますか、日本でブームになった韓流ドラマとでも言うようなベタなラブコメであり、それ以上の作り込みはされていません。

公開直後にシンガポールに行く機会があったのですが、地元メディアでも「シングリッシュ(英語のシンガポール方言)が出てこない」とか「マレー系やインド系を含めた多民族国家の現実が無視されていて残念」といった批判が出ていました。シンガポールの描き方にしても、絵葉書的な底の浅い表現が目立っていたように思われます。

そんな作品がどうして「3週連続1位」になったのでしょうか?

1つには、本作では「結婚するには家族の、特に男性の母と祖母の承認を取り付けないといけない」とか「名家に嫁に行くというのは家族共同体の一員になること」といった保守的な価値観がテーマになっています。個人主義のアメリカでも、そのような家族観にノスタルジーを持つ人は一定数います。ですが、現在のアメリカを舞台に、そんな保守的なカルチャーを描いたら、全く不自然になってしまいます。そこで、アジアを舞台にしたドラマであれば、違和感なく入り込めるというわけです。ある種のステレオタイプの視線かもしれませんが、作っているのがアジア人ですから悪いことはないだろうということでしょう。

2番目には、全米でアジア系があらゆるコミュニティに浸透しており、全く違和感がなくなったということが背景にある、とは言えるでしょう。

3番目としては、国際ビジネスに関係している人には、シンガポールの繁栄は実感として常識になっており、その周辺にいる人々を好奇の対象として見ることはあっても、不快感を感じるような層は消滅しているという事実はあると思います。

4番目としては、(多少ネタバレになりますが)主人公である中国系のアメリカ人女性が「アジア度が足りない」として一種のイジメにあう中で、観客は彼女に感情移入して応援するような仕掛けになっている点です。アメリカの非アジア系の観客にしても、その「アメリカ代表」が奮闘する姿に共感しているという点もあると思います。

このように映画としては、ベタなラブコメという大量消費エンタメ作品ではあるのですが、観る人間の立場によって様々な感想が出てきそうなのが、この作品の特徴だと思います。華僑の本家である中国、あるいは経済成長の歴史ではシンガポールに先行した日本のマーケットで、どう受け止められるかが興味深いです。

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