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日本経済を「復活」させた、リーマン・ショックの衝撃

ニューズウィーク日本版 2018年10月2日 17時0分

<バブル崩壊後の「失われた20年」を運命論的に受け入れていた日本にとってリーマン・ショックは強力なカンフル剤だった>

時間は時に速さが変わり、数週間が数年のように感じられることがある。08年9月がまさにそうだった。米投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻をきっかけとしたパニックは瞬く間に国際金融システム全体に広がり、世界経済はどん底に落ちた。

日本にはこの危機の責任は一切なかったが、世界最悪レベルの打撃を受けた。名目GDPは9%下落し、その影響から完全に立ち直るのは16年になってからだった。だが意外なことに、この08年9月の人災は11年3月の自然災害(東日本大震災)と共に、バブル崩壊後の停滞を運命論的に受け入れていた日本にショックを与え、回復への道を開くことになった。

現在、日本の景気拡大は6年目に突入した。労働市場は堅調で、この間の東京株式市場の総収益率は(アメリカには及ばないが)欧州や新興国の市場を優に上回っている。日本の国際的な存在感も高まった。日本は今やTPP(環太平洋経済連携協定)の事実上のリーダーであり、訪日外国人観光客や留学生も大きく増えている。

だからといって、自己満足と惰性に浸るのは大きな誤りだろう。現在の低い金利水準が示すように、先進国の経済問題は解決したとは到底言えない。

世界金融危機に先立つ20年間、日本が経験した長い経済的停滞については、海外の識者も日本の当局者も特殊な日本的現象とみていた。

日本の当局者は、国内消費が振るわないのは日本の世帯が既に欲しい商品を全て所有しているためだと思い込んでいた。人口減少を考えれば経済の停滞は必然であり、財政・金融政策を通じた景気刺激は金融システムの崩壊を招くと考えていた。

一方、多くの外国人識者は、日本は経済の常識が通用しない不可解な別世界になったのでは、という懸念を持った。不動産価格と株価は上がるどころか年々下がり、投資家は極小レベルの利子しか付かない国債を買い続けた。

何より奇妙だったのは、ついにインフレに勝ったと自画自賛する欧米の中央銀行を尻目に、日本がデフレに突入したこと。1930年代以来、ほとんどの先進国では見られなかった現象だ。

だが、リーマン・ショックが全てを変えた。欧米は突然、自国の「日本化」を現実の可能性として意識した。そして時間の経過とともに、日本の「失われた20年」について新たな「修正主義」的見解が勢いを増していった。

バブル崩壊と金融問題の規模を考えると、日本は経済的な面でもよくやったのではないか。確かにGDPは低迷したが、日本経済は崩壊しなかった。大量失業が何年も続くこともなかった。



政治的・社会的な面の成果はさらに印象的だった。日本社会の結束は維持され、グローバル化への反発やポピュリスト政治家の台頭も見られなかった。

ノーベル賞経済学者のポール・クルーグマンは14年にこう断言した。「日本はかつて(ああなってはいけないという)教訓話の題材だったが、その他の世界がひどいへまをやらかした後では、ほとんどお手本のように見える」

このコメントについて早稲田大学の若田部昌澄教授(現日銀副総裁)は、アメリカの政治的分断という文脈の中で理解すべきだと指摘し、中年男性の自殺率の急上昇など、日本の長期的な経済停滞がもたらした人的被害を過小評価すべきではないと警告した。

経済成長こそが唯一の道だ

この議論には決定的に重要なポイントが1つある。深刻な金融危機の後には常に、不確実性と想定外の事態が付きまとうということだ。確実な救済策はこれだと自信満々で断言することは、クルーグマンを含め誰にもできない。

最善の策はそもそも金融危機を起こさないことだが、言うは易く行うは難し。破綻当時のリーマン・ブラザーズでチーフグローバルエコノミストを務めていたポール・シェアードの言葉を借りれば、金融危機の可能性は現代金融システムの「バグ」ではない。設計上の「仕様」なのだ。

もっとも、意識改革が必要なのは日本の当局者も欧米当局者と同じだ。残念ながら、日本は組織的なプライドと惰性ゆえに、量的緩和政策の導入で欧米に大きく後れを取った。

12年末の総選挙後に安倍晋三首相が再登板するまで、日本の政策論議は財政・金融タカ派に支配されていた。特に有害だったのが、日本は(世界最大の債権国であるにもかかわらず)「過剰債務」を抱えているという意識だ。

当時は1ドル=80円の円高が日本の製造業を窒息させ、日経平均株価は8000円、有効求人倍率は40年間で最悪レベルにあった。にもかかわらず、議論の中心は財政再建とリフレ政策(金融緩和で人々のインフレ期待を高めてデフレ脱却を図る)の危険性だった。「痛みを伴う構造改革」こそ繁栄への道、というのが当局者の常識だった。

この考え方は金融危機以前、小泉純一郎首相の時代の支配的イデオロギーだった。当時の経済状況は良好に見えたが、内実はお寒い限りだった。大手輸出企業は好調だったが、国内のデフレ基調は根強く残っていた。リーマン・ショックが襲ったとき、国外の成長頼みの実態が残酷なまでに露呈した。

現在の日本はずっと健全な状態にある。国内を主な市場とする非製造業は60年間で最高の利益率を記録。人手不足は自動化と技術革新への投資を促し、アジア人旅行者のビザ緩和はインバウンド観光を強力に後押しした。

ただし、当局者の間には以前の政策に戻ろうとする危険な兆候がある。日銀の守旧派とメディアや学界の同調者は、量的緩和の終了を働き掛けている。財務省の官僚たちは安倍首相を脅し、不要な消費税増税を実施させようとしているかのようにみえる。

過去のこうした動きは最悪のタイミングで行われた。日銀による最後の金融引き締めは、世界金融危機の始まりと同時だった。97年の消費税増税は、アジア通貨危機と日本国内の不良債権問題が顕在化するなかで実施された。

日本やその他の国々の当局者を納得させるために、再び大きな景気後退が必要......とはならないことを願う。リーマン・ショックの影響がまだ色濃く残る世界では、緊縮財政と金融引き締めではなく、経済成長こそが唯一の進むべき道だ。

<本誌2018年9月25日号「リーマンショック10年」特集より転載>


ピーター・タスカ(経済評論家)

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