Infoseek 楽天

トランプ時代のアメリカでは、炭酸飲料の香料まで訴訟の標的に - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2018年10月9日 19時20分

<今のアメリカは「声の大きな人間」が幅を利かせる時代――無害なはずの香料も集団訴訟のターゲットになってしまう>

アメリカの清涼飲料水業界では、いわゆるコーラ系の飲料は長期低落傾向にあります。その代わり、2000年前後までは「アイスティー」が流行し、また「スターバックス」などの「アイスコーヒー」も登場しています。ですが、近年最も人気があるのは「セルツァー」などと呼ばれる「スパークリング・ウォーター(炭酸水)」です。

スパークリング・ウォーターといえば、フランスのペリエやイタリアのサンペレグリノなどが有名で、アメリカでも大変に人気があります。ですが、こうした輸入ブランドは比較的高価なので、これに対して国産の安い製品がシェアを伸ばしている状態です。

そのなかでも「ラクロア」という飲料は、カロリーゼロで、淡いフルーツ風味が付加されていることで飲みやすいのと、欧州風の缶のデザインが洗練されていることで、ヒット商品となっていました。ペリエより安いとはいえ、コーラ系飲料の倍近い価格でも売れており、ビジネスとしても成功例になっています。

その「ラクロア」が、集団訴訟(クラス・アクション)の標的にされてしまいました。ABCテレビが報じたところでは、イリノイ州を舞台に大規模な訴訟が提起されているというのです。

訴えの趣旨としては、「この飲料は『オールナチュラル(全て天然成分)』と言いながら、ゴキブリ用の殺虫剤を香料として使用しており、消費者を欺いている」というのです。

ターゲットとされているのは「リナロール」という成分です。確かに、この「ラクロア」には香料として使用されています。と言いますか、全世界で非常に有名であり、芳香剤、香水、飲料、食品などに幅広く使われている「香料」です。そして、恐らくは、工業的に生成されたものであると思われます。

では、ゴキブリ殺虫剤というのは本当かというと、これも間違いではありません。リナロールは、虫の嫌う芳香を放つので、多くの殺虫剤に使われているからです。

虫には有害なら人体に対してはどうかというと、人体に対する安全性は各国で証明されています。端的にいえば、リナロールというのは、コリアンダー、オレンジ、ジャスミン、ラベンダーなどの芳香成分の一部であり、人類は有史以前から摂取してきたと考えられるからです。



原告が敵視している「人工合成」についていえば、近年のリナロールは、アセチレンなどから生成されることが多く、大量生産がされてきました。では、人工香料とすべきなのかというと、天然由来のリナロールと同じ分子構造であることから、特に両者を区別する必要もないし、人工合成であると表示する必要もないというのが、国際的な慣行になっています。

ABCテレビの報道を受けて、食品安全の専門家である南カリフォルニア大学薬学部のロジャー・クレメンス講師は、「リナロールが危険だという指摘はないので、この飲料だけでなく、安心して摂取してください」と述べていました。その上で「リナロールが問題になるのなら、自然由来のリナロールの入っているオレンジジュースや、ライム果汁もダメということになります」とも指摘していました。

この種の問題ですが、アメリカというのは比較的「安全」と「安心」の乖離の少ない、つまり科学的な結論をストレートに受け入れる社会だと思われてきました。例えば、遺伝子組換えの植物に関しては、日本や欧州においては「自然に対する作為」であり危険性が排除できないという感覚が強いわけですが、アメリカでは「危険度は交配による品種改良時に突然変異が起きるリスクと同じ」だとして、抵抗感は少なかったりします。

しかしながら、今は「トランプ時代」です。声の大きな人間、あえてケンカ腰の姿勢を取って相手を追い詰める人間が勝っていく時代であり、また「真実」というものが2つも3つもあるというのが平気で理解される時代でもあります。ナマの感情論をそのまま社会に持ち込むことも多くなっています。

そんな中で、「最もローカロリーで、安全だと思われていた」ファッショナブルな「スパークリング・ウォーター」に「ゴキブリ殺虫剤」が入っていたという「ストーリー」は勝ってしまうかもしれません。仮にそうなれば、一部の弁護士と、それに煽られた一部の原告以外は、全員が不幸になってしまう危険を感じます。

【お知らせ】ニューズウィーク日本版メルマガのご登録を!気になる北朝鮮問題の動向から英国ロイヤルファミリーの話題まで、世界の動きをウイークデーの朝にお届けします。ご登録(無料)はこちらから=>>


この記事の関連ニュース