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サウジを厳しく追及できないイギリスの冷酷なお家事情

ニューズウィーク日本版 2018年10月16日 19時20分

<サウジアラビアが反体制ジャーナリストを殺害したという疑惑の真相は明らかにならない可能性が高い。イギリスも含め、サウジとの関係悪化を望まない国があまりにも多いからだ>

サウジアラビアの著名ジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏が今月2日を境に姿を消し、サウジ政府に殺害されたのではないかという疑惑が国際的に波紋を広げている。

トルコ・イスタンブールのサウジ領事館に入っていった姿が最後となったカショギ氏は、サウジ王室の政策を批判したことで国内にいられなくなり、米国に移住。ワシントンポスト紙のコラムニストとしてジャーナリズム活動を続けてきた。トルコ捜査当局は、カショギ氏が領事館内で殺害されたと見ている。

仮にサウジ王室が「政権批判をするジャーナリストを殺害した」とすれば、「言論の自由の封殺」だ。しかも、「英語圏で言論活動をするジャーナリスト」でもあり、国際社会の注目度はがぜんと高くなった。

トランプ米大統領は記者団に対し、もしサウジ政府の関与が判明した場合、「厳罰を科す」と述べている。

しかし、実際には米国、サウジアラビア、トルコの間ではこれ以上王室批判が高まらないよう、手打ち工作が進んでいると言われている。ビジネスへの影響や中東政治の力学の面から、米国もトルコもサウジアラビアと良好な関係を持つ方が理にかなうからだ。

筆者が住む英国ではハント外相がサウジのジュベイル外相に電話し、メディア報道に「大いなる懸念を抱いていること」を伝えたほか、英独仏の外相名でサウジに真相究明を求める声明を出しているが、実は英政府にとってもサウジ批判はできれば避けたいところだ。

英国の「お家事情」に注目してみた。

英国の武器輸出の大手顧客がサウジアラビア

サウジアラビアは18世紀ごろから現在まで、サウド王家が支配してきた。国名はアラビア語では「サウド家のアラビア」で、正式な建国は1932年だ。国民は厳しいイスラム教の宗派ワハビ派の戒律を厳守することになっている。

そんなサウジと英国の結びつきだが、近年、その関係は深まるばかり。英国からサウジアラビアへの輸出額は2017年で42億ポンド(約6200億円)。10年前よりも120%の増加である。輸出項目は機械、航空機、武器、自動車など。サウジからの輸入(半分以上が石油)は24億ポンド。これは10年前の2倍以上である。

世界の武器産業の動向を追うシンクタンク「ストックホルム国際平和研究所」の調査によると、2013年から17年の5年間でサウジに最も武器を販売していたのは米国(61%)、次は英国(23%)だった。サウジの主要武器輸入はその5年前との比較で3倍以上増えている。

同じく2013年から17年の5年間で英国の武器輸出はこれ以前の5年間と比較して37%増加しており、輸出先のトップはサウジアラビア(49%)、これにオマーン(19%)、インドネシア(9・9%)が続いた。



2015年から続いているイエメン内戦にサウジアラビアが軍事介入し、人道上の危機が発生しているが、サウジに対する国際的批判に米英政府は口が重い。

カショギ氏事件の前になるが、イエメンでのサウジの軍事行動を戦争犯罪とする批判に対し、メイ英首相は「英国市民の生活を安全にする」と正当化した。ビジネス面ばかりか、中東情勢の安定化、イスラム系テロを防ぐためにサウジとの連携を維持することを重要視する発言だった。

英国にとっての「国益」

英国にとって、サウジアラビアと良好な関係を築くことが何もよりも重要であることを示した事例は、過去に何度もあった。

筆者が見聞した中で、特に忘れられない事件を紹介したい。

2000年11月、サウジアラビアの首都リヤドで数件の爆破テロ事件が発生した。後に反政府勢力による犯行という見方が定説になっていくのだが、当時サウジで働いていた英国人、カナダ人、ベルギー人らの外国人数人がテロ事件の容疑者として逮捕・投獄された。

その一人となったのがカナダと英国の二重国籍を持つウィリアム・サンプソン氏だ。ほかの容疑者とともに爆発物を仕掛けたとされ、当局に拘束中に取調官によるレイプを含む拷問を受けて、サウジアラビアのテレビで「告白」を強要された。実際には無実であったがサウジの法廷では有罪とされ、死刑判決を受けて2年以上の投獄生活を送った。

2003年から04年にかけて、各国政府の外交努力や「囚人交換」措置によって全員が釈放された。

サンプソン氏と数人の元受刑者は「アムネスティ・インターナショナル」など慈善組織の支援を得て、拷問、不当禁固による損賠賠償やサウジアラビアの内務省を訴える裁判を英国で開始した。2004年、控訴院の判断でいったんは訴える権利を得たが、2006年、最高裁の判断で「国家免責法」(1978年)によって、その権利は与えられずに終わった。
 
筆者は、2006年にサンプソン氏にあるイベントで話を聞く機会を持った。「自分は拷問を受けたので、『殺人を犯した』と嘘の自供をせざるを得なかった。今でもこの汚名が晴れていない」と悔しさをにじませた。

「私たちがサウジアラビアで拷問を受けていたことを、英政府は知っていたのではないか」と自説を語ったサンプソン氏。「多額の武器取引を反故にしたくなかったら、何もしなかったのではないか」。

2012年、サンプソン氏は心臓発作で亡くなった。

「国益」のため、捜査を終了させた英政府

もう1つ、記憶に残るのが英国最大の防衛関連企業BAEシステムズの賄賂疑惑である。

2006年12月、BAEシステムズによるサウジアラビアへの兵器売却をめぐる汚職疑惑を捜査中だった英重大不正捜査局が捜査を突然打ち切ると発表して、英国内外を驚かせた。



当時問題視されたのは、BAEシステムズのサウジアラビアに対する総額430億ポンドの武器売却契約で、80年代半ばから段階的に契約が続いてきた。

2003年、BAEシステムズが巨額の賄賂を使って契約を取っていたとする疑惑を英ガーディアン紙が報道し、重大捜査局が腰を上げた。

06年、捜査打ち切りの理由について、時のゴールドスミス法務長官は「国益を守るため」と説明した。

ブレア首相(当時)も「サウジアラビアは英国にとって、テロ対策や中東情勢の面から非常に重要な国だ。捜査の進展で悪影響を及ぼすのは、国益に反する」と発言した。

真相は闇の中になった。

しかし、その後、ガーディアンや英BBCなどが調査報道を続け、米英の捜査当局も新たな汚職疑惑を追跡。2010年、米司法省はBAEシステムズに対し海外汚職行為防止法、武器輸出管理法などにかかわるビジネス慣行について虚偽の情報を提供していたとして4億ドルの罰金を科した。

筆者は2006年以来、先のサンプソン氏の件も含めて、「一体、本当の国益と何なのか」という疑問を感じるようになった。

数人の英国人などが「犠牲」になっても、ある国との外交関係が良好にできれば、補って余りあるものなのか。また、賄賂問題の暴露で武器契約が解消されたら、多くの人が仕事を失う。サウジアラビアは今度は他の国からより多くの武器を買うだろう。それが例えば、英国が外交上の敵とみなすロシアになってもいいのだろうか?

いずれにしても、トランプ大統領はカショギ氏の殺害疑惑についてサウジ王室をかばうような発言をするようになっており、現在までに殺害された「証拠」なるものがかなり出てきているように見えるが、真相が明らかにされない可能性は大きい。サウジアラビアとの関係悪化を望まない国があまりにも多いからだ。

[執筆者]
小林恭子(在英ジャーナリスト)
英国、欧州のメディア状況、社会・経済・政治事情を各種媒体に寄稿中。新刊『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス(新書)』(共著、洋泉社)

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小林恭子(在英ジャーナリスト)

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