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安田純平氏シリア拘束のもう一つの救出劇「ウイグルチャンネル」

ニューズウィーク日本版 2018年11月8日 17時0分

<シリアでの拘束から3年4カ月ぶりの解放――交渉の背景には知られざるウイグル人の存在が>

トルコ南部のハタイからシリア北部のイドリブ県に15年6月22日深夜に密出国し、翌23日に何者かに拘束されたジャーナリストの安田純平氏が、3年4カ月ぶりに釈放され帰国した。

ウイグル問題を研究する私がこの件に関わったのは、安田氏が行方不明になった後の7月4日、彼の友人である常岡浩介氏から「救出に協力してほしい」と依頼されたことがきっかけだ。中国政府に弾圧されたウイグル人亡命者への聞き取りをしていた私には、イドリブ県のウイグル人勢力とチャンネルがあった。

当時、多くのウイグル人がシリアの反体制武装勢力ヌスラ戦線の中に「トルキスタン・イスラム党」という組織名で義勇軍として参加していた。中国で独立運動を始めるため、軍事技術を習得することが目的だった。世俗的な考えの者が多くを占める彼らなら話しやすい。

それから間もなく勤務先の大学に来た妻の深結(みゅう)氏にも会い、「できる限りのことをする」と伝えた。私は15年8月から9月にかけてトルコのイスタンブルに行き、情報を集めた。私以外にもシリア人で日本滞在歴の長いムハンマド・シハブ氏らが情報収集を始めており、同時期にトルコにやって来た。

安田氏は、シリアと国境を接するトルコの街アンタキヤで知り合ったムサ・アムハーンという英語ガイドを雇った。ムサの兄弟はシリアのイスラム武装勢力アフラルシャームの兵士で、この人物が安田氏の身柄を引き受け、取材に同行する算段だった。ムサはISIS(自称イスラム国)に殺された後藤健二氏の通訳ガイドでもあった。

ムサが紹介した安田氏のシリアへの道先案内人はムサの遠縁だった。シハブ氏によると、安田氏の身柄を拘束したのは越境先のシリア側で手広く密輸などを生業とするマフィアの頭目アブ・アル・ハサンとその一味で、道先案内人も組織構成員とのことだった。道先案内人はこの事件の発覚後間もなく一切の連絡がつかなくなった。私は道先案内人と現地の拘束者はグルだったのでは、と思っている。

ウイグル人「密使」を派遣

安田氏によれば、拘束者から「7下旬に『日本政府にカネ要求する、おまえは人質だ』と言われた」という。それ以降、身代金要求を担当する犯人グループの「代理人」が複数現れ、前述のシハブ氏や日本人ジャーナリストの藤原亮司氏らが接触した。しかし安田氏の家族も外務省も「身代金は出せない」という立場だった。

その頃、シリアで人質を人身売買しているのは既に常識だったから、身代金を払わずにいれば、いずれもっと危険な組織に売られて後藤氏と同じ目に遭いはしないかと私は危惧した。15年8月、私は身代金を支払わない方法を模索するため、在トルコのウイグル人社会に働き掛けた。

それからしばらくして、ウイグル人やウイグル義勇軍の求めに応じて協力してくれたヌスラ上層部は、拘束者を突き止めたようだった。彼らからは「密貿易をしていた拘束首謀者と思われる人物を襲撃し、投獄した。彼らはヌスラと取引がある末端の人物だ」との連絡を受けた。



シリアのイドリブ県でロシアのヘリコプターを墜落したと誇示する元ヌスラ戦線のメンバー(16年) Ammar Abdullah-REUTERS

私は16年2~3月と同年8月、17年2月にもトルコに渡航して情報収集した。その間、安田氏の新たな拘束者となったヌスラ戦線のリーダーであるムハンマド・アル・ジャウラニに「安田氏を無償釈放してほしい」との要望を伝えるため、イスタンブルからウイグル人の「密使」を2度送った。知人のアラビア語ができるウイグル人を密出国させてシリアの戦地へ行かせるのだが、彼らにも家庭があるので心が痛んだ。

シリアに派遣したウイグル人からある日「シリア側から『交渉の窓口は一本化してほしい。なぜ複数の窓口があるのか』と言われた」と伝えられた。その頃から「エージェント」を名乗る人々が複数現れ、ヌスラ側に交渉を持ち掛けていた。

16年3月と5月には安田氏の囚人服姿などの映像がネット上に現れ、トルコ在住のシリア人が身代金交渉の窓口として億単位の金を要求するようになっていた。要求額は大きくなる一方で、18年になると私はトルコへの渡航もやめた。自費で調査するのはもう限界だった。

安田氏直筆の英文の手紙

安田氏は帰国後、「(拘束末期の18年)3月31日にロの字形で平屋の、トルキスタン部隊の施設に移動した」と証言した。トルキスタン部隊とは、トルコに近い地域に居住するトゥルクメン人、シリアに入り込んでいるウイグル人、そして中央アジアのテュルク系民族であるウズベク人・クルグズ人・カザフ人など諸民族の連合部隊のことだ。

この頃、複数回にわたって私に、「いつトルコに来るのか、重要な話がしたい」とトルコ在住のウイグル人から連絡が来たが、私は渡航をしなかった。

すると電話やSNS、メールでは重要なことは書かないし言わないウイグル人が「仕方がない」と3月末にSNS上に送ってきたのが、安田氏直筆の英文手紙の写真だった(編集部注:既に公開されている英文の手紙とは別のもの)。「どうしてこれを手に入れたのか」と写真を送ってきたウイグル人に聞くと、「彼の釈放に向けた話がしたいので、大至急来てほしい」とのことだった。

手紙には詳細な家族の名、妻と一緒に行ったレストランの名、帰国への希望を持っていると家族を思いやる言葉があり、脅迫されたような文言は一切なかった。

ロシアによる空爆以降イドリブは壊滅的打撃を受け、武装組織が外国人人質をその地に置き続けるのが負担となり、何とか解決をしようとしているようだと、トルコ在住のウイグル人は見立てていた。さらに、中国新疆ウイグル自治区で強制収容所が大量に造られ、大勢のウイグル人が収監されるようになったこの時期、ヌスラ戦線が解体した後のトルキスタン・イスラム党内のウイグル人上層部の中に「罪なき日本人を拘束し続けてよいのか」という強い声があったとも聞いている。



10月23日深夜に安田氏解放のニュースを聞いてから、私は2日ほど寝込んだ。直接会ったことのない安田氏と帰国後、SNS上で対話をしたが、拘束者への憎悪の気持ちを語る言葉に、私は悲しみを抱いた。

安田氏は11月2日の記者会見でも、拘束者たちに過酷な扱いをされたことを強調した。その中に含まれるウイグル人組織も、もちろん一枚岩ではない。組織の中にもおそらくさまざまな意見はあっただろう。だが、解放までに尽力してくれたウイグル人がいたことは事実である。

この問題を担当する外務省邦人テロ対策室には実は実質的な決定権はない。他国には存在するインテリジェンス機関も日本には存在しない。だからと言って、人の生死に関わることを「民間ボランティア」にさせるのはあまりに酷だ。

この件に関わったことについて、私は今でもそれがよかったのか、心が揺れている。

<本誌2018年11月13日号掲載>



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水谷尚子(中国現代史研究者)

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