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ベルギー王室、ダブル不倫と隠し子認知問題に揺れる

ニューズウィーク日本版 2018年11月9日 18時0分

<先王のアルベール2世が不倫でできた娘を認知せずに逃げ回っていても、ベルギー国民は「大人の対応」>

ベルギーは、フランス語圏(ワロニー)とオランダ語圏(フランドル)の対立のため、現在では、ワロニーとフランドル、それにブリュッセル首都圏の3つの地域政府に分かれた連邦となっている。

フランス語圏とオランダ語圏ではニュースへの関心の持ち方も扱いも違うのだが、11月6日の新聞はめずらしく同じニュースが一面を飾った。

「ジャック・ボエルはデルフィーヌの父ではない」(Le Soir)
「司法は、アルベールⅡに親子鑑定を求める」(La Libre Belgique)
「プリンセス? 遺産?『デルフィーヌは認知を望んでいる』」 (Het Belag van Limburg)

かねてから、先王アルベール2世の子だと主張していた彫刻家デルフィーヌ・ボエル(50)さんの認知問題について、先月25日にブリュッセル控訴裁判所が、アルベール2世に3カ月以内にDNA鑑定を受けることを命令したことが、デルフィーヌさんの弁護士によって明らかにされたのである。

アルベール2世は、フィリップ現国王の父で、2013年7月21日に健康問題を理由に生前退位している。

暴かれた秘密

デルフィーヌの母、シベル・ド・セリス=ロンシャン女男爵(セリス夫人)は、実業家ジャック・ボレル氏と結婚していたが、1968年2月22日に当時皇嗣殿下だったアルベール2世の娘デルフィーヌを生んだ。アルベール2世もパオラ妃と結婚していたのでダブル不倫ということになる。

セリス夫人は、「私は子供ができないと思って油断した。問題があったのは夫の方だったなんて」と2013年9月にフラマンのテレビVierに語っている。

アルベール2世に認知訴訟を起こしたデルフィーヌ・ボエル。後ろはアルベール2世の不倫相手だったとされるボエルの母、セリス夫人(2017年2月、ブリュッセル)Francois Lenoir-REUTERS

セリス夫人はボレル氏と離婚、娘とともに、1976年、ロンドンに移住した。「君主制を危険にさらさないためです。国の運命は私よりも重要でした」と彼女は説明している。

アルベール2世はいちおう皇嗣ではあったが、4歳年上の兄のボードワン国王は、アルベール2世の長男フィリップ(現国王)の王位継承を望んでおり、国民もそうなるものだと思っていた。ところが、1993年7月31日ボードワン国王が心不全により42歳の若さで突然亡くなってしまう。ちょうどフランドルの分離独立運動を受けてベルギーを連邦制にするという極めて難しい時期にあたり、23歳のフィリップが新王では荷が重い、ということで、アルベール2世が即位した。

デルフィーヌさんのことを王室はひた隠しにし、わずかにイタリアの雑誌に漏れただけで済んでいた。ところが、1999年に出版されたパオラ妃の伝記に(自伝という報道もあるが、誤り)この「事件」が書かれていた。



その年のクリスマスのお言葉でアルベール2世は、「王妃と私は30年以上前に危機に瀕していましたが、この困難を乗り越え、深い絆と愛情を取り戻しました。最近、この危機がまた蒸し返されました。この私達の私生活に属する問題を長々と話す気はありません。しかし今日、同様の問題に遭遇した人々は、私たちの経験に希望を見出せるでしょう。私たちはとても幸せなのです」と暗示した。

だがそのあとも、デルフィーヌさんへの認知は拒み、ついに2012年6月、デルフィーヌさんは国王アルベール2世を相手に認知訴訟を起こした。その理由を、国王の隠し子であることが公然の秘密になってため、英国の銀行から証明を求められているが出せないため怪しい人物にみられて口座を閉鎖するといわれているなど、さまざまな被害を被っているからと説明している。

ベルギーは世界で一番古い立憲君主制の成文憲法をもつ国で、国王は不可侵となっている。そこで、この訴訟が成立するのか否かの憲法論争にまで発展した。

DNA鑑定を頑なに拒否

そうこうするうちに、アルベール2世が退位した。そこで、デルフィーヌさんは、前の訴訟を取り下げ、あらためて、新しい訴訟を起こした。

憲法で不可侵が定められているのは、国王だけである。退位したアルベール2世はもはや国王ではないので憲法の規定の適用外となる。そこでこの訴訟は簡単に受理された。

ボレル氏はDNA鑑定を受け、デルフィーヌさんの父ではないことがはっきりした。だが、アルベール2世は鑑定をかたくなに拒否しつづけた。

第1審は、「ボレル氏は生物学的な父親でなくても、父と子としての愛着が結ばれていたので事実上の父子である」という不思議な判決だったが、控訴裁判所は「権利上も事実上も父子ではない」としたのである。

命令が出ていてもDNAテストを拒否することは出来る。しかし、デルフィーヌさんの弁護士は「テストを受けなければ、父であることの明らかな証拠だ」という。

フランス語圏の「ル・ソワール」紙の論説はいう。

「アルベール2世がデルフィーヌ・ボレルの父親であるかどうかがわかるテストをやりさえすればずっと『簡単』だっただろう。ずっとまえに一件落着だ」

たしかに、先王に庶子がいたことが判明したら、金銭、家族、儀礼その他の結果に対処しなければならなかったであろう。 しかし、娘と国王があらゆる法的手段を使って対立するよりもずっと穏やかで、双方に損害が少なかったのではないか?



そうすれば、ただでさえ破壊的で重たいこの究極の家族紛争がカメラに曝されることもなかっただろう。 アイデンティティや父を求めることを誰が連続ドラマにしたいと思うだろうか? 「誰もいない、夫婦生活が暴きたてられることに慣れている王家の人でさえも」

そして、まだ時間があった時に、秘密裡に和解で「デルフィーヌ事件」を収拾すべきであったという。

フランドルとワロニーの対立のために、もし国王がいなければ国はとっくに分裂していただろうといわれる。国王は、ベルギーを一つの国家として繋ぎとめ、文字通り「国民統合のシンボル」になっている。そもそもベルギーは、カトリックのワロンにカトリック教徒のオランダ人がプロテスタントのオランダから分かれて合体したものだ。国王にはカトリック教徒としての徳が要求される。

しかし、この事件について、そのような(前)国王としての資質についての批判、ましてや君主政の賛否についての議論はまったくあがっていない。たまたま王族に生まれた人間としての私的な出来事と国家を支える制度・職能としての国王とを混同せず、過剰な倫理観を押し付けることもなく、ベルギー国民は「大人の対応」をしている。

[執筆者]
広岡裕児
1954年、川崎市生まれ。大阪外国語大学フランス語科卒。パリ第三大学(ソルボンヌ・ヌーベル)留学後、フランス在住。フリージャーナリストおよびシンクタンクの一員として、パリ郊外の自治体プロジェクトをはじめ、さまざまな業務・研究報告・通訳・翻訳に携わる。代表作に『EU騒乱―テロと右傾化の次に来るもの』(新潮選書)、『エコノミストには絶対分からないEU危機』(文藝春秋社)、『皇族』(中央公論新社)他。

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広岡裕児(在仏ジャーナリスト)

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