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観光復興を目指すシリアの光と影

ニューズウィーク日本版 2018年11月21日 19時15分

<アサド政権が経済再建の足掛かりとして外国人観光客の誘致を始めたが専門家は戦火のリスクがまだまだ高いと警告>

10月28日にシリアの首都ダマスカスで、休館していた国立博物館が6年ぶりに一部再オープンした。戦闘が続くなか、正常を取り戻しつつあることをアピールするアサド政権の思惑がちらついている。

政府は内戦の勃発から1年後の12年に、国中に広がる戦火から文化財を守るために博物館を閉鎖。収蔵品の大半は秘密の場所で保管されていた。

博物館の再開は、シリアの豊かな文化遺産が「テロリズム」に破壊されていないという「真のメッセージ」であると、ムハンマド・アフマド文化相は語っている。

7年に及ぶ内戦で35万人以上が命を落とし、1100万人以上が国内外に避難した。政府軍は今春、ダマスカスを制圧。国内では戦闘が続き、アサド政権は反政府軍の最後のとりでを攻撃しているが、その一方で観光と投資の促進に乗り出している。

シリア観光省は、国際展示会やソーシャルメディアで宣伝を始めている。観光省のフェイスブックのページは頻繁に更新され、アラビア語だけでなく英語でも、イベントの告知や観光業の求人情報などを掲載。戦争で破壊された観光地を、洗練された動画で紹介している。

10月末にもシリア西部のホムスを紹介する動画が投稿された。息をのむような美しい景色が左右に広がり、緑に覆われた山や谷の壮大な眺めが続く。戦争という現実が、はるか遠い世界のことに思える。

観光省のマーケティング部門責任者バッサム・バルシクは今年1月、スペインの首都マドリードで開催された国際観光見本市(FITUR)に参加した際に、年内に少なくとも200万人の観光客を呼びたいと語った。内戦が始まる前年の10年は観光客が850万人だったことを考えれば、ささやかな目標だ。

FITURのシリアのブースでは、北部アレッポや中部パルミラといった古代遺跡都市を宣伝していた。いずれも最近までテロ組織ISIS(自称イスラム国)の支配下にあり、数多くの遺跡が破壊された。

バルシクによれば、昨年は130万人の外国人がシリアを訪れている。「今年はシリアの国と経済の再建が始まる」

活気が戻ったダマスカス

レバノン出身のランド・エル・ゼイン(27)はヨーロッパの大学の博士課程で学んでいる。彼女は今年9月、レバノンに帰省して家族に会った後、ダマスカスを訪れた。

活気あふれるにぎやかな雰囲気に感銘を受け、生まれ育った首都ベイルートより暮らしやすそうに思えたほどだ。「ダマスカスがあんなに自転車に優しい街だとは、本当に驚いた」



もっとも、バイクなどの燃料を買う余裕がないことも理由の1つかもしれない。商店の人々は、自転車は懐にも環境にも優しい乗り物だと彼女に言った。

女性の1人旅でも安心だったとも、ゼインは言う。時々「卑猥な言葉を投げ掛けられたが、世界のどこへ行ってもあることだから」。

シリアにはキリスト教やイスラム教の神聖な寺院も多く、宗教観光も以前から盛んだ。ゼインがダマスカスを訪れたのは、シーア派最大の宗教行事アシュラの直前。シーア派の重要なモスク、サイイダ・ザイナブ廟の参拝に来た人が多かった。

31歳のレバノン女性カウサルは5〜6月のラマダン(断食月)中にダマスカスに遊びに行ったと、本誌に語った。それまではシリアに旅する友人を「頭がおかしい」と思っていたが、情勢が落ち着いてきたと判断。友人たちの誘いに乗って小旅行に出掛けることにしたという。

日没後の飲食が許される時間帯になると「旧市街は買い物やそぞろ歩きを楽しむ地元の人たちでにぎわっていて、平穏な光景だった」。一方で、短い滞在の間にも多くの国内難民を目にしたのも事実だ。

今度はもっと時間をかけてシリア各地を訪れたいかと聞くと、「もちろん」と、彼女は答えた。「多くの都市が破壊されたのは知っているけれど、復興のプロセスを自分の目で見てみたい」

とはいえ反政府派の支配下にある地域もまだかなり残っている。シリア政府軍側の攻撃に加え、米軍主導の有志連合による空爆も一部地域で続いている。ダマスカスや北西部ラタキア県の沿岸部など比較的安定した地域でも、テロや爆発事件は後を絶たない。国外に避難したシリア人の一部は比較的安全な地域に戻り始めたが、帰国をためらっている難民のほうがはるかに多いと、アナリストは指摘する。

「シリア観光を検討している人には警告したい。戦火が収まってきたようにみえても、今はまだ非常に危険だ」と、オランダのコンサルティング会社カタリスタスのシリア専門家、アビバ・スタインは本誌に語った。「外国人観光客を誘致できれば経済は上向くだろうが、シリアは全体としてはまだ不安定。予測不能の大規模攻撃や爆発のリスクが常にある」

文化財以外の「観光資源」

スタインによると、いま起きている攻撃の多くは、シリア政府が自国民に仕掛けたものだ。「何百万もの人々が家を追われ、多数の都市が破壊された。シリア経済を牛耳るのは、そうした惨状を招いた政権だ。そんな国に観光でカネを落としていいのか、よく考えてほしい」

シリア難民の中にはアサド政権が居座っている限り、祖国には戻りたくないと思っている人たちも多い。

「現政権は信用できない」と言い切るのは、母国で投獄され拷問を受け、国外に逃れた活動家のジュード・アシュだ。「彼らが正常化や和平合意を唱えても、説得力を持たない」



米国務省はシリア渡航に関する勧告で今なお「テロ、社会的混乱、武力衝突」が続いているため、あらゆる旅行を控えるよう警告。英政府もシリアの状況は「極めて不安定で危険だ」と述べ、国民に注意を呼び掛けている(編集部注:日本政府もレベル4の「退避勧告」を解除していない)。

それでもゼインによると、シリア政府は入国管理手続きで優先するなど、非アラブ系外国人の観光誘致に力を入れているようだ。隣国レバノン人はビザなしでも入国できるという。

ゼインは、人々に出会うだけでもシリアに旅する価値はあると話す。「何を差し置いてもダマスカスの市民は素朴で親切。寛大で情が深い」

皮肉にもこの国の最も魅力的な「観光資源」は、アサド政権が後生大事に守っていた文化財ではなく、化学兵器の標的にした市井の人々かもしれない。

<本誌2018年11月20日号掲載>



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ジェイソン・レモン

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