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LGBTへ集団暴行や市長の根絶宣言まで インドネシア、性的少数者への人権侵害が止まず

ニューズウィーク日本版 2018年11月26日 13時0分

<来年春に大統領選挙を控えたインドネシアでは、大多数のイスラム教徒の規範が少数派への迫害に暴走する危うい状況に──>

インドネシアでの「性的少数者(LGBT=レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)」に対する暴力、弾圧などの人権侵害が後を絶たずに相変わらず続いている。世界最大のイスラム教徒人口を擁するインドネシアではあるが、イスラム教を国教とはせず寛容の精神で「多様性の中の統一」を維持しているものの、圧倒的多数を占めるイスラム教徒の思想、規範、習慣がときに法律を越えて国民のモラルに干渉するケースがこのところ続き、人権団体などから危機感を訴える声が上がっている。

11月19日深夜、首都ジャカルタ近郊の西ジャワ州ブカシで女装した男性のトランスジェンダー2人が追いかけてきた数十人の男性の群衆に集団暴行を受ける事件があったことが明らかになった。

トランスジェンダーの2人は仲間たちとの集会に行く途中で、バイクに乗って市内を深夜に徘徊していた集団に見つかり追跡され、その後バイクを下りてきた集団に囲まれたという。

地元メディアが周囲の目撃者の話しとして伝えたところによると、2人はそれぞれカツラをむしりとられ、1人は女装していた服を強制的に脱がされたうえ、殴られるなどの暴行を受けた。集団の中には長さ約50センチの金属製の棒を振りかざう者もおり、「お前ら男だろ」「ベンチョン(インドネシア語でおかまの意味)は罪だということを知っているだろ」などと恫喝して服を脱がせていたという。

トランスジェンダーの2人は泣きながら許しを乞い、「アッラーアクバル」などとイスラム教の神の名を唱和し続けたが、集団の男たちは「お前らおかまにアラーはいない」「アラーの名前を口にするな」「お前らはこの世に生まれてくるべきではなかったのだ」などと罵り続けたという。

目撃者によると25歳位の男性が行き過ぎた行為を何度か止めようとしたが、14〜20歳位までの若者は制止を振り切って、暴行を続けたしている。

その後、集団はバイクに乗って現場を立ち去り、近くの商店の店員などがトランスジェンダー2人に服を着せて介抱し、警察へ通報するように促したが、2人は警察への通報をしたがらなかったという。

その後、この暴行・人権侵害事件について地元警察が本格的捜査に乗り出した、との報道は流れていないことから、被害者の「泣き寝入り」となったものとみられている。

インドネシアではこうしたLGBTへの一般人、それもイスラム教徒が公然と人権侵害する事件が相次いでおり、国際的人権団体やインドネシア国内のLGBT関連組織や人権組織も深い憂慮を表明している。しかし警察をはじめ、政府部内、国会議員の中にも「LGBTへの嫌悪感」を公然と示す人たちがいることから、インドネシアのLGBTの人たちには苦難の道が続いている。



市長が「LGBT根絶宣言」する異様さ

そんななか、スマトラ島西スマトラ州のパダン市では現職の市長がLGBTの人々を市内から根絶すると公の場で発言する事態になっている。同市のマフイェルディ・アンシャルッラ市長は11月8日、市内の競技場に市民を集めて行われた集会で「不道徳な行為を行う者、LGBTはパダン市に住むには相応しくない」としてLGBTなどの"不道徳"を市から根絶する方針を明らかにした。そのために来年度から市内を巡回する警備員を増員して、「不道徳根絶」の監視を強化するという。地元メディアが伝えた。

市長にとってLGBTの人びとは市民ではなく、根絶するべき不道徳者であるというのだが、これが地方自治体の長の公の発言であるところに現在のインドネシアの社会状況の異様さと偏狭ぶりが象徴されているといえる。

インドネシアではイスラム法の適用が認められている北西端のアチェ州以外の州ではLGBTの存在は禁止されていない。つまり合法的存在である。にもかかわらずイスラム教徒であっても「非イスラム教徒扱い」され、市民であっても「根絶対象の不道徳者」扱いされる状況となっている。

背景には2019年の大統領選も

インドネシアは2019年4月に大統領選、国会議員選を控え、実質的な選挙運動がスタートしている。大統領選には現職で再選を目指すジョコ・ウィドド大統領が著名なイスラム教指導者を副大統領候補として出馬しており、対立候補のプラボウォ・スビヤント氏は若いジャカルタ特別州前副知事を副大統領候補に指名して選挙戦を展開している。

2組4人の正副大統領候補はいずれもイスラム教徒で、両陣営共にインドネシアで最大の票田となるイスラム教徒票の取り込みが最大の課題となっている。

各種イスラム教組織、団体の中には多数派の穏健派から少数派ながら原理主義派、急進派も含まれており、「イスラム教徒の意向、主張」に対し、公然と反対することは選挙戦での敗北に繋がりかねない「禁じ手」となっているのが残念ながら現状と言わざるを得ない。

従って「LGBTの人権保護」「少数派の意見や立場への尊重」などという通常の価値観に基づく発言や行動が「反イスラム的」であるとして指弾や攻撃の的になる傾向が一層強まっているのだ。そしてその結果として本来機能すべき、警察、司法、政府機関が等しく「沈黙あるいは無視すること」を決め込んでいるのが選挙を前にした今のインドネシアということができる。

2019年4月9日の投票日に向けてインドネシアは今後さらに「少数者」「異端者」「弱者」、そして「非イスラム教徒」にとって世知辛い社会に変容していく懸念が高まっている。


[執筆者]
大塚智彦(ジャーナリスト)
PanAsiaNews所属 1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など

大塚智彦(PanAsiaNews)

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