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剛腕ゴーンが落ちた「コンプライアンス・クーデター」の闇

ニューズウィーク日本版 2018年11月29日 16時40分

<日産を救った立役者のカルロス・ゴーンが逮捕......「不正告発クーデター」は日本企業に根付くのか>

11月19日、日産のカルロス・ゴーン会長が東京地検特捜部に逮捕された。役員報酬を約50億円過少に記載するという有価証券報告書の虚偽記載の疑いだ。同日夜の西川広人社長による記者会見では、内部通報をきっかけに社内調査を始めたこと、ゴーンと側近のグレッグ・ケリー代表取締役が有価証券報告書の虚偽記載だけでなく、投資資金の不正支出と会社経費の私的利用にも手を染めていた疑いがあると明らかにされた。

日産、仏ルノー、三菱自動車の3社連合を束ねるトップの突然の逮捕劇は世界に衝撃を与えたが、今回の事件は法令遵守違反を糾弾することで経営トップを追放する「コンプライアンス・クーデター」の側面がある。司法取引が合法化された日本で、今後この「クーデター」が広がるかもしれない。

報道によれば、今年の3月頃、日産社内で内部通報が寄せられ、限られた幹部が極秘に社内調査を開始した。日産はオランダでベンチャー投資目的の子会社「ジーア」を設立していたが、ジーアから英領バージン諸島に設立された孫会社に資金が移動され、孫会社がブラジル・リオデジャネイロのコパカバーナビーチにあるリゾート物件を約5億円で購入。さらに孫会社はレバノンの別会社を買収し、その会社を通じてベイルートの高級住宅を約10億円で購入した。2つの物件はゴーン自ら自宅用として選定したもので、購入・改装等の費用は合わせて20億円を超えたという。

次に、ゴーンが実姉とアドバイザー契約を締結し毎年10万ドル前後を支払っていたが、実姉はコパカバーナのリゾートマンションに住むだけでアドバイザーとしての勤務実態が確認できないことも分かった。

さらに、有価証券報告書の役員報酬を過少に記載させていた。特捜部の逮捕における直接の被疑事実は、ゴーンが10〜14年度の5年間、合計約99億9800万円を得ていたにもかかわらず、有価証券報告書上は約50億円少ない総額約49億8700万円の記載をさせていたというものだ。しかし17年度までの8年間で見ると、過少記載された総額は計約80億円に達しているという。

ゴーンは株価連動型インセンティブ受領権(SAR)として約40億円の報酬を得ていたが、これも記載していなかった。子会社の管理や資金の移動など一連の実務処理を担っていた法務担当の外国人専務執行役員と日本人幹部社員が調査に協力し、東京地検との間で司法取引に応じたと伝えられている。

要するにゴーンにコンプライアンス違反があったということだが、これが日産に対する背任容疑にまで広がるかどうかは定かではない。まず海外不動産物件の購入だが、会社役員用の社宅や福利厚生のために法人が不動産を購入することは珍しいことではない。ゴーンとその家族が独占的に使用していたという実態があったとしても、不動産価額が減少していなければ、投資判断として適切だったと言える可能性がある。

仮に損害が発生していたとしても、オランダ、バージン諸島、レバノンの関連会社を通じて複雑に作り上げられた不動産購入スキームに、特別背任罪などを適用できるかは微妙だ。実姉のアドバイザー契約も、ゴーンに電話や口頭で助言を与えていたなど、勤務実態があったと抗弁する可能性がある。今回の逮捕容疑が、客観的に明らかな有価証券報告書の虚偽記載だけになったのは、そうした事情が考慮されたからだろう。



記者会見で日産の西川はゴーンの「罪」を明らかにしたが Issei Kato-REUTERS

しかし、有価証券報告書の記載は一般に公開されていた既知の事実だ。なぜこのタイミングで問題になったのか釈然としない。ゴーンが「個人情報だからSARは記載しないように」などと高圧的に指示した事情があったとしても、財務情報の開示は上場企業の法人としての義務であり、日産は会社として8年も虚偽記載を放置していたことになる。「アメリカなら証券詐欺に当たる重罪だ」と戒めることもなく会社として黙認してきたとすれば、当時の取締役の善管注意義務違反も問われかねない。にもかかわらず、なぜ日産はゴーンの不正を告発したのか。

密約が引き金になった?

事件の背景にあるのが、仏ルノーと日産の経営統合戦略だ。

日産株を43・4%保有しているルノーの稼ぎの約半分は日産がたたき出している。ルノーの筆頭株主である仏政府は近年、アライアンスの維持だけでは飽き足りず、「不可逆的な連携」として、ルノーによる日産の統合を推進させる圧力を強めてきていた。財政再建策として国有企業株の売却を推し進めているフランス政府は、影響力の希釈化を防ぐべく14年に株式を2年以上保有している株主の議決権を2倍にするフロランジュ法を成立させており、ルノーでの発言力も倍増している。

今年6月のルノー株主総会でゴーンが会長に再任されるに当たり、それまでアライアンスの現状維持路線を取っていたゴーンとエマニュエル・マクロン仏大統領との間で「日産の経営統合を行う」という密約が交わされたとの噂も流れた。

危機感を抱いたのは日産である。99年の資本提携で経営危機から救済してくれた恩があるとはいえ、現在の経営状況の実力からするとルノーに統合されるのは容認し難い。アライアンスの守護神であったはずのゴーン会長が統合へ舵を切る姿勢を見せたことが呼び水となって「ゴーン追放」の機運が高まった可能性がある。

ゴーンを告発する「内部通報」が半年前にもたらされたのが単なる偶然か、それともこのような機運の中での戦略的な動きだったかは不明だ。

司法取引が生んだ造反劇

いずれにせよ今回の事件は、コンプライアンス違反を糾弾することで経営トップの追放に成功したという意味で、コンプライアンスを錦の御旗に掲げた「クーデター」の一種だったと言える。日産側からすれば組織を防衛するための「義挙」かもしれないが、司法捜査当局を巻き込んで組織トップを追放したに等しいのであればクーデターのそしりは免れない。

今回のコンプライアンス・クーデターを可能にしたのが、18年6月から施行された日本版司法取引である。これまでは、内部告発を行えるだけの十分な情報を持っている社員は、自身が違反行為に関与していることが多く、その場合、自分も摘発されてしまうことを恐れて告発を躊躇せざるを得なかった。しかし司法取引の導入によって、他人の刑事事件で捜査に協力すれば刑事処分の減免を受けることが制度的に担保されたのだ。

コンプライアンスを大義に掲げた腐敗の糾弾は、法令遵守という、いわば最強の錦の御旗を掲げるものであるが故に、しばしば権力闘争における権力維持あるいは奪取の手段として用いられる。例えば、中国の習近平(シー・チンピン)政権による権力確立過程で多くの政敵が腐敗を理由に摘発され、失脚した。

ベトナムやサウジアラビアでも同様に、腐敗撲滅が大義に掲げられて有力者が失脚している。これらは権力を奪取するクーデターというよりも、既に権力を有している側による政敵の排除だ。正確には綱紀粛正と言うべきだが、歴史的には腐敗糾弾を掲げて政権を崩壊させる本来の意味でのクーデターも多くある。



企業もそうした動きに無縁ではない。15年6月、孫正義社長の後継者として鳴り物入りでソフトバンク代表取締役副社長に就任したニケシュ・アローラがわずか1年で「任期満了」に伴い退任したのは、ソフトバンクとの利益相反に当たる投資取引を行っているのではないかという匿名の告発をきっかけとした特別調査の直後だった。

退職金を含めて、役員報酬として300億円を超える巨額の金銭を短期間で手にしたアローラ退任の経緯については、今年になってソフトバンクが特別調査委員会を設置して再検証を開始したが、利益相反の疑惑追及が社内関係者の内部告発によるものだった可能性がある。そうだとすれば、これも一種のコンプライアンス・クーデターだったと言える。

虚偽の自白を生むリスク

今回の事件は、司法取引を前提としたコンプライアンス・クーデターが今後、日本で本格化する可能性を示している。コンプライアンスには誰も正面から異議を唱えられないからだ。

17年には米ウーバーの創業者トラビス・カラニックCEOが、セクハラなどのコンプライアンス違反の管理責任を問われ辞任に追い込まれたことは記憶に新しい。CEO自身ではなく、部下のセクハラなどのコンプライアンス違反の管理責任を問われたという「間接型」だが、コントロールが難しかったじゃじゃ馬CEOを投資家が追い落としたという点ではクーデターだ。

しかし、企業のコンプライアンス違反を口実とした「クーデター」には、捜査機関との司法取引で都合の良い虚偽の自白が行われるリスクもある。日本企業はこの「両刃の剣」を使いこなせるのだろうか。

<本誌2018年12月4日号掲載>




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北島純(経営倫理実践研究センター主任研究員)

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