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中国パワーに追い詰められる台湾映画界

ニューズウィーク日本版 2018年12月4日 17時15分

<台湾独立に触れた監督発言で露呈した、中華圏映画界の超シビアなパワーシフト>

台湾の映画関係者にとって、目の前に横たわる中国市場はとてつもなく魅力的な存在であると同時に、とてつもなく息苦しい存在だ。魅力的である理由はもちろん、13億人という巨大な市場規模。反対に息苦しい理由は、中国当局の厳しい検閲システムだ。

しかも中国政府にとって、台湾の独立は、わずかにほのめかすことさえ許さない危険なトピック。その「タブー」に触れれば、中華圏の映画界におけるキャリアを断たれる恐れもある。それだけに、台湾の俳優や監督ら業界関係者は慎重な言動を心掛けてきた。

ところが11月17日、台北で開かれた第55回金馬奨授賞式で、台湾の独立が突然映画界の話題の中心に躍り出た。台湾の金馬奨は、香港電影金像奨(香港)、金鶏百花映画祭(中国本土)と並ぶ中華圏の3大映画賞の1つで、歴史的には最も長い伝統を持つ。

その金馬奨で今年、『我們的青春、在台湾(私たちの青春、台湾)』という作品がドキュメンタリー賞を受賞した。14年に台湾の学生たちが立法院を占拠した「ひまわり学生運動」を描いた記録映画だ。

事件が起きたのはそのときだ。舞台に上がった傅楡(フー・ユー)監督が、いつか台湾が「真に独立した存在」として認められることが、「台湾人として最大の願いだ」と受賞スピーチを締めくくったのだ。会場にいた中国の俳優や監督の間で、不穏な空気が流れたのは言うまでもない。やがて主演女優賞のプレゼンターとして登壇した中国の俳優、涂們(トゥー・メン)は、「また中国台湾に来られてうれしい」と、強烈にやり返した。

授賞式の様子は中国本土でも放送されていたが、傅が台湾独立に言及するとすぐに、中継は打ち切られた。無理もない。中国政府は台湾を、「中国の不可分の領土」と見なし、武力による「再統一」を日常的にほのめかしてきた。国内メディアが、台湾の独立を議論することさえ一切許していない。

中国セレブの相次ぐ反発

その一方で、授賞式の中継が許可されたこと自体が、そもそも驚きと言えるかもしれない。なにしろ金馬奨は14年にも、中国で放送禁止になっている。理由は、日本統治時代の台湾を描いた映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』が複数の部門にノミネートされたため。『KANO』は野球映画だが、日本の台湾支配をポジティブに描き過ぎていると中国当局は考えたようだ。



審査委員長を務めた中国本土出身の女優・鞏俐(コン・リー) Tyrone Siu-REUTERS

香港電影金像奨も、17年に同じような目に遭っている。中国返還前の香港の裏社会を描き、作品賞に決定した『大樹は風を招く』が、暗に中国返還を批判したものと受け止められたのだ。このため中国本土では、直前になって授賞式の中継が取りやめになった。

今年の金馬奨ドキュメンタリー部門は、14年の香港反政府デモ「雨傘運動」を描いた『傘上:遍地開花』も候補に挙がっていたから、中国当局がもともと中継に神経質になっていた可能性もある。

ドキュメンタリー賞や主演女優賞の発表後、ピリピリした雰囲気が最高潮に達したのは、作品賞の発表だった。通常なら大会委員長と審査委員長の2人が発表する場面だが、舞台に上がったのは、台湾出身の映画監督であるアン・リー大会委員長だけ。審査委員長を務めた中国出身の大女優、鞏俐(コン・リー)は観客席に座ったままだった。

中国のネチズンたちは大喜びして、ソーシャルメディアには鞏の毅然とした「無言の抗議」を絶賛する投稿があふれた。鞏が本当に愛国心からそんな態度を取ったのかどうかは分からない。ただ、傅に理解を示すような態度を取れば、中国政府や愛国主義者たちから猛攻撃を浴びることは分かっていたはずだ。

実のところ金馬奨は、1962年の創設当初から政治色が強かった。もともと国民党の独裁政権がプロパガンダ目的で創設した映画賞であり、政府の「マンダリン映画政策」を実践する手段だった。台湾に移住してきた国民党関係者が話すマンダリン(北京語)での映画製作を推進して、大衆の国民党支持を高めようとしたのだ。

一方、「金馬」という名前は、金門県と馬祖島の頭文字から取られた。いずれも地理的には台湾より中国に近く、台湾政府が長年「中国に奪われるのでは」と危機感を抱いてきた島だ。

中国も金馬奨に対抗して、63年に百花映画祭を創設したが、すぐに文化大革命が起きて休眠状態に陥った。その間に台湾と香港では映画産業が大きく成長し、金馬奨は中国語圏最大の映画賞へと成長した。

崩れる「文化では対等」

マンダリン政策の影響から、金馬奨は約20年間、マンダリン映画しか受け入れていなかったが、香港映画の興隆を受けて、83年からは広東語の映画も受け入れるようになった。一方、中国本土で製作された映画に門戸を開いたのは、ようやく96年のことだ。

当時の中国はまだ、経済発展という意味でも、文化的な影響力という意味でも、台湾を大きく下回っていた。そんななか中国と香港の合作『太陽の少年』が金馬奨作品賞を受賞したことは、中国にとって大きな勝利となった。それは台湾にとっても、本土の文化を真剣に見つめ、お互いの共通点を探ることに前向きになるきっかけとなった。



今年の授賞式後、苦々しい表情のリーは、金馬奨に政治が持ち込まれず、「映画産業への敬意」が優先されるようであってほしいと語った。それは年配の監督や俳優に共通する心情だ。彼らにとって映画とは、中国が門戸を開き始めた80年代に、共通する歴史や伝統を見つける重要な手段だった。本土の映画人の中にも、台湾の独立問題が映画の世界に持ち込まれたことに、苦々しさを感じる声が多く聞かれるのはそのためだ。

だが近年、台湾の人々にとって、独立問題で沈黙を守ることは、台湾が存続する政治的余地をことごとくつぶそうとする中国政府のたくらみに迎合する行為と見なされるようになってきた。今年の金馬奨は、文化の世界では台湾も香港も中国も対等だという前提が寓話にすぎなかったことを露呈した。

今後、金馬奨は難しい選択を迫られるだろう。創設当初の政治色と地域色の強い映画賞に立ち返るか、世界の国々と同じように中国のパワーの前にひれ伏すか。二つに一つだ。

<本誌2018年12月4日号掲載>




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ローレン・テシェイラ

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