Infoseek 楽天

韓国の埋もれた歴史「在日同胞留学生スパイ事件」が、いま掘り起こされる

ニューズウィーク日本版 2019年1月16日 17時0分

<在日韓国人が韓国でスパイに仕立て上げられ、拷問を受け、何年も収容される――。そんな軍事独裁政権時代の知られざる事件に、ルポルタージュ『祖国が棄てた人々』が光を当てる。被害者の証言、時代背景、加担したヤクザ......。当時、何があったのか>

2018年9月に日本で公開され、現在も各地で上映されている『1987、ある闘いの真実』という韓国映画がある。

全斗煥による軍事独裁政権下の1987年1月、民主化運動に加わっていたソウル大生の朴鐘哲(パク・ジョンチョル)が警察に連行され、苛烈な水拷問を受けて命を落とした。警察は遺体を火葬して証拠隠滅を図ろうとしたが、死に疑問を持った検事や記者、刑務所の看守などが真実を暴き出そうと奔走する。

そのさなか、朴鐘哲の殺害に抗議するデモに参加した大学生の李韓烈(イ・ハニョル)が、鎮圧部隊が放った催涙弾を後頭部に受ける。国民の怒りと政府への不信は頂点に達し、人々は声をあげる――。



実際の事件を元に、架空の人物も登場させながら国民の手で民主化を果たすストーリーが支持され、韓国内で700万人以上の観客を動員した。いわば運動のシンボルでもある朴鐘哲が拷問を受けた場所は保存・公開され、李韓烈が通っていた延世大学には、追悼碑が設置されている。

ソウル市内の旧治安本部対共保安分室(現警察庁人権センター)にある、朴鍾哲記念展示室。この部屋で実際に拷問されていた(筆者提供)

彼らのように記憶され、語り継がれる軍事独裁政権の犠牲者がいる一方で、今までほとんど話題にされてこなかった犠牲者たちがいる。それが1975年に起きた「11.22事件」をはじめ、1960年代から80年代にかけて韓国内でスパイ容疑をかけられた、在日韓国人の青年たちだ。

韓国の日刊紙「ハンギョレ新聞」元主筆の金孝淳(キム・ヒョスン)氏による『祖国が棄てた人びと――在日韓国人留学生スパイ事件の記録』(明石書店)は、彼らがなぜ韓国に留学した途端スパイに仕立て上げられたのかについて、当事者のインタビューや当時の記録をもとにまとめたルポルタージュだ。2015年に韓国で出版され、邦訳版が2018年11月に刊行された。

でっち上げで凄惨な拷問に

1975年11月、在日韓国人留学生21人が検挙される「11.22事件」が起きた。中央情報部(KCIA・当時)は被疑者を「母国への留学生を装って韓国内の大学に浸透した在日韓国人スパイ」と公表した。北朝鮮からの指令を受けて、スパイ行為のために留学した罪で拘束したのだ。しかし中には確かに北朝鮮と関係がある者もいたが、スパイ行為についてはいずれも、完全なでっち上げだった。

当時の在日韓国・朝鮮人の間には朝鮮総連と民団(在日本大韓民国民団)のイデオロギー対立はあったものの、日本に住んでいる限り多様な思想に触れたり、書物を読み仲間と闊達な議論を交わす自由は保障されていた。

またその頃は、韓国の金大中元大統領が東京滞在中に拉致・誘拐され、韓国では民主化を求める詩人の金芝河に死刑宣告が下される時代でもあった。そして

 日本のメディアでは、朴正煕独裁政権の悪行が比較的詳しく報道されていた。韓国の現状をそのまま伝えるニュースを通して母国の現実に接した在日韓国人学生たちが糾弾デモを行うのは、当然な怒りの表現だとみることができよう。

と金孝淳氏が語るように、韓国の現状は日本でも報道され続けていた。



中には、自らの渡韓前に留学生が逮捕されている噂を聞いていた者もいた。だがアイデンティティに悩んだ若者が、どんな場所であろうと自身のルーツを知りたいと思うのは当たり前のことだ。それは在日韓国人に限ったものではないし、誰かに咎められるものでもない。

しかし、彼らを待っていたのは決してありふれてはいない、朴鐘哲が受けたのと同様の凄惨な拷問だった。

例えば被害者の1人で京都出身の李宗樹(イ・ジョンス)さん(60)は、京都精華短期大学在学中の1980年に韓国に留学した。ずっと通名を使っていたが、日本人のふりをして生きる自分が息苦しくなっていった。大学に進学した頃「韓国社会を直接経験すれば韓国人として堂々といきてゆけるだろう」と、留学を決意したという。

留学中に同じ大学の在日同胞にデモについて聞かれ、「学生たちが「金日成万歳」と叫んでいるわけではないのに、警察がやたらと催涙弾を撃つのはあんまりではないか」と答えた。この学生の密告により、数カ月後に保安司令部に連行されたそうだ。

日本に住む縁戚が政権を批判する組織に所属していたことからスパイに仕立て上げられ、電気拷問や水拷問などが1週間から10日程度続けられた。ある時は両手の指に電極が巻かれ、通電された。痛みに耐えかねて嘘の自白をすると拷問が止んだため「いいなりになるほかなかった」と、同書で振り返っている。

李宗樹さん自身は同胞との交流を目的に韓学同(朴正煕の独裁政権に反対し、祖国の統一・民主化を求める学生団体)の集まりや、韓日閣僚会談反対デモに参加したことはあったものの、仲間と行動を共にしたに過ぎなかった。

もともと文学が好きで、韓国文学を学び、在日同胞に祖国の言葉と文字を教えたかった。そんな純粋な思いを抱えていた彼が韓国で得たものは、懲役10年の宣告と5年8カ月の矯導所(刑務所にあたる)での暮らしだった。

李宗樹さんに限らず拘束された在日韓国人の多くが拷問を受け、有罪判決を受けて矯導所に送り込まれている。満期出所した者、特赦により早期出所が叶った者などさまざまだが、青雲の志をへし折られ、その後の人生が変わってしまったことは共通している。

でっち上げに加担した、在日ヤクザ

在日韓国人政治犯には留学生だけではなく、学者や教授、技術者など社会人もいる。同書によると、1960年代から1980年代半ばまでの間に巻き込まれた在日韓国人の数は、正確な統計はないものの150人余りと推測されるという。1975年に「11.22事件」が起きたのはその3年前の7.4共同声明(韓国と北朝鮮が発表した南北対話に関する宣言)の結果、北から直接派遣されるスパイの数が目に見えて少なくなったことが影響していると、金孝淳氏は言う。



情報機関は日本を経由する「迂回浸透」の可能性に目を付けた。それで在日韓国人留学生のなかにスパイがうようよしているという前提のもと、留学生名簿のなかから的を絞って対象者を作り出しては、「作戦」に入っていった。在日韓国人留学生は、水槽に閉じ込められ吊り上げられるのを待つような存在に過ぎなかった。

そしてでっち上げを支えた人物は、日本側にもいた。金孝淳氏はその一人として、在日韓国人だった梁元錫(ヤン・ウォンソク)・柳川組初代組長の名を挙げている。

1923年に釜山で生まれ1930年に家族とともに日本にやってきた梁元組長は、戦後の混乱期を生き抜くために暴力団に身を置いた。1969年に柳川組を解散してからは日韓対決のプロレス興行などを手掛ける一方で、韓国の政治家との交友を温めていった。

同時に、反共を前提にしたアジアの連帯を目指す「亜細亜民族同盟」という団体を率いた。金大中が逮捕された際は「金大中の左翼及び容共活動経歴」などと書いた怪文書をばらまき、全斗煥については「正義のかたまりや」と評していたそうだ。そして渡韓した際は保安司令部に出入りして、情報交換をしていたという。

 梁元錫とその手下は保安司令部の依頼を受けて「容疑者」となった留学生の家族関係、留学前の日本での大学生活や社会活動、総連系同胞との接触の有無などに関する情報を収集し報告した。時には独自に収集した対共関連容疑の情報を渡すこともあった。こうして提供された情報や資料は、スパイ容疑で裁判にかけられた留学生の有罪を立証する重要な証拠として利用された。

捕らえられた彼らに対し、韓国社会は冷淡だった。メディアは情報機関から次々と発表される内容をそのまま繰り返すにとどまり、現地での公判過程を取材した日本人記者の記録によると、裁判所で韓国メディアの姿を見ることはなかったそうだ。

彼らは獄中でも韓国の「民主人士」と切り離され、孤立していた。事件について本格的に聞き取り、まとめた書籍が韓国内で出版されたのは、これが初だという。

長らく振り返ることすらされてこなかったが、盧武鉉政権(2003~2008年)時に始まった独裁政権下の真相究明作業により再審が決定し、死刑判決や無期懲役を受けた者は2010年以降、続々と無罪を勝ち取っている。

しかし今も精神的・肉体的な傷を抱えている者は多い。無罪判決を受けた李宗樹さんも、両耳の聴力がひどく低下したそうだ。

歴史に「たら・れば」は禁物だが、もし彼らが無事に留学を終えていたら、日韓双方を肌で知る架け橋として、両国の関係改善に寄与したのではないか。それを思うと、国家が奪ったもののあまりの大きさに身がすくむ思いだ。



とはいえ、全くの救いがないわけではない。同書では全面にわたって家族や元学友、在日同胞、労働運動関係者やキリスト教関係者など、日本国内の幅広い人たちが救済に立ち上がったことに触れている。祖国により棄てられた人々は、広義な意味での「友人」に救われていたのだ。

同書は国家が犯した捏造事件を通して、何を信じ、何を支えに生きるべきなのかを教えてくれる。そして被害者たちが真に救われない限り、韓国の積弊が清算されることはないことも同時に教えてくれる。李宗樹さんを拷問した元捜査官は2018年に有罪となったが、主犯は元捜査官ではない。韓国という国そのものなのだから。


『祖国が棄てた人びと――在日韓国人留学生スパイ事件の記録』』
 金孝淳 著
 石坂浩一 訳
 明石出版




碓氷連太郎

この記事の関連ニュース