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日本とフランスの狭間に落ちたゴーンとJOC竹田会長の座標

ニューズウィーク日本版 2019年1月21日 14時30分

<竹田JOC会長は書類送検された段階、ゴーンはフランスでも勾留された、ただし「無罪の推定」はきわめて重い>


 「彼」は質問に答えることを拒否し、フランス語と日本語の法的用語の翻訳の微妙な違いを操りながら、彼は日本語でいう起訴ではなく「当局による調査中(être inculpé)」だと反論した。日本で言う起訴(la mise en examen)は必然的に起訴される段階を意味するが、フランスではそうではなく不起訴のこともあり得るので、日本語で「起訴」の表現を拒絶した。自分に「贈賄」の容疑がかけられているという事実にさえ言及しなかった。

以上は、1月15日付けの仏週刊誌l'expressのサイトに載った、AFP電をもとにした日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長の会見後の記事の一節である。

「être inculpé」はこの文脈で辞書通りに訳せば「容疑をかけられている」であろう。ただ、実際の会見ではさらにソフトな「当局による調査中(=捜査ではない)」という言葉を使っていた。

竹田会長の事件にしても、カルロス・ゴーン元日産会長事件にしても、フランスの制度がうまく把握されていないために日本でさまざまな誤解やごまかしが起きているように思う。改めてはっきりさせておきたい。

予審とは何か

l'expressの記事に出てくるMise en examen(ミーズ・アン・エグザマン)は、予審において、容疑者として本格的に取り調べるということである。

フランスでは、一定以上の罪に該当する事件が起きると、予審判事が任命されて予審が始まる。予審判事は「ポリス」(警察)または「ジャンダルム」(軍警察)をつかって捜査をする。軍警察は憲兵とも訳されるが、戦前の日本の憲兵のイメージでなく警察は内務省、軍警察は軍(国防省)と管轄が違うだけである。

かつて、日本のルイ・ヴィトンの並行輸入業者にヤクザが関わっているという嫌疑がかけられた時、予審判事はまず警察に捜査を依頼したが、警察には筋が悪いと断られ、「ジャンダルム」(軍警察)が請け負ったということもあった。

予審が始まることによって、いわば「事件」が出現するといってよい。

その中で、予審判事は事件に関与した人間を取り調べたいとして召喚する。最初の段階では重要参考人にあたるtémoin assisté(出席証人)で聴取される。そのあと、容疑が強い場合にはMise en examenを宣言される。直訳するとその人に対する「検討を始める」ということであるが、被疑者なのであるから、日本でいえば送検にあたる。日本でも身柄を拘束されない書類送検と拘束される場合とがあるが、フランスでも同じだ。



日本語の「逮捕」は、裁判所の逮捕令状にもとづき「被疑者の身体の自由を短時間拘束すること」で、手錠をかけたりしなくても心理的圧迫により「事実上身体の自由を拘束する方法も逮捕にあたる」(法学用語小辞典)である。身体的拘束の有無がひとつのポイントになる。日本でも在宅捜査とか在宅起訴という制度があるが、仮に、在宅起訴になった場合でもマスコミなどでは「逮捕」という言葉が一般的に使われている。

それにならっていうとフランスのMise en examenは日本で一般に持つ「逮捕」のイメージだと考えていいだろう。

昨年の大統領選挙の時、フィヨン元首相が家族の不正給与疑惑などでMise en examenになったが、日本式にいえば、逮捕され書類送検されたがすぐ釈放され在宅捜査になった、ということになろうか。

竹田氏については、すでにフランスからの依頼で日本の検察が東京で事情聴取しているので、その段階がtémoin assistéであったといえる。だから、現状はMise en examen、つまり書類送検された被疑者である。

フィヨン氏はMise en examenのあとも選挙戦を続け、マクロン現大統領に逆転されてしまったわけだが、あのときフィヨン氏は明確に「被疑者」だった。送検された被疑者が選挙それも大統領選挙の候補でいつづけられ20%もの票を得た。フランスでの「無罪の推定」はそのぐらいに重いのである。

Mise en examenになると被疑者やその弁護士は事件の内容を閲覧でき、全部または一部のコピーを請求できる。また、証人の聴取や現場検証など容疑を晴らすと思われるあらゆる捜査活動を請求できる。取り調べやこの捜査活動でも被疑者の弁護士が立ち合える。

足首に発信機を付けられて

またすべての取り調べは録音録画の義務がある。

予審判事は、必要に応じて「司法監視」「電子監視付居住指定」「勾留」の措置がとれる。

司法監視は、定期的な警察への出頭、移動許可などの義務がある。竹田氏の事件の収賄側の元世界陸連会長はフランスからの出国禁止になっている。

電子監視付居住指定は、居場所や移動を申告した上、足首に発信器を付けられ、24時間居所がわかるようになっている。

以上の2つは予審判事の判断でできるが、勾留には予審判事とは別の「自由勾留判事」の判断が必要である。自由勾留判事は、被疑者(弁護士同席可)、予審判事双方の聴取をして両者出席の討議の後で判断する。

勾留を却下しても、司法監視や電子監視付居住指定を命じることもある。

竹田氏の場合は、捜査協力を明らかにしており、また、収賄側に比べて悪質性はすくないから、フランスでの取り調べの後拘束されなかったのだろう。



なお、2年前から予審捜査がされているのに今の時期にMise en examenになったのでゴーン氏への意趣返しだなどという憶測があるが、決してそんなことはない。だいたい、フランス政府にゴーン氏を擁護しようなどという気はない。ましてや司法はさらに独立している。2年もかかったのは、国際金融犯罪の難しさで、辣腕のヴァンリンベック予審判事でさえまだまだ解明しきれないのだ。

ゴーン氏は、海外逃亡や証拠隠滅、関係者への圧力などのリスクがあるので、フランスであっても勾留されていたかもしれない。勾留期間は4カ月で延長には自由勾留判事の許可がいる。普通は最高1年だが、場合によっては2年になることもある。 

ただ拘置の条件はフランスとは大いに異なっている。フランスでは、拘置所と刑務所は一緒だが、パリのサンテ刑務所にはVIP房がある。

同刑務所は改装が終わったばかりなので、現在はどうなっているかわからないが、前の状況についていくつかのマスコミのルポがある。それによると、普通は7平方メートルだが、VIP房は2部屋で14平方メートル。もちろん個室でトイレにはドアがある。洗面台、テーブル、いす、DVDモニターも買える。いつでもシャワーに入れ、一般の区画の囚人とは接触せず、一緒に中庭で運動することはないが、この区画専用のスポーツ室があり、筋トレができる。また、休憩室でトランプやチェスもでき、煙草も吸え、囚人同士で食事もできる。一般囚人は廊下掃除などするが、彼らはしない。高級スニーカーをプレゼントして、一般囚人に房を掃除させた者もいる。

他の囚人と同じ扱いに喝采も

このようなVIP待遇にはフランス国内でも批判があり、ゴーン氏が他の囚人と同じ待遇であるということに喝采する人も多い。ゴーン氏の場合も、レバノンやブラジルなどに逃亡されたら終わりだから拘置自体は外国でも理解されうるだろう。だが、勾留や拘置取り調べのやり方その他の手続きについては批判があっても仕方あるまい。

さて、竹田氏の今後だが、被疑者になってから、起訴不起訴の決定にはさらに最低でも1年はかかる。フィヨン氏も大統領選このときから1年半かかってようやく起訴が決まった。竹田氏の場合、シンガポールのトンネル会社の実質的所有者(元陸連会長の息子)がセネガルに逃亡し、引き渡しされず、取り調べもできないので、もっとかかるかもしれない。

[執筆者]
広岡裕児
1954年、川崎市生まれ。大阪外国語大学フランス語科卒。パリ第三大学(ソルボンヌ・ヌーベル)留学後、フランス在住。フリージャーナリストおよびシンクタンクの一員として、パリ郊外の自治体プロジェクトをはじめ、さまざまな業務・研究報告・通訳・翻訳に携わる。代表作に『EU騒乱―テロと右傾化の次に来るもの』(新潮選書)、『エコノミストには絶対分からないEU危機』(文藝春秋社)、『皇族』(中央公論新社)他。

広岡裕児(在仏ジャーナリスト)

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