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デザイナーベビー誕生を防ぐ、ガイドラインは存在しない

ニューズウィーク日本版 2019年1月25日 16時0分

<加速する技術革新に追いつかないルール作り――DNAの「つまみ食い」によるデザイナーベビーを規制する、明確なガイドラインは存在しない>

17年8月、オレゴン州の科学者らが遺伝子編集技術クリスパー・キャスナイン(CRISPR-Cas9)を使ってヒト胚のDNAを編集したという報告がネイチャー誌に掲載された。この種の研究は既に中国やイギリスで行われていたが、アメリカでは初の試みだった。

この発表は、アメリカの規制が十分かどうかをめぐる問題を提起した。米議会も国立衛生研究所(NIH)も、ヒトの胚を改変する遺伝子編集の研究には資金を提供しないことを明確にしている。だが法律やガイドラインは、この物議を醸した研究の急激な変化に追い付けていない。

クリスパーは突然変異に関係する遺伝子の「スペルミス」の修正など、DNAの改変を可能にする実験的な生物医学技術だ。発達中の胎児にうまく適用できれば、先天性疾患の治療や、さらに疾患の根絶も期待できる。ネイチャーによれば、オレゴン健康科学大学のシュークラト・ミタリポフらはこの技術を使い、1つだけではなく多数の胚のDNAを改変したという。

クリスパーの発明自体はアメリカの研究グループの功績だが、それ以外の画期的な研究の大半は、中国で行われてきた。15年4月には、まれな血液疾患の根本原因を除去するために世界で初めてヒト胚のゲノムを編集したと、中国の科学者が報告した。

癌治療にクリスパー技術を用いる実験も行われている。16年春、四川大学華西医院の研究チームは悪性の肺癌患者の免疫細胞を修復するため、このアプローチを採用。悪性腫瘍と闘う細胞に力を与えるために遺伝子を改変した。別の中国の科学者グループは血液中の遺伝子を改変し、癌患者に注入して腫瘍の成長を抑えようとした。

クリスパーは致死性の疾患を治療できる可能性があるが、同時に生命倫理学にとって最も重要な課題の1つに急浮上した。科学者が遺伝的形質を「つまみ食い」して、いわゆるデザイナーベビーを誕生させる恐れがあるため、潜在的に危険だと主張する意見も一部にある。

実際、18年11月末には中国・南方科技大学の研究者が、エイズウイルスに感染しないように遺伝子操作を行った双子の赤ん坊を誕生させたと発表して大騒ぎになった。

ニューヨーク大学ランゴン医療センターの医療倫理部長であるアーサー・カプラン教授(生命倫理学)は、そうした懸念は行き過ぎだと考えている。カプランによると、遺伝子編集技術の現状はこの種のSF的ファンタジーとは懸け離れている。「火星旅行に例えるなら、今はまだ衛星をいくつか打ち上げている段階だ」

クリスパーに関する報道の多くは感情的で大げさだと、カプランは言う。「(今はまだ)病気を治したり、頭をよくしたりすることが可能だと証明されたわけではない」



治療と「それ以外」の境界は

深刻な遺伝病予防のためであれ、単に褐色の目を青くするためであれ、クリスパー技術は基本的にはまだ臨床レベルに用いる段階にはない。それでも、遺伝学の専門家がこうした目標に取り組んでいるのは事実であり、大きな潜在能力を秘めたこの技術を規制する科学界の対応は立ち遅れが目立つ。

今のところ、クリスパーの使用に関するガイドラインは最小限のものにとどまっている。

「技術の進歩は洗練された新しいゲノム編集の手法を生み出したが、強い反対意見も残っている」と、NIHは15年の声明で強調した。「(反対派の懸念には)重大かつ数値化できない安全性の問題、次世代に影響を与える形で生殖細胞を改変することの倫理的問題、胚へのクリスパー・キャスナイン使用を正当化できる有望な応用分野がまだないことなどがある」

だがNIHがヒト胚を改変するクリスパー研究を支持しないからといって、その研究がアメリカで禁止されているわけではない。研究者の下には民間の資金や寄付が集まっている。オレゴン健康科学大学のチームもそうした資金を利用して実験を行ったのではないかと、カプランは考えている。

幅広い研究・医療分野のガイドラインを提示する2つの主要な学術機関、米国科学アカデミー(NAS)と全米医学アカデミーは17年2月、クリスパー技術の使用に関する包括的な勧告を発表した。「ヒトゲノム編集――科学、倫理、管理」と題した報告書の中で、専門家委員会は新しい治療法の開発は技術の適切な活用だと評価。深刻な疾患や障害を予防するための臨床試験でのクリスパー研究と、この技術の影響をもっと深く理解するための基礎的研究に賛同している。

報告書の筆者らは、病気や障害の治療と予防以外の目的でのヒトゲノム編集には注意を喚起している。だが、治療とそれ以外の美容などとの境界は必ずしも明確ではないと、カプランは指摘する。そして1つの遺伝子が無数の病気や形質の原因になることを考えれば、クリスパー技術の「倫理的」使用を守ることは今後ますます困難になるだろうと予測する。「DNAの改変が予想外の結果を招く可能性もある」

カプランはオレゴンや中国の例をきっかけに、民間資金で研究を行う科学者の登録制度などの具体策も含め、クリスパーを用いた実験の倫理的側面に関する議論が深まることを期待している。「こうした行為に対する処罰は刑務所行きか、罰金か? それを話し合う国際会議を開催する必要がある」

<本誌2018年01月22日号掲載>



※2019年1月22日号(1月15日発売)は「2大レポート:遺伝子最前線」特集。クリスパーによる遺伝子編集はどこまで進んでいるのか、医学を変えるアフリカのゲノム解析とは何か。ほかにも、中国「デザイナーベビー」問題から、クリスパー開発者独占インタビュー、人間の身体能力や自閉症治療などゲノム研究の最新7事例まで――。病気を治し、超人を生む「神の技術」の最前線をレポートする。


ジェシカ・ファーガー(ヘルス担当)

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