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【ブレグジット超解説】最大の懸案はアイルランド国境を復活させない予防措置「バックストップ」

ニューズウィーク日本版 2019年2月14日 16時0分

<交渉の最大のポイントになったアイルランド国境をめぐるこの「安全策」とは何なのか 英国人ジャーナリストが読み解くブレグジットの基本>

ブレグジット(イギリスのEU離脱)をめぐる議論は、英政界にここ数十年で最も深刻な分断を招いている。3月29日の離脱まであと約2カ月。英議会は1月15日、政府とEUが合意した離脱協定案を大差で否決した。

協定案の争点と今後について、在英イギリス人ジャーナリストのウィリアム・アンダーヒルに聞いた。

◇ ◇ ◇


――議会はなぜ離脱協定案を受け入れないのか。

585ページに及ぶ離脱協定案の大半に関して、議員の多くに異論はない。協定案は離脱の手続きや、イギリスにおけるEU市民の権利、イギリスとEUの将来の関係の枠組みなどについて定めている。さらに、離脱から20年末までを「移行期間」とし、その間に恒久的な貿易協定を決めるとしている。

しかし、昨年11月に協定案が公表されて以来、与野党を問わず議員からも、ブレグジットの賛成派からも反対派からも、猛烈な反発が起きている。

強硬な残留派の多くは今もブレグジットに反対で、協定によって離脱が正式なものになることが許せない。離脱派は、テリーザ・メイ首相が譲歩し過ぎて、期待していた完全な決別が実現しないと危惧する。そして最大の懸念は、離脱協定案の北アイルランドに関する「バックストップ(安全策)」だ。

――バックストップとは?

一般には、緊急事態に備える予防措置のことだ。移行期間が終わるまでにイギリスとEUが包括的な貿易協定で合意する保証はないから、保険を掛けておこうというのだ。

貿易協定がまとまらなければ、アイルランド島では、EU加盟国のアイルランドと英領の北アイルランドを隔てる約500キロの境界線で、厳しい国境管理が必要になる。ただし、検問所や税関審査などを置く「ハード・ボーダー(物理的な国境)」の復活は、多くの人にとって考えられない。

そこで、協定案はバックストップという保険を用意した。国境管理の明確な解決策が見つからなければ、移行期間が終わった後もイギリスはEUの関税同盟内にとどまり、アイルランド国境は完全に開放されたままになる。

――バックストップがここまで反対される理由は。

特に問題とされているのは、バックストップ条項に期限を設けていないことだ。イギリスとEUの交渉で新しい合意に達した場合にのみ、失効する。

理論上は、イギリスは離脱後も、EUの関税同盟のルールに無期限で縛られることになる。その影響は深刻だ。例えば、バックストップ条項が発効している間、イギリスはEU以外の国や地域と独自に貿易協定を結ぶことができない。そうした貿易協定こそ、離脱派がブレグジットの大きな利点と見なすものでもあるのに。



北アイルランドとの国境に「検問所」を設置して抗議するブレグジット反対派(アイルランドのキャリックカーナン)CLODAGH KILCOYNE-REUTERS

――なぜ、そうまでしてアイルランドとの国境を復活させたくないのか。

この国境は政治的および歴史的な象徴になっている。北アイルランドでは60年代から約30年、イギリスからの分離独立とアイルランドへの帰属を主張するカトリック系住民と、英国にとどまることを求めるプロテスタント系住民が対立。激しい武力闘争が続いた。

「ザ・トラブルズ」と呼ばれた北アイルランド紛争では約3500人が犠牲になり、98年のベルファスト合意でようやく終結。合意に基づいてアイルランドとイギリスの国境が開放され、物と人が自由に往来できるようになった。

ハード・ボーダーへの逆行は、和平合意に反するだけではない。国境付近に監視塔や軍の検問所が乱立して美しい風景が破壊され、民兵組織の攻撃で多くの血が流れた日々を思い出させるのだ。ハード・ボーダーは、数世代に及んだ紛争の象徴だ。

――実際に暴力が再燃することがあり得るだろうか。

可能性はある。北アイルランドでは不穏な感情が高まっている。ここ数週間で、カトリック系過激派組織の反乱分子の仕業とみられる爆破事件が続いた。98年の和平合意を、完全には受け入れていない人々だ。国境問題の解決が長引けば緊張が高まり、アイルランド統一を主張する勢力が盛り返して、英国への帰属維持を訴える側も過激化しかねない。

――北アイルランドの人々は何を望んでいるのか。

大半の人はEUに残りたいと言っている。16年の国民投票は、北アイルランドではブレグジットへの反対票が圧倒的に多かった。彼らは間違いなく、ハード・ボーダーの復活を警戒している。政治的な理由だけではない。国境管理を厳格化すれば、一般の旅行者の往来やアイルランドとの商取引が遅延して、コストもかさむだろう。

とはいえ、国境復活を避けるために北アイルランドだけにバックストップを適用し、イギリス本土をEUの関税同盟のルールから離脱させるという案も実現は厳しい。英国への帰属維持を訴えるプロテスタント系地域政党の民主統一党(DUP)はメイ政権を閣外協力で支えており、彼らの協力なしに保守党は政権を維持できない。彼らはこの地域がイギリスのほかの地域と違う扱いを受けることには断固反対だ。

――多くの人が受け入れるような解決策があるだろうか。

長期的には、テクノロジーに期待する見方もある。例えば、貨物が倉庫を出る前に、税関申告ができるシステムが開発されるのではないか。X線検査やスクリーニング審査、車両番号の自動認識などを組み合わせれば、国境で物理的に止める必要はなくなる。

とはいえ、短期的な見通しは暗い。EUとアイルランド政府がバックストップ条項に関して譲歩の意思を示せば、英議会は離脱協定案を承認するだろう。メイはEUとの再交渉に臨む方針だが、EUとアイルランドは、再交渉はしないという立場を崩していない。このまま「合意なき離脱」に至ることは、全ての人が恐れる悪夢だ。

<本誌2019年02月12日号掲載>



※2019年2月12日号(2月5日発売)は「袋小路の英国:EU離脱3つのシナリオ」特集。なぜもめている? 結局どうなる? 分かりにくさばかりが増すブレグジットを超解説。暗雲漂うブレグジットの3つのシナリオとは? 焦点となっている「バックストップ」とは何か。交渉の行く末はどうなるのか。


ウィリアム・アンダーヒル(ジャーナリスト)

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