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「日本人と挨拶」を文化論的に考える

ニューズウィーク日本版 2019年3月12日 17時40分

<親しいながらも距離を保つ、日本人の独特な人との付き合い方>

文化摩擦と呼ばれる現象の多くは、互いの文化特有の物の考え方や見方をめぐる独断や理解不足などが原因とされる。日本を訪れた外国人に日本人のイメージを尋ねると、優しい、親切、真面目といったプラスのイメージの他、人見知りとか、冷たいというマイナスのイメージも聞かれる。なぜこのような両極端なイメージがあるのだろうか。自分自身としては、日本滞在23年が経つ今も、日本人の行動様式をめぐっては多くの疑問符を付けたくなることがあり、その独特で、ときに曖昧な特徴や個性に困惑させられることもある。

その一つが、日本人の挨拶に対する考え方である。日本人は何のために挨拶をしているのか。また挨拶をどのように捉えているのか。

今も昔も、どんな言語においても、人と人の挨拶行動は人間社会に普遍的に見られる現象である。「挨拶」は軽視できない、重要な「文化論」の一つとなり、人をつなげる大きな力となる。日本語の「挨拶」という言葉も、コミュニケーションの核心的な意味を秘めている。そもそも「挨」「拶」の両字ともが「近づく」という意味で、挨拶行動の本質を言い表している。しかしよく考えてみると、「お元気ですか」、「はい元気です、あなたはいかがですか?」、「ええ、元気です」などというような挨拶が日本人の間で日常的かつ頻繁に交わされることはあまりない。よほど長い間会わなかった人たちが再会したときなどに使うことが普通である。

私は朝早くに、都内の自宅から2時間半かけて職場へと出かけていく。エジプト出身のアラブ人である私にとっては日常のことだが、私は笑顔で近所の日本人と挨拶する。みなさんにとって、このような他人との積極的な交流は普通ではないことかもしれないが、私にとってはごく当たり前の自然な行動である。もちろん挨拶を周りの全ての人にすることは不可能だ。また、ここは人々が互いに気軽に声をかけやすい風土で知られるニューヨークやロンドンとも違う。つまり、周囲とのやりとりは朝夕の挨拶以上のものはなく、その挨拶でさえ使い方に特別な尺度がある。日本で他者との関係構築に最も重要なものと認識すべきは、他者との社会的距離を保つことであり、職場でも生活圏でも家庭内でも、その距離を越えたり取り除こうとしたりしてはならないということだ。

欧米やアラブの社会では、挨拶は同じ社会に暮らす人々との距離を縮めるための手段だが、日本ではこれと異なるルールが社会的行動の力学を支配している。つまり、距離を保つことが、同じ社会の人々との関係においてバランスを保つために必要であり、双方に調和と平和を保証するものである。

他人への歓迎や関心を示すための大げさな笑顔や飾り立てた言葉は、日本的思考では、それが求められる幾つかの場面を除けば、さほど重要ではない。最も重要なのは、「親しき中にも礼儀あり」と言われるように、繋がりや挨拶の程度を、あなたと他者を分ける社会的関係や距離の範疇に保つことである。

そのため私は、周囲との交流を望むエジプト出身のアラブ人として、ときには日本との架け橋になるべく努める一方、ときには他者と適切な関係を維持するために距離感を保つようにしながら、他者との付き合い方を制御できるようにならねばならない。

また、「言わなくても分かる」などのように、言葉によらない「察し」が大切だと考える文化的特色を背景にした日本語は本質的に長話には向かないから、どの程度言葉を発するかを常に考えなければならない。これは、社会的関係や他者との交流に必要な距離を保つためである。



2年ほど前に私が研究目的で、大学院生(田村氏)の協力により数人の日本人を対象に実施したアンケート調査では、次のような回答が得られた。

Q:あなたにとってのあいさつとはなんだと思いますか。
<回答者:日本人>
コミュニケーションの1つ。はじまり。コミュニケーションの基本。できて当たり前。あなたと敵対していませんよということ。円滑なコミュニケーションの第一歩。あいさつからはじめて良い人間関係を作る。存在を認めていますよ、ということ。興味がなかったら声かけない。初めて会う相手でもにこやかにあいさつをすると、次のアクションがおこしやすくなる。いい仕事ができるようにとか、次の話題に入るきっかけになる。緊張をほぐす。相手との距離を縮めたい。ラインをとっぱらいたい。次の話をするためのきっかけ作り。

<回答者:外国人>
・Smileで'How are you?''Long time no see.'はeasy to make friend. Habit. Everytime important for make friends
・Important. Communication is important.大切です。気持ちがいいです。
・Politeだと思う。Friendlyだから。
・知っているひとにはあいさつします。知ったらalready 友達、一回だけでも友達と思う。
・More friendly 人と仲良くなるため。

これらの外国人の回答と日本人の回答を比べてみて印象的なのは、表情の「smile」とコミュニケーション手段の「easy to make friend」(すぐ友達になれる)の回答部分である。日本人と外国人が実践している挨拶は挨拶でも、その目指すところが違うようである。

例えばミャンマー人では、「今は連絡をとっていない過去の友人」と道端ですれ違ったとき、挨拶をすると全員が答えたのに対し、日本人ではしないと答えた人の方が多かった。一方で、「今も連絡をとっている友人」に対しては、全員が挨拶をすると答えている。日本人は現在の関係性を重視しているのだろう。ミャンマー人は、相手が自分のことを確実に認識している状態であれば、必ず自分から挨拶をすると言える。

また、日本人は仕事とプライベートをきっちり分けたいという考え方を持っていたり、親しくない相手に個人的な情報を公開したくないという考えを持ったりしていることが分かった。そのことは日本人の挨拶行動に大きく影響していると考えられる。小規模な調査ではあるが、全体を通してみると、外国人の方が自分から挨拶をする確率が高いと言える。

挨拶とは何かということへの認識は外国人と日本人で大きくは変わらないように思える。しかし日本人は、挨拶は「できて当たり前」としつつ、「一度話をしただけの職場の人には挨拶をしない」と答えているところなどを見ると、挨拶の捉え方と実際の行動との矛盾が感じられると言わざるを言えない。この点については、日本人は学校や職場の新人研修など教育の場で、「しっかり挨拶するように」と理想論ばかりを教え込まれ、実際にはそれを幼少時から体験していないと言えるのではないか。つまり、大人や先輩が教育的に指導するだけで、実際の社会生活や家庭生活の中では、きちんと挨拶が行われていないのではないか(田村氏)。このような状況が、日本人の「必要最小限」の挨拶行動を作り出しているのかもしれない。

一方、アラブ人は三度の飯よりおしゃべりが好きな民族である。そのため挨拶を交わす際にも、慌てず急がず、そして丁寧に相手の健康、家族、仕事など一つひとつについて「~はどうですか」と尋ねるのが大事な礼儀となっている。「アッサラーム アライクム」というアラブ世界の代表的な挨拶は「あなたに平和を」という意味の言葉だが、これは道端でもどこでも、出会ったどんな人とでも交わす基本的な挨拶の言葉。しかし大抵の場合、このひと言では終わらない。



「宗教とは周りとどう接するかということそのもの」と考えるイスラム教の聖書であるコーランは、「あなたがたが挨拶された時は、更にそれより良い(丁重)な挨拶をするか,または同様の挨拶を返せ(Sorah An-Nisa ( The Women ) - Verses No.86)」と挨拶の大切さを伝えている。また、「人(同胞)に微笑むこそ、善徳なり」と言葉だけでなく、身体動作を含む挨拶が人間関係や平和な社会作りにとって重要であると諭している。

日本人の挨拶観とは少し異なるかもしれないが、アラブ人にとっては、挨拶する相手が毎日会っている人であるからこそ、熱烈に時間をかけて挨拶し、身振り手振りで表現し、いかにあなたに会いたかったかと熱く伝えることが何より大切なのである。

20年以上も前の話だが、私が生まれ育ったカイロの、とある地域の一角に老舗のクリーニング屋があった。その店のおやじさんの口癖は、「挨拶と笑顔は、善徳なり」だった。そして、おやじさんのその声は今も色あせることなく、ここにある。

【執筆者】アルモーメン・アブドーラ
エジプト・カイロ生まれ。東海大学・国際教育センター教授。日本研究家。2001年、学習院大学文学部日本語日本文学科卒業。同大学大学院人文科学研究科で、日本語とアラビア語の対照言語学を研究、日本語日本文学博士号を取得。02~03年に「NHK アラビア語ラジオ講座」にアシスタント講師として、03~08年に「NHKテレビでアラビア語」に講師としてレギュラー出演していた。現在はNHK・BS放送アルジャジーラニュースの放送通訳のほか、天皇・皇后両陛下やアラブ諸国首脳、パレスチナ自治政府アッバス議長などの通訳を務める。元サウジアラビア王国大使館文化部スーパーバイザー。近著に「地図が読めないアラブ人、道を聞けない日本人」 (小学館)、「日本語とアラビア語の慣用的表現の対照研究: 比喩的思考と意味理解を中心に」(国書刊行会」などがある。


アルモーメン・アブドーラ(東海大学・大学院文学研究科教授、国際教育センター国際教育部門教授)

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