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ブレグジットでトイレの紙もなくなる⁈

ニューズウィーク日本版 2019年3月14日 17時15分

<「合意なき離脱」で懸念される買い占めと物流混乱――輸入頼みのトイレットペーパー消費大国イギリスの憂鬱>

EUから合意なき離脱をすれば食料不足の恐れがあると、イギリスのブレグジット担当相は警鐘を鳴らした。イングランド銀行(英中央銀行)は金融危機への懸念を表明し、アイルランド首相は英領北アイルランドとの国境で暴動が発生しかねないと懸念。混乱に備えて、英王室がロンドンから避難する計画も浮上している。

だが、警告の数々は無視される一方だ。離脱強硬派のボリス・ジョンソン前英外相は今年1月、英紙テレグラフに寄稿したコラムで「警告が不穏であるほど、恐怖に陥れようという取り組みが組織的であるほどに、(離脱派は)耳を貸さず、決意を固めている」と息巻いた。

とはいえ英製紙業界で新たにささやかれる噂が、ようやく事態の深刻度を気付かせることになりそうだ。複数の業界関係者によれば、合意なき離脱でイギリスではトイレットペーパーが足りなくなるかもしれない。

弱り目にたたり目になりかねないトイレットペーパー不足は、EUがもたらす現実的問題と不確実性の象徴ともいえる。

今のところ、リスボン条約50条が定めるとおり、イギリスは離脱通知から2年後となる3月29日にEUから脱退しなければならない。テリーザ・メイ英首相がEU側とまとめた離脱協定が英議会で承認されない限り、イギリスはその日、合意なき離脱を迎える。

そうなれば、EU域内での自由で摩擦のない貿易に代わって、関税と税関検査が復活する。港湾は大渋滞し、管制システムの混乱で飛べない航空機が続出して、空港でも大々的な遅延が発生するだろう。合意なき離脱が招く結果の規模と範囲は、現時点では計り知れない。

1日分の備蓄しかない?

しかし、社会的混乱の中で日常的にどんな屈辱を味わうか、想像するのはそれほど難しくない。それこそがトイレットペーパー備蓄と輸入という2つの問題だ。

この数カ月間、ブレグジットに備えた生活必需品の買いだめがメディアを騒がせているが、最も懸念すべきなのは大手製造企業の備蓄体制だ。保存可能期間に限りがある医薬品や生鮮品の場合、備蓄に当たっては「質」が不安視される。一方、かさばる物品(まさにトイレットペーパーだ)の場合、ネックになるのは「量」だ。

英国民1人当たりの年間平均トイレットペーパー使用量は110ロールで、ヨーロッパ各国でトップ。これだけ大量に使うなら、よっぽど広い倉庫でもない限り十分な量はため込めない。

ただし英製紙業連合のアンドルー・ラージ会長に言わせれば、備蓄体制は今後数カ月間にイギリスの製紙業界、および市民が直面しかねない問題の一片にすぎない。「通常どおりの購買行動を続けずに、パニックに陥って買い占めに走ったときに危機は発生する」



そうはいっても、合意なき離脱が現実になったら、この手の悪循環的なパニックが起きるのは避けられない。16年6月の国民投票でブレグジットが決まって以来、合意なき離脱の回避や2度目の国民投票実施を狙って、イギリスではパニックをあおる動きが続いてきた。

トイレットペーパーをめぐる「パニック工作」では既に、デニス・マクシェーン元労働党下院議員が旗振り役と化している。イギリスには1日分のトイレットペーパー備蓄しかないと、マクシェーンは主張。事実に基づかない発言だが、「イギリス人は昔のように新聞の切れ端で尻を拭かなければならなくなる」と言えば、不安をかき立てる上で実に効果的だ。

パニック買いのせいで、合意なし離脱と同時に店頭からトイレットペーパーが消えたら、期待の目は国際物流の拠点に向かうだろう。だが貿易体制についても楽観的には到底なれない。英製紙業界は輸入頼み。長年にわたる貿易協定から突如、国家が脱退しかねないなか、特に不安定な立場に置かれている。

離脱後は「不確実」だらけ

合意なしの離脱になれば、イギリスが当然のものとしてきたEU内の自由で摩擦のない貿易は終わる。新たに関税や証明書や基準が導入され、書類手続きが必要になり、供給業者と消費者の双方にとって金銭的・時間的コストが上がる。

英政府はつい最近まで合意なき離脱の可能性を真剣に受け止めていなかったが、ここへきて、英経済に短期的かつ長期的に大きな悪影響を与えるだろうと認め始めた。輸入フローの途絶は、なかでも喫緊の懸念だ。

問題は関税だけではない。摩擦のない貿易の廃止で、イギリスに入る物品は全て検査を受けることになる。

英政府は2月4日、合意なき離脱の場合、関税の後払いなどを可能にする税関簡易手続きを導入すると発表した。それでも、本質的な問題は解決されていない。ブレグジットの要点はイギリスとEUの間に一線を画すること。そのためには、厳格な国境管理が欠かせない。

合意なき離脱後の混乱はどんなもので、どれほど続くのか。買い占め騒動は起きるのか。それとも、英国民は冷静に「通常どおり」を続けるのか。

答えは、ブレグジットにまつわる多くの物事と同じく、はっきりしない。分からないから、トイレットペーパーや生鮮食品の供給も、外国人居住者の法的地位も航空機の運航も、さまざまなことが危ぶまれている。

ブレグジットの危険性を訴えるのは、16年当時も今も拒絶されるだけのむなしい仕事だ。同時に、それは嘘と隣り合わせでもある。例えば、EU離脱に伴う失職者数は20万人とも言われたが、今では5000~1万3000人ほどとみられている。



それでも、EU離脱はリアルな影響をもたらす。予測は下方修正されてもかなりの数の失職者が出るはずだし、ブレグジットを現実にしたポピュリズム政治を歴史的に検証する必要もある。そして、ブレグジットの結果として現れる日常的な不便もまた本物だ。

ブレグジットをめぐっては、北アイルランドとアイルランドの間の国境管理が最大の争点になっている。だが厳格な国境管理の復活も、境界を設けないことも、どちらも受け入れられないという点で意見は一致している。問題は2つを両立させる道を探すことだけだ。

備蓄が困難で、輸入が不確実になるトイレットペーパーもそうした問題の1つ。退屈な存在でも、社会的に重大なトイレットペーパーの不足こそ、英国民にとってブレグジットに伴う最大の屈辱になるかもしれない。

From Foreign Policy Magazine

<本誌2019年03月19日号掲載>



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スティーブン・パドゥアノ(ジャーナリスト)

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