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ニュージーランド首相、ムスリム「コスプレ」の偽善臭

ニューズウィーク日本版 2019年3月29日 15時0分

<銃撃事件の追悼集会でアーダーン首相や女性記者らがイスラム教徒との「連帯」を示すためスカーフを着用。だが当のイスラム教徒女性たちの間で絶望の声が上がっている>

ニュージーランドのモスク銃撃テロから1週間後の3月22日、現場近くの公園では追悼集会が開催された。

そこで目立ったのは、頭にスカーフを着用した女性たちの姿だ。参加したジャシンダ・アーダーン首相をはじめ、銃を持って警備に当たる警官、取材記者やレポーターの女性までもが、被害者となったイスラム教徒との「連帯」を示そうと、こぞってスカーフを着用。その様子を世界中のメディアが絶賛した。

一方、この動きに絶望を感じた人々もいる。スカーフ着用義務に反対し戦ってきた一部のイスラム教徒女性だ。彼女たちは「着用義務の根底にあるのは父権主義的な社会であり、イスラム教ではない」「正しいイスラム教はもっと自由で大らかであるはずだ」と主張。国際的な人権団体やフェミニストに支えられながら活動を展開してきた。

彼女たちにとって、自由で平等な近代的世俗国家であるはずのニュージーランドの首相がスカーフを着用したことは、「父権主義的で原理主義的なイスラム教解釈の承認」であり、「近代的なイスラム教解釈は切り捨てられた」と受け止められた。

着用義務の是非が世界各地で問題となっているなか、「スカーフをイスラム教の象徴とするのは不適切」「着用を義務付ける原理主義への迎合」ではないか。そうした批判に対し、BBCの女性記者は「ムスリム団体のリクエストを受け入れ、スカーフをかぶろうと選択した」と明かした。

スカーフ着用は「神の命令」

着用批判に反論するメディア関係者も見られた。

「イスラム教徒女性にはスカーフを着用する自由があり、他者の視線を気にせず外出するため自主的に着用を選択してきた」「モスク銃撃以降、彼女たちは襲われることを恐れてスカーフを躊躇するようになった。連帯によって彼女らの自由は守られた」――。

こうした「イスラム教徒女性はスカーフの着用によって自由を手にいれる」という主張は、「欧米女性がイスラム教徒女性に寄り添う」ことを重視する「第三世界フェミニズム」運動の典型例だ。「寄り添う」姿勢は、モスク銃撃テロという惨事に心を痛め何とか弔意を示したい人々にとっては、魅力的に響くことであろう。

しかし忘れてはならないのは、イスラム教徒女性にはスカーフを「着用する自由」を主張する人も、「着用しない自由」を主張する人もいるという実態だ。イスラム教徒でもない異教徒による集団的なスカーフ着用というパフォーマンスが、「着用しない自由」の存在を損ない、ないがしろにしたと受け止められても仕方ない。

そもそもスカーフを着用するイスラム教徒女性の圧倒的多数派は、その行為に西洋近代的な意味の「自由」などというイデオロギーを重ね合わせたりはしない。「全知全能の神が命じた」と信じているからこそ、着用しているにすぎない。イスラム教徒は神の命令に従って現世を生きることを絶対善と信じており、その伝統的な信仰体系の中には近代的な自由という概念は存在していない。

「神の命令に従ってスカーフを着用する」というイスラム教徒女性の行為に対して、外部の者がそこに「自由がない」とか「自由がある」とか判断すること自体、当事者を困惑させるだけの見当違いな議論と言えよう。



異教徒によるスカーフ着用というパフォーマンスは、着用義務に反対する立場のイスラム教徒女性を絶望の底に突き落としただけではない。そのパフォーマンスを絶賛した、着用を肯定する側のイスラム教徒に対しても、全く意図していない「別のメッセージ」を伝えたという、複雑で深刻な問題も引き起こしている。

アーダーンのスカーフ着用はイスラム諸国のメディアでも大きく伝えられた。世界一高いビルとして知られるUAE(アラブ首長国連邦)ドバイのブルジュ・ハリファには、スカーフを着用した彼女がイスラム教徒を抱きしめる姿が「平和」という文字と共に大きく映し出された。

もちろんアーダーンは善意で、イスラム教徒に寄り添う気持ちを表現したのであろう。一方、この姿を見た多くのイスラム教徒は、「彼女はイスラム教徒同然になった」と理解したのだ。

実際に、若いイスラム教徒男性がスカーフ姿のアーダーンに歩み寄り、イスラム教への改宗を呼び掛けて首相を当惑させる映像も出ている。この映像はパキスタンなどのメディアで大々的に伝えられる一方、欧米メディアでは取り上げられなかった。これは、スカーフ着用というパフォーマンスがイスラム教徒に大いなる「誤解」を与えてしまったことを糊塗するためだといわれても仕方がない。

望ましくない結果も

この誤解は、「神は全ての人間をイスラム教徒として創造した」という信仰に由来する。両親や環境のせいで異教徒になってしまった人間も、イスラム教を知るや否や直ちにイスラム教に改宗する。人間の本性はイスラム教という真理を求めるように創造されているからだと、イスラム教徒は信じている。

同じくスカーフ着用も「神が女性に対し頭髪を覆い隠すよう命じた」と信じ、女性が命令に従う敬虔なイスラム教徒であることを明確に示す信仰行為でああって、文化や習慣ではない。アーダーンのスカーフ姿は、イスラム教信仰を受け入れ神の命令に従ったことの証しとして理解されたのだ。

アーダーンには自身の姿がそう受け止められたという自覚はあるまい。ただ政教分離を原則とする国家の長としては、これが適切なパフォーマンスだったのかを再考する必要があろう。彼女が改宗することはないだろうが、そのことは彼女の改宗を信じ、大いに期待したイスラム教徒を失望させ、あまり望ましくない結果も招き得る。イスラム教徒から、「やはり西洋人は偽善者だ、信用ならない」と新たな批判を招きかねない。

本当の意味での異文化、他宗教理解とは、誤解や対立、紛争を回避するためのものであるはずだ。その場しのぎの短絡的なパフォーマンスであってはならない。


飯山陽(イスラム思想研究者)

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