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元号は天皇が決めるべきだ

ニューズウィーク日本版 2019年4月5日 18時0分

<なぜ万葉集なのか、なぜ国書なのか、なぜ閣議決定なのか......。「令和」の決め方にはいろいろ違和感がある>

新しい年号が「令和」に決まった。

発表の様子は、NHKの国際放送でも流され、フランスでもリアルタイムで見ることができた。ずいぶん便利になったものだ。個人的な話だが、日本史は小学校の頃から大好きで、縁あって大正時代を中心に天皇・皇室の研究をすることにもなり、いくつか本も上梓した。やはり気になって、まだ時差で夜明け前だったが、テレビの前に座った。

それにしても出典が万葉集だとは。和歌の魅力は大和言葉の美しさである。しかし元号は漢字が二文字で音読みするということは初めからわかっている。中国の故事にならった序文の部分ではなく、枕詞の「青丹よし」の青丹(あおに)とか訓読みの元号にするほど徹底するのならまだしも、現存する最古の漢詩集である懐風藻から大正天皇まで脈々とした漢詩の伝統もあるのになぜわざわざ和歌集からとってきたのだろうか。日本書紀、古事記万葉集だけが日本の古典ではない。

会見で「国書」といっていたが、総理大臣が言うとどうも外国に対する国の公式書簡のようだ。「和書」というべきだったのではないか。それから、「くにがら」という言葉をつかったが、現代日本の総理としてはつかうべきではない。「くにがら」は「国体」の訓読みであり、戦前、漢字の「国柄」も「国体」と全く同義語として使われていたからである。

総理が「伝統」を盛んに強調していたのも気になった。たしかに元号は1400年の歴史がある。しかし、今のような一世一元になったのは明治になってからである。

元号に王政復古になって領土と国民だけではなく時間をも天皇が統治するという意味をもたせた。

明治時代に作られた「伝統」

日本で初めての元号は、大化である。蘇我氏の支配を倒したクーデタの一環として孝徳天皇の即位にあわせて定められたのだが、一世一元ではなく大化6年に天皇に白雉が献上されたのを吉兆だとして改元された。そのあと中断(資料によってはいくつかの元号もある)ののち文武天皇のときに大宝が制定された。これもまた、律令の公布という政治の大改革にともなうものだった。文武天皇は即位後すでに5年たっていた。また4年後には慶雲に改元される。これ以来元号は綿々と続くが、代替わりの他に吉兆や天変地異などによって変わるもので、在位中の天皇とことさら結びつくものではなかった。

赤穂浪士が討ち入りした元禄15年、当時の江戸の庶民で東山天皇と結びつけた人はいなかっただろう。今日でも将軍綱吉は思い出せても当時の天皇が誰だったかを言い当てられる人はまずいない。しかし、明治15年の日本人はいまの天皇が即位してから15年目の年であることは、簡単に想起した。

明治時代に、悠久の日本の歴史文化は取捨選択され、修正されて、時には、西洋の風習をもとりいれた日本の「伝統」が生み出された。一世一元の元号もその一つである。



終戦後旧皇室典範の廃止で元号の法的根拠はなくなり、1979年に元号法で復活した。そのとき、明治と同じ一世一元とされた。現実的に、100年たって、一世一元に国民は慣れていたし、第一、昔のように不定期にコロコロと変わられては、現代生活では使用できない。元号という伝統を守るためにも明治の修正のままにするのはいたしかたなかろう。だが、同時に閣議決定すると決められたのはちょっとおかしい。

そもそも、元号は天皇が決めるものだった。江戸時代に、幕府が最終的に裁可するようになり、変更させた例もあるが、あくまでも基本は天皇(時には上皇の意見のときもあったが)が、幕府は追認するというのが原則であった。伝統を重んじるならば天皇が決めるべきである。

報道によれば、決定後、宮内庁を通じて今上陛下も践祚をひかえた皇太子殿下に知らされ、承諾されたという。だが、立憲制度を守る陛下も殿下も否定することは絶対ないのである。また政令も御名御璽があって初めて有効になるが、これも同じ理由で陛下が拒否することはありえない。選択の自由がないのだから陛下・殿下が選んだとはいえない。

天皇に選択の自由を

天皇が裁定しなくなったのには、別の側面もある。一世一元は、統治者が時間を支配するという意味があり、それを天皇が決めるということは天皇が統治者であると宣言することであった。だから、現在の日本国憲法下で、国民主権となったので統治者たるは国民が決める。だが、それならば、決めるのは内閣ではなく国会であろう。国会議員は国民の代表であり、国会が国権の最高機関であるということは憲法に明記してある。内閣は統治行政機関にすぎない。

私は、国会が超党派の特別委員会をつくって候補を絞って、天皇が最終的に決定するというのがいいのではないかと思う。いまや天皇は国民総意にもとづく日本国と日本国民統合の象徴である。元号制定を利用して天皇を戦前のような存在に担ぎ上げようとする者があれば憲法違反として厳しく取り締まればいい。

古来の日本の伝統にも合致している。おまけに現在の慣習では元号は天皇の諡号となり、歴史の中に永遠に刻まれる。天皇の決意願望もまた反映されてしかるべきではないか。

元号は大嘗祭などと違って、宗教行事ではない。もともと唐風の流行によるものである。だから政教分離にも抵触しない。

いまや元号は、かつてのように天皇が時間を支配するのではなく、天皇と国民が、あるいは国民同士が時間を共有するツールになっている。現在を生きる国民と過去からの歴史文化の象徴である天皇が一緒になって未来を切り開くのである。
 
[執筆者]
広岡裕児
1954年、川崎市生まれ。大阪外国語大学フランス語科卒。パリ第三大学(ソルボンヌ・ヌーベル)留学後、フランス在住。フリージャーナリストおよびシンクタンクの一員として、パリ郊外の自治体プロジェクトをはじめ、さまざまな業務・研究報告・通訳・翻訳に携わる。代表作に『EU騒乱―テロと右傾化の次に来るもの』(新潮選書)、『エコノミストには絶対分からないEU危機』(文藝春秋社)、『皇族』(中央公論新社)他。




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広岡裕児(在仏ジャーナリスト)

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