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平和と国際親善の天皇は去りゆく

ニューズウィーク日本版 2019年4月6日 14時0分

<象徴として昭和天皇とは違う道を模索し続け、平和と友好を追求した今上天皇と安倍政権の「距離感」>

4月30日、日本に歴史的な瞬間が訪れる。天皇明仁が退位し、翌5月1日に皇太子徳仁が即位するのだ。天皇の生前退位が行われるのは、天皇が生涯その地位にあり続けるとする制度が導入された明治以降の日本史上では、初めてのことだ。

天皇はまず、2016年8月に異例のビデオメッセージで退位の意向を表明した。自らの高齢(現在は85歳になった)により、務めを果たすのが困難になることを指摘。翌年、国会は天皇の退位を可能にする特例法案を決定した。

今年10月に行われる新天皇の即位礼正殿の儀には世界195カ国の元首らが招待される。彼らは新天皇の即位を祝うとともに、1989年に昭和天皇の逝去に伴い皇太子明仁が天皇に即位して以降の日本が経験した大きな変化にも敬意を表することになる。

天皇が即位した当時、日本経済はアメリカに次ぐ世界第2位。その経済がピークを過ぎて低迷していった平成の時代もなお、日本人はおおむね豊かであり続け、生活の質は年々高まっていった。世界最高レベルの平均寿命などがいい例だ。

天皇はその果たすべき役割がまだはっきりとしない時代に即位した。「即位以来、私は国事行為を行うとともに、日本国憲法下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごしてきました」と、16年のビデオメッセージで話している。

天皇が常に、父である昭和天皇とは違う道を模索し続けたことは明らかだ。第二次大戦中も、また戦後も天皇の座にあった昭和天皇は、日本の戦時中の行為について非難を受けることも多かった。だが特に戦前と戦中、昭和天皇は神のような存在と見られていた。

戦後、アメリカは「天皇制」を完全に廃止したいと考えた。その存続を米政府が認めることになったのは、占領軍総司令官ダグラス・マッカーサーの説得があったからだ。彼は、日本が士気を取り戻し、国を復興させるには天皇制の維持が欠かせないと主張した。振り返ってみれば、昭和天皇をその地位にとどめておくことは、その後始まった冷戦の時代においても日本の知識層や指導層の結束を図る上で不可欠だったようだ。

アメリカが日本と合意に達した内容はシンプルだった。天皇はその地位にとどまっても構わない。ただし、それには1つ条件があり、天皇が政治に関与しないことを憲法に明記しなければならない、というものだった。

マッカーサーはさらに、天皇との会見という前代未聞の要求までした。これには皇室の側近たちから、神のごとき存在である天皇に対して何たることかと、猛烈な抗議の声が上がった。会見では写真撮影も行い、これから天皇の役割が大きく変わることを、日本国民に知らしめようという思惑だった。



親善と慰霊の旅を続けて

実際、天皇の役割は大きく変わった。日本は軍人も民間人も含めて300万人の国民の命を奪った戦争に大敗北を喫し、その傷から立ち直れずに揺らいでいた。そんな日本の国家統合を象徴するのが、天皇の果たすべき新たな役割となった。

天皇が即位する頃には既に戦争の傷の多くは癒え、経済は絶好調だった。当時、バブル経済はピークを越え、冷戦は終わろうとしていた。

そうした状況は即位間もない天皇にとって追い風となった。在位中、諸外国との親善に力を入れることができ、その中には第二次大戦で敵として戦った国も多かった。92年には訪中も果たし、不幸な戦争の歴史に遺憾の意を表した。中国ではより明確な謝罪を求める声も上がったが、訪中は好意的に受け止められ、以後10年間のおおむね良好な日中関係のお膳立てになった。

天皇は日本の非公式の国際大使という役目に徹した。09年には皇后と共にアメリカ(ハワイにて第二次大戦などの戦没者が眠る墓地を訪れた)とカナダを訪問。その後、インド、パラオ、フィリピン、ベトナムも訪れ、親善と慰霊の旅を続けた。昨年5月には中国の李克強(リー・コーチアン)首相と会見し、日中平和友好条約締結40周年を祝った。

韓国併合でひどく苦しんだ韓国を訪問していないとの批判もあるが、対韓関係の改善に取り組まなかったわけではない。繰り返し戦時中の出来事に遺憾の意を表明し、90年には訪日した盧泰愚(ノ・テウ)大統領に直々に「痛惜の念」を伝えている。

在位中、活発な国際関係とは対照的に国内では暗い出来事が続いた。95年の阪神淡路大震災や11年の東日本大震災(合わせて2万人を超える死者が出た)など日本が深刻な自然災害に見舞われるたび、天皇は皇室の伝統を破って国民との距離を縮め、彼らに希望と勇気を与えた。11年の震災後には皇室の儀礼より国を癒やすことを優先し、国民に向けて異例のテレビ放映でメッセージを発表した。

90年代にバブルが崩壊して日本が「失われた10年に突入したときも、そうした姿勢は変わらなかった。新年の一般参賀で前向きで新しい年への希望に満ちたメッセージを送って、国民を励まし続けた。

「象徴」の遺産は次代へ

控えめで非政治的な役割に終始してきた天皇だが、本物の軍隊を配備できるように平和憲法を改正しようとする安倍晋三首相の取り組みには懐疑的だと、日本の近代に詳しい文芸評論家の加藤典洋ら専門家はみている。退位するタイミングも、改憲を推し進める安倍に皇室が違和感を抱いていることと関係があるのではないかと指摘する声まであるほどだ。天皇自身は明言していないものの、平和主義と憲法の維持という一貫したメッセージは国民に届いている。その功績と、皇室と国民を隔てる伝統の壁を少しずつ取り払ってきた功績によって、天皇明仁は初の「庶民の天皇」として退位する。穏やかな物腰も彼の遺産の1つになるはずだ。



今年2月、天皇は在位30年を振り返って、平成が国民の強い思いに支えられてその名のとおり平和を成し遂げた時代だったことを強調し、平和の大切さを説いた。彼の遺産は息子に引き継がれるだろう。

新天皇に即位する皇太子徳仁もかねて父と同様、親善訪問に積極的で、ベトナム、タイ、カンボジア、ラオスなど、世界各国を訪れてきた。新天皇に即位した後も父親の志を受け継ぎ、近隣の国々と友好の絆を育むことに積極的に関わっていくだろう――政治には関与することなく、だ。

平成時代は日本の皇室制度にとって転換期だった。天皇の役割が変わったのは父・昭和天皇の時代だが、日本の天皇として象徴的で非政治的な役割を全うしたのは、近代以降では彼が初めてだった。そうすることで、天皇明仁は日本の国際関係を構築し、修正し、育むことに協力するとともに、平和を希求する戦後の日本の立場を強調する手助けもしてきたのだ。

From Foreign Policy Magazine

<本誌2019年04月09日号掲載>



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J・バークシャー・ミラー(米外交問題評議会研究員)

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