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国際秩序を脅かすアサンジは法で裁かれるべきだ

ニューズウィーク日本版 2019年4月15日 18時0分

<「透明性」の名目の下に、法を無視し、ロシアの協力者となったアサンジは民主的秩序の敵として法で裁かれるべきだ>

4月11日にロンドンで「ウィキリークス」の創設者ジュリアン・アサンジが逮捕されたことは、「法の支配」の勝利だ。誰かが、気に入らない政府や個人を「崇高な」イデオロギーと「透明性」の名の下にさらそうとするとき、アサンジもその同類たちも、恩恵よりはるかに大きな災厄をもたらしてきた。

個人、企業、そして政府には、デジタル時代のルールと法律の範囲内で活動を営む権利がある。それ以外の活動は犯罪か、スパイ活動、または情報戦争だ。個人であろうと国家であろうと、保護されるべき機密情報を尊重することは、社会を機能させる上で不可欠だ。誰のデータが尊重に値するか否かを決めるのが自分の使命と思い込んだ人間は、誰にとっても危険な存在となる。次に誰が標的になるか、わかったものではない。

国際的な情報の暴露によって不正が明るみに出る。だから目的は手段を正当化する、とアサンジは信じ始めていたかもしれない。彼がどこから始めたにせよ、彼は、ロシア政府と共謀して2016年の米大統領選挙で不正を行った容疑者として裁判官の前に立たされる身だ。

ロシアの手先として法廷に

アメリカのイラク介入とアフガニスタンでのタリバンの追放に反対する多くの人々の仲間としてアサンジは活動を開始したのかもしれない。だが、彼が法廷に引き出されるのは、米軍人を危険にさらす試みに手を貸し、アメリカの最も高性能な情報通信収集ツールを暴露し(だがロシアには同じことはやらず)、世界中からアメリカの外交的地位を損なうために活動する人間とみられているからだ。

彼は、西側、ヨーロッパ、民主主義、法の支配、そしてアメリカの敵対者として、またロシアの仲間で手先だという疑いの下、裁判官の前に立つ。

エクアドル政府がなぜ、アサンジに与えた外交特権を剥奪しイギリスの法執行機関に引き渡すことに同意したのか、国際社会が具体的にどんな動きをしたのか、詳しいことはまだわかっていない。

わかっているのは、アサンジをロンドンのエクアドル大使館に匿うという2012年の決定をエクアドルが覆したがっていたこと、複数の国がアサンジを裁判にかけるために正式な引き渡し要求を提出し、国際法執行および外交面での協力を進めたことが、この結末を可能にしたということだ(アサンジがやった一方的な行為を考えれば、イギリス政府は軍隊の力でエクアドル大使館を制圧することもできたのだが)。



アサンジは、イギリスの法執行機関の行動は「違法」だと主張している。これは、ルールを適用するとき、しないときを自分の都合で身勝手に決めてきたアサンジのやり方からすると、皮肉中の皮肉といえるだろう。

アメリカ、スウェーデン、およびイギリス政府は7年以上に渡って国際的な法制度への忍耐と尊重を示したことを称賛されるべきだ。アサンジの行為が2016年の米大統領選挙をゆがめたこと、そしてドナルド・トランプ大統領がウィキリークスに対して「愛」を告白したことを考えると、アメリカの法執行機関にとって米政府との連携はやりにくいものだったに違いない。

アサンジの行為は、個人の力で、デジタルセキュリティの多くの隙間を悪用することができることを実証している。現代史において、危害を引き起こす能力を有する個人や比較的力の弱い国家、非政府犯罪組織(NGO)などからの攻撃に対して、今ほど国家が弱い存在になったことはない。

これまで国家は、総合的な力を持っていた。技術的な進歩を導き、船舶や戦車、航空機を生産したのは産業界でも、それらを所有し、運営し、総力を結集させるのは政府だった。そして権力をいつ、どのように使うかを決めたのも政府だった。

金で動くサイバー戦士の脅威

今日、個人やテック企業は、その能力と総合的な技術的手腕において、政府をはるかに凌いでいる。真っ先に適応しているのは犯罪者だ。そしてテック企業はサイバーセキュリティにおいて、政府と協力するにせよ、敵対するにせよ、対等の立場にある。

ニューヨーク・タイムズが3月21日に掲載した「新時代の戦争:インターネットの傭兵はいかにして権威主義的な政府と戦うか」によれば、世界で最も優れたサイバー戦士の一部がみずからのスキルを自由市場で合法的に民間企業に売却している。そのおかげで、強国とはいえない国々が世界の舞台できわめて高度なサイバー国家として振る舞うことが可能になっているという。

こうしたサイバー戦士のなかには、次のジュリアン・アサンジのような人々と手を組み、デジタルの「暴露屋」に協力する連中もいるはずだ。

国内外のいかなる法制度によってアサンジが裁かれるにせよ、これまでの彼の行動は法の支配と民主的な統治システムの対極にあるものだった。アサンジは自分が逆らい、無視した法の保護を与えられる。これはきわめて重要なことだ。

望みうる最善の結末は、裁判の過程でアサンジの居場所は法廷に他ならない、と彼の崇拝者が悟ることだ。それ以外の結末では、アサンジを崇拝し、国際的なシステムは不正だらけで、アサンジのやり方が抵抗の唯一の方法だと思い込む者がなくならないだろう。

(翻訳:栗原紀子)

The article first appeared on the Atlantic Council site.

トッド・ローゼンブルーム(米アトランティック・カウンシル上級研究員)

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