Infoseek 楽天

「美人銭湯絵師」の盗作疑惑に見る「虚像」による文化破壊

ニューズウィーク日本版 2019年4月17日 18時30分

<湯気の向こうに揺れる富士山を眺めながら露天風呂気分に浸る─。消えゆく昭和の庶民文化の一つに数えられる銭湯の「ペンキ絵」の界隈で、過去最大級の盗作疑惑がインターネット上で炎上している。3人しかいない銭湯絵師の1人の愛弟子を名乗っていたアーティスト兼モデルの勝海麻衣(かつみ・まい)氏(25)の作品のほとんどが、実は他の作家の作品の「パクリ」だったという衝撃的な疑惑だ>

ライブペインティングの絵が著名イラストレーターの作品に酷似

勝海麻衣氏は、東京芸大の現役大学院生として絵画やデザインを学びながら、モデル業もこなすマルチタレント。アップル・コンピュータのCM出演などメジャーな実績もある売出し中の若手だ。武蔵野美術大学空間演出デザイン学科卒で、卒業制作の人物群像のインスタレーション作品で優秀賞を獲得。その作品による個展も開いている。メジャーバンドのCDのジャケットデザインを手がけるなど、グラフィックデザイナーとしての活動もある。端正な顔立ちとスタイルを活かしたモデル業では、パリで開かれたコシノ・ジュンコ主催のファッションショーへの出演などが実績に挙げられている。

この「アーティスト兼モデル」業に色を添えるのが「銭湯絵師見習い」の肩書だ。2017年9月に、今や日本に3人しかいない銭湯絵師のうち、最高齢の丸山清人氏(84)に弟子入り。以後、丸山氏と共に、各地の銭湯で開かれるライブペインティングなどのイベントに出演したり、メディアから関連のインタビューを受けていた。

その勝海氏に、盗作疑惑が持ち上がったのは、大正製薬の炭酸飲料のPRイベントで行ったライブペインティングがきっかけだった。このイベントで、勝海氏は"即興"で2匹の虎が向かい合う絵を描いたが、これが、著名イラストレーターの「猫将軍」氏の阿吽(あうん)の構図の虎の絵と酷似しているという指摘がイベント見学者から持ち上がった。すぐに猫将軍氏サイドから正式な抗議があり、本人も勝海氏サイドの説明を「とうてい納得できない」と怒りを露わにした。現在、双方の話し合いが進んでいるという。

イベントを主催した大正製薬は、謝罪文を発表し、公式アカウントから作品関連の投稿を削除する事態となった。その後、勝海氏を起用した別の企業のCM動画が削除されるなど、影響は多方面に広がっている。

「お騒がせ」したことを謝罪→炎上

このライブペインティングの作品は、全体の構図が酷似していただけでなく、あえて実際の虎にはない模様を描くなどの猫将軍氏独自のタッチの部分まで同じだった。ネットのみならずこの騒動を報じる一部メディアの論調が「クロ」の判定を下しているのは妥当だと言えよう。ただ、この件だけであったならば、まだ学生の立場でもある将来ある女性の「若気の至り」だとして、これほど大きな非難は浴びなかったかもしれない。

火の勢いを増す「燃料」となったのは、 "謝罪"の仕方だった。勝海氏本人は、「先日、私が参加させて頂いたイベントにて描いた絵が他の作品に酷似しているというご指摘を頂戴いたしました。まずはお騒がせし、ご迷惑をおかけしたこと心よりお詫び申し上げます」と、公式アカウントに謝罪ツイートを掲載したが、これが<世間を騒がせたと言っているだけでパクリは認めていない。全く謝罪になっていない>と、炎上したのだ。猫将軍氏に直接宛てた謝罪メールと大正製薬の謝罪文も、同様にも受け止められる内容だった。さらに、これらの謝罪文がテキストではなく画像として貼り付けられていたことも、「検索避け」だとして非難された。

そこからの「匿名の集団の力」は凄まじく、匿名掲示板「5ちゃんねる」には関連スレッドが次々と立ち、勝海氏の過去の絵画・デザイン作品が次々と掘り起こされていった。そして、詳細な比較画像と共に、インターネット上で検索できるほとんど全ての勝海作品が国内外のアーティストの作品を模倣した「パクリ」だと"認定"される事態となった。作者本人からの抗議を受け、SNS上から削除された作品も出た。さらには、絵画だけでなく、勝海氏が日常の何気ない出来事を語ったツイートの中にも、他人のツイートをコピーして一部改変した「パクツイ」が多く見つかり、衝撃が走った。



掘れば掘るほど膨らむ「虚像」

勝海氏自身は、件のライブペインティングについて、銭湯絵師見習いではなく、独立したアーティストとしての活動だと語っている。しかし、イベントには、丸山氏と共に行動する際に身に着けているペンキの汚れが飛び散ったズボンと、名前入りの紺の手ぬぐい姿の「銭湯絵師見習い」のコスチュームで臨んでいた。騒動後、丸山氏は、公式HPで勝海氏の方から申し出があったとして、師弟関係の解消と、今後の勝海氏の銭湯絵師としての活動には一切関知しない旨の声明を発表した。

「パクリ」が指摘されている無数の勝海氏の絵は、元絵と比べてお世辞にもレベルが高いものとは言い難い。陰影や反射などの細部の模倣も多く、「インスパイアされてアレンジした」という言い訳は効きそうもない。強調されている「芸大」の学歴も、実際に通っているのは学部よりも入学が容易とされる大学院であり、卒業したのは入試の難易度という点では東京芸大よりもランクが落ちる私大だ。それも必ずしも高い絵画のデッサン能力を求められないファッション系の学科であった。

一方、モデル業は学部時代から行っており、本人のSNSの発信も美術系よりもそちらが中心だ。そうしたことから、ネット民の間では、アーティストとしての顔はモデル・タレント業でのキャラクター性を強化するための、実力を伴わない「設定」ではないかという見方が広がっている。そして、「銭湯絵師見習い」は、そこに<昭和の庶民文化を守る美人すぎる絵師>というストーリーを追加するために、周囲の大人によってプロモーション的に作られたものだという意見も目立つ。勝海氏が語る経歴にまつわるエピソードや芸術論にも、他人の経歴や言葉との重複が多く見つかった。人々がネット上の情報を掘れば掘るほど、「虚像」が膨らんでいった。

対照的なリアルな銭湯絵の世界

「銭湯」は、近代日本の代表的な庶民文化だ。そこに、平成生まれの若いきらびやかな美女が入るコントラストが、抜群のPR効果を発揮するという発想は理解できる。ただ、筆者が過去の取材で実際に見た銭湯の「ペンキ絵師」の世界は、非常に地味でつつましく堅実なものであり、やはり「勝海麻衣」という存在の違和感は拭えない。

私は、勝海氏と元師匠の丸山氏とは面識がないが、2011年2月に、残る2人の銭湯絵師である中島盛夫さんと田中みずきさんに実際に会ってインタビューしている。中島さんは1945年生まれのベテランで、丸山氏とは兄弟弟子の関係にある。1983年生まれの田中さんは当時、中島さんの弟子としてインタビューに同席した(現在は独立して3人目の銭湯絵師として活躍している)。お二人に話を聞いたのは、帰国子女・海外子女向けの教育雑誌で、海外に住む日本文化に触れる機会が少ない子供たちのために、母国の知られざる文化を分かりやすく紹介するためだ。

今俗に「銭湯絵」と言われている銭湯の壁画は、白・赤・紺・黃の4色のみの速乾性のペンキで一気に描き上げるペンキ絵だ。「芸大」というワードでくるむようなピュアアート寄りの芸術作品というよりは、職人技で作り上げられる大衆文化的要素が濃い。勝海氏が銭湯絵師のコスチュームで出演するCMやイベントは、ファッション性が強調されたきらびやかな世界だが、少なくとも自分が取材を通じて知る限りでは、当時のリアルな銭湯絵の世界は、非常に泥臭い印象があった。インタビューの場所は、青果市場の一角にある冷え冷えとした倉庫。中島さんは銭湯絵だけでは生活ができないため、そこで管理人業務をして生計を立てていた。



広告掲載の「お礼」として描かれていた昭和の「ペンキ絵」

銭湯のペンキ絵は、もともと東京を中心とした関東圏独特のもので、関西などその他の地域では何も絵がないか、比較的小さなタイル絵が配されることが多かった。福島県生まれの中島さんも、19歳で上京して町工場で働いていた時に初めてペンキ絵を見たという。中島さんはそれに感動し、広告会社の募集に応募してペンキ絵師になった。当時は、「銭湯絵師」という独立したアーティストではなく、「看板屋」と俗に言われた広告会社の社員が絵を描いていたのだ。

どういうことかというと、当時はペンキ絵が描かれる浴槽の上の壁には、地元企業や店の広告が描かれていた。銭湯側は、原則的に無償でその広告スペースを提供していたので、富士山などのペンキ絵は、その「お礼」として、余ったスペースに無料で描かれたものだったのだ。しかし、しだいに銭湯広告の出稿が少なくなり、ペンキ絵も衰退していった。銭湯そのものも減る中、現在は銭湯からの直接の依頼で有料で描くスタイルに変わっている。

従って、「銭湯絵師」という個人がアーティストとして注目されるようになったのは、比較的最近のことなのだ。そうした時代の変化の中に、職人としての実力や熱意よりも、「若い美人」という表面的な要素を重視したスターシステムを招き入れる隙があったのかもしれない。

「虚像」は結果的に文化を衰退させる

地方の温泉と違い、都市の日常生活と密着した銭湯は今、補助金なしでは立ち行かない状況にあるという。今回の騒動には、勝海氏と「立ち位置が被る」として、自分が本当は丸山氏の弟子だったのに圧力によって立場を剥奪されたと訴える「銭湯アイドル」も絡んでいる。その真偽はともかく、そうした過去には考えられなかった仕掛けやPRが、騒動に複雑に絡んでいるのは間違いなさそうだ。

また、巨額が動く五輪関係イベントに、日本文化の紹介を名目とした銭湯関連のイベントが企画されていることも、関連が取りざたされている。そこにさまざまな利権が絡んで、広告代理店や芸能・デザイン関係のプロダクションが「勝海麻衣」という虚構のスターを準備していたという噂まで、まことしやかに広まっているのだ。

消えゆく庶民文化を守ることは必要だ。銭湯はエネルギッシュな昭和の息吹を感じさせる文化遺産だという見方にも共感する。五輪を契機に「クールジャパン」の一つとして世界に発信するのも良いだろう。しかし、「虚像」によってそれを膨らませるのは、結果的に衰退を早めるだけだということに誰も気づかなかったのだろうか?それが今回の炎上を招いた根本的な要因だったとすれば、非常に愚かしいことだ。


内村コースケ(フォトジャーナリスト)

この記事の関連ニュース