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ウクライナの喜劇俳優とプーチン、笑うのはどっちだ?

ニューズウィーク日本版 2019年4月23日 18時20分

<笑いと勇ましいトークでウクライナの大統領に上り詰めた政治の素人、ゼレンスキーが対峙するのは、ウクライナを力ずくで奪い返そうと画策するプーチンだ>

ウクライナ大統領選挙は4月21日に決選投票が実施され、暫定開票結果によれば、選挙活動の中でほとんど政策について語ることのなかったボロディミル・ゼレンスキー候補が、現職のペトロ・ポロシェンコ大統領に49%近くの差をつけて地滑り的な勝利を確実にした。政治未経験のコメディ俳優、ゼレンスキーは、21日の勝利演説でもあまり具体的なことを語らず、あり得ないと思われた勝利について「全ては可能だ」と笑い飛ばしてみせた。

正式な開票結果は4月末から5月はじめにも発表される見通しで、その約1カ月後には就任となるだろう。だがユーモアが売りのゼレンスキーは、就任前から試練に直面することになりそうだ。ウクライナ国内外の軍事関係者によれば、ユーモアとは無縁で陸・海軍の増強を進めているロシアのウラジーミル・プーチン大統領が、予想よりも早くウクライナ侵攻の準備を整えつつあるからだ。

「ゼレンスキーが最初に直面する難題がプーチンだろう」と、同じ旧ソ連国家リトアニアのアンドリウス・クビリウス元首相は指摘する。ゼレンスキーは折に触れ、ロシアに融和的な姿勢を示してきたが、プーチンは22日、彼の勝利を祝福することをあからさまに拒否した。

政策も影響力も未知数

外交関係者たちは、ゼレンスキーの勝利が、食うか食われるかのウクライナとロシアの関係にどのような影響をもたらすことになるのか、予測は難しいと語る。ゼレンスキーの実際の政策はほとんど知られておらず、彼がどれだけの影響力を持つかも不明だからだ。

投開票日の夜、ゼレンスキーはロシア国境のウクライナ東部での紛争を終わらせるために、ロシアおよびプーチンと改めて話し合いを行っていくつもりだと語った。だが彼はまた、プーチンに対抗するための「情報戦」のようなものを開始し、またEU(欧州連合)とNATOへの加盟について国民投票を実施したい考えも示した。ロシア政府がこうした動きに激怒するであろうことは確実だ。

ゼレンスキーはまだ外相や国防相を指名していないが、指名された人物は今後、ウクライナ議会の承認を得る必要がある。同国の政治システムで最も大きな力を持つのがこの議会であり、秋には議会選が予定されている。



プーチンのウクライナへの執着は、ロバート・ムラー米特別検察官が作成し4月18日に公表された、いわゆるロシア疑惑の報告書の中に明確に表れている。同報告書は、ロシア情報当局者とつながりのあるコンスタンティン・キリムニックが、ドナルド・トランプ米大統領の選対本部長だったポール・マナフォートに接近して、ロシアによるウクライナ東部の支配をアメリカに認めさせようとしていたことに言及している。

ゼレンスキーが自国の部隊をどう扱うかはまだ不透明だ。彼はかつて、ロシアの支援を受けた分離主義者を「反逆者」と呼んでおり、今後ウクライナ軍との関係修復を行う必要があるだろう。「我々の下に反逆者はいない。ロシアが侵略してきたのだ」と、ウクライナ軍はツイッターに投稿。「ウクライナ軍はこのことを決して忘れないし、許さない!」

だがこの失敗にもかかわらず、一部の分離主義者はゼレンスキーの勝利を祝い、投開票日の夜にウクライナ軍の部隊めがけて発砲してきたと、ある兵士は語った。

ロシア軍は海上からくる?

ウクライナ軍の複数の当局者は、ロシアが国境地帯に部隊を集めていると言っている。だが、ロシアとの今後のいかなる紛争も、陸路より海路によるものになるはずだと、ウクライナ海軍参謀本部の作戦部長であるアンドリー・リジェンコ大尉は指摘する。「海上の境界線の防御が我々の弱みだ」

2018年11月、ロシア海軍はケルチ海峡でウクライナ海軍の複数の小型艦に発砲し、これらの艦船を拿捕した。以降、ロシア当局は同海峡を通過する貨物船の航行を遅らせており、ウクライナ軍の当局者たちはこれについて、同国東部の経済をひっ迫させるための試みだと主張している。ウクライナは今後6年間で黒海周辺12海里の支配権を獲得したい考えだが、これはきわめて難しいことだとリジェンコは語った。「ウクライナは小型砲艦2隻と補助艦船2隻しか所有していないのに対して、ロシア側は100隻を超える艦船を所有している」

海からのロシアの脅威は、西側諸国の分断を突いてくるかもしれない。ペトロ・ポロシェンコ現大統領が率いる政府は、NATOへの加盟を望んできた。ひとつの加盟国に対する攻撃を全加盟国に対する攻撃と見なす集団的自衛権の枠組みが、ロシアに将来の侵攻を断念させるだろうと期待してのことだ。だが西側の軍事当局者たちは、NATOはウクライナに関する意見の対立から機能不全状態にあると指摘する――そうなると、今度はNATOの正式なチャネルを通して情報共有を行うことへの不安が生じる。特にハンガリーやイタリアなどの国はロシア寄りと考えられているからだ。それでもNATO加盟諸国は4月4日、ウクライナへの軍事的支援を強化することで合意した。



アメリカは、ウクライナ東部、クリミアとケルチ海峡でのロシア政府の行動を受けて、ロシアの複数の個人に制裁を科した。だがロシアに対するさらなる罰を求めてきたウクライナと東欧諸国の政治家たちは、トランプ政権が1月、プーチンに近いロシア新興財閥のオレグ・デリパスカの所有する企業に対する制裁を解除したことに驚いた。もっとも、米国務省の報道官はフォーリン・ポリシー誌に対して、ロシアがウクライナ東部での行動を改めるまで、アメリカによる制裁は継続させるとしている。

こうしたこと全てが、ゼレンスキーにとって重大な地政学的危機となる。彼の唯一の政治経験はテレビ番組で演じた大統領役だ――それもアメリカのドラマ『ザ・ホワイトハウス』に登場するジョサイア・バートレットのような聡明で強い大統領ではなく、笑いを取ることが狙いの大統領だった。

ゼレンスキーの勝利には、イタリアの反体制派運動「五つ星運動」やアメリカのドナルド・トランプのように、国内のエリート層に対する怒りが生んだポピュリスト的要素があると指摘する声も一部にある。ゼレンスキーは政治について語った際に、ウクライナに根付いた腐敗のネットワークと闘い、ロシアとの紛争を解決することを約束した。

新世代の指導者を求めた有権者

ゼレンスキーはまた、ウクライナの守旧派の痛いところを突いている。ウクライナでも指折りの富豪であるポロシェンコ政権の下、ウクライナは欧州で一番汚職がひどい国の一つと、トランスペアレンシー・インターナショナルは言う。そしてポロシェンコは、必要な改革をなかなか実行しなかった。ポロシェンコの不支持率は55~65%にのぼると、米ウィルソン・センターの上級顧問、ミハイル・ミナコフは言う。「ある調査では、ポロシェンコが連想させる汚職や手つかずの改革、分断を煽る国家イデオロギーなどには73%の有権者がノーと言っている」

ゼレンスキーの最大の強みは、ほとんど知らない者がいないほどの知名度と巧みなショーマンシップだ。彼は、決選投票に向けた大統領討論会の会場を、欧州サッカーの興奮冷めやらぬキエフのオリンピック・スタジアムで行うことを主張した。討論会の間、ゼレンスキーがウクライナの経済不振を批判すると、彼の支持者たちが大声で賛意を表した。ゼレンスキーは、ウクライナ軍の兵士を讃えるために跪きさえした。

ゼレンスキーの勝利は何より、ウクライナ人が新しい世代の指導者を求めていることを表している。「ゼレンスキー陣営は、SNSなどの利用で創造性を発揮し、すべての世代、所得階層、宗教の心に訴えた」と、ミナコフは言う。



だが、汚職と戦うゼレンスキーのイメージは、すぐに脅かされることになるかもしれない。ウクライナ最大手の金融機関PrivatBankの所有者だった新興財閥イホール・コロモイスキーは、ゼレンスキーのメインの支援者とみられている。だが、PrivatBankは2016年、詐欺容疑で国有化されている。先週、ウクライナの裁判所は国有化は無効としたが、この法廷闘争はこれからも続く。そこからどんな醜聞が飛び出すかわからない。

それでも、平和的なトップ交代が実現したことは民主化へ向けて好ましい一歩だと言う意見もある。故ジョン・マケイン米上院議員の外交顧問を務めた米共和党国際研究所のダニエル・トワイニング所長によれば、2013年、ウクライナの民衆がロシア派のビクトル・ヤヌコビッチ大統領を引きずり下ろしたことを、マケインは非常に喜んでいた。

「マケインは今回の選挙についても、政治も金も握った現職大統領を平和的に失脚させるのは、旧ソ連では極めて稀有なことだと言っただろう」と、トワイニングは言う。

(翻訳:森美歩)

From Foreign Policy Magazine



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