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アポロ11号アームストロング船長の知られざる偉業

ニューズウィーク日本版 2019年4月26日 17時30分

<人類初の月面着陸成功から今年で50年――「第一歩」を記したアポロ11号船長は、その3年前に宇宙の大惨事を防いでいた>

アポロ11号に乗ったニール・アームストロングとバズ・オルドリンが人類として初めて月面に降り立ったのは、1969年の7月20日。今年は50周年に当たるが、その3年前に一歩間違えば大惨事となる危機があり、アームストロングらの努力で回避された事実はほとんど忘れられている。

ジェームズ・ドノバンの新著『月を目指して――宇宙開発レースとアポロ11号の類いまれな飛行』には、アームストロングたちが宇宙空間で直面し、切り抜けた緊急事態が克明に描かれている。以下はその部分の抜粋。

***


66年3月、月面着陸の技術を完成させるジェミニ計画は重要な局面を迎えていた。2人乗り宇宙船は、終了したマーキュリー計画のものより大きく、パイロットがほぼ完璧に制御して軌道修正できるので好評だった。6度目の有人宇宙飛行に挑むジェミニ8号の使命はとりわけ重かった。3日間で史上初の宇宙船のドッキングをし、より長い船外活動も行う必要があった。そして2人の乗組員(ニール・アームストロングとデービッド・スコット)にとっては初の宇宙飛行だった。

63年に宇宙飛行士になったスコット(当時33)は全てを備えていた。ハンサムな容貌、自信、航空宇宙工学の修士号だ。父親は戦闘機のパイロットで、スコット自身も戦闘機と実験機に乗り、妻の父親は引退した米空軍大将。まさにNASAのスターだった。

ジェミニ8号の船長はアームストロング(当時35)。海軍飛行士やテストパイロットとしてキャリアを積み、極超音速実験機X-15の開発に関わり、62年に宇宙飛行士に転身していた。

彼は軍用宇宙機X-20ダイナソアが実用化されたときのパイロットになるつもりだった。結局、計画は中止されたが、X-20の開発は航空宇宙工学で最も意欲的なもので、アームストロングがこよなく愛し、打ち込むに値するプロジェクトだった。

生まれはオハイオ州の小さな町の農家。飛行機の操縦免許を16歳の誕生日に取得し、数週間後に単独飛行した。車の運転免許を取る前のことだ。47年、軍の奨学金を得てパーデュー大学で航空工学を学ぶ。3年間の海軍勤務が奨学金の条件だったので、49年に海軍に入隊した。翌50年に朝鮮戦争が勃発。アームストロングは51年に戦場に送られ、戦闘機のグラマンF9Fパンサーで78回出撃した。

復学して55年に学位を取得し、テストパイロットとして働きだした。最初のうち、NASAのマーキュリー計画に興味はなかった。しかし62年にジョン・グレンがアメリカ人として初めて地球周回軌道を飛んだのに触発され、宇宙飛行士に志願した。

アームストロングは軍隊のテストパイロットにしては物静かな人物だったが、頭の回転の速さとプレッシャーに強いことで知られていた。結果として、この2つが彼にとって初の宇宙飛行で役立つことになった。

ジェミニ計画は問題が山積みだった。当初は成功が続き、アメリカは宇宙開発レースの先頭を切っていると思われていた。ところがCIAのスパイ機が撮影した写真から、ソ連が月を目指すと思われる巨大なロケットを建造中であることが発覚。アメリカはソ連より先に月に到達するため、宇宙船のドッキングや宇宙遊泳などの実験を急ぎ、結果を出す必要に迫られていた。



さらにはテスト飛行で宇宙飛行士3人が立て続けに亡くなる事故があり、有人飛行のコストやリスクを疑問視する声も上がっていた。だからこそ、ジェミニ計画は何としてもスケジュールどおりに進める必要があった。

ところが、実際には大惨事の一歩手前まで行ってしまった。パイロットたちは自分の能力を限界まで発揮して地球に生還した。そしてアームストロングは、この危機からの生還で評価を確立した。彼こそ初めて月面に降り立つ宇宙飛行士にふさわしいと......。

ジェミニ8号のミッションの滑り出しは好調だった。2週間前に機器にいくつか問題が見つかっていたが、66年3月16日午前10時41分に打ち上げ。周回軌道に到達するとアームストロングは無人標的衛星アジェナに接近すべく、推進装置のスイッチを入れた。95分前に打ち上げられたアジェナは、ジェミニをより高い軌道で待ち受けていた。

故障続きだった標的衛星

ジェミニのコンピューターが2機の位置を特定し、移動する曲線を割り出した。打ち上げから6時間もたたないうちに、ジェミニ8号は太陽光を受けて銀色に輝く全長8メートルのアジェナから45メートル離れた位置に停止した。これでランデブーは成功だ。

アジェナに問題がないことを確認した後、アームストロングはアジェナにゆっくりと1メートルまで接近。絶妙なタイミングとソフトな接触が要求されるドッキングに取り掛かった。バドミントンのシャトルに似たジェミニ8号の先端部は、巨大な魔法瓶のようなアジェナにすっぽりはまった。

「管制室、ドッキング終了......実にスムーズだった」。アームストロングはそう告げた。初の宇宙空間でのドッキング成功に、地上の管制センターでは歓声が沸き上がった。

空軍機でつくり出した無重力状態の中で宇宙服を着て船外作業の訓練をするスコット NASA

実際、アジェナはNASAにとって頭痛のタネだった。ドッキングを行う予定だった5カ月前のジェミニ6-A号のときは軌道に向かう途中で爆発していた。だから地上に待機する通信係の宇宙飛行士ジム・ラベルはマダガスカルの追跡基地を通じて、ジェミニ8号が通信圏外に入る直前にこう警告した。「アジェナの姿勢制御システムがおかしくなったら......システムを切って、そっちでうまく制御してくれ」

そして通信は途絶えた。アームストロングとスコットは船内のライトをつけ、手引書を取り出してドッキングに伴う作業をやり、システムをチェックした。夜になったので船外はよく見えなかった。さらに2時間ほど作業した後、2人は眠ろうとした。翌日に2時間以上の船外活動をする予定のスコットには睡眠が必要だった。

ドッキング成功から27分後、コントロールパネルを見上げたスコットは機体がゆっくりと、30度の角度で左に回転していることに気付いた。それを聞いたアームストロングは、姿勢制御用推進装置で修正を試みた。回転は止まった。だが、数分後に再び回りだした。

そして起こった想定外の事態

ラベルの助言を思い出したアームストロングは、スコットにアジェナの姿勢制御システムを切らせた。すると回転は止まったが、数分後に再び、今までより高速で回転し始めた。

電気系統の問題を疑ったアームストロングはスコットに、アジェナの電源を入れ直し、再び切るように伝えた。その間、自身は操縦席の姿勢制御装置で機体の動きを安定させようと試みたが、うまくいかない。



想像したこともない事態だった。しかも電波が届かない通信圏外だから、誰かに助言を求めることもできない。このまま回転が続けば、結合部分が壊れるかもしれない。大量の燃料を積んだアジェナが爆発するかもしれない。そして生命維持装置を積んだ部分と操縦室が引き裂かれたら......。酸素が尽きれば、窒息による素早い死がほぼ確実に訪れる。その前に、急いで対策を取る必要があった。さらに悪いことに、スコットは姿勢制御用の燃料が13%まで減少していることに気付いた。

しかし、こちらでロケットを噴射した記憶はない。ならば、問題はアジェナにあるはずだ。「アジェナから離れたほうがいい」。スコットはアームストロングに言った。

「そうだな。回転速度を下げられるかどうかやってみよう。準備は?」

「やっている」

アジェナは切り離されると、地上からモニターできなくなる。スコットは記録装置をセットし、アジェナが頭上を通過したときに地上の追跡基地がそのデータを拾い、誤動作の理由を知ることができるようにした。

「いつでもいいぞ」とスコットは言った。「準備完了だ」

「やれ!」とアームストロングは言い、

スコットはドッキング解除スイッチを押してアジェナを切り離した。するとジェミニの回転はさらに速くなり、上下にも回り始めた。2人の宇宙飛行士は大変な苦痛を伴う「人間遠心分離機」の実験に何度も参加していたが、その経験がここで生きた。

回転速度は毎秒2回転近くにまでなった(アームストロングは後に、独特の控えめな表現で「生理学的限界に近づいていた」と語っている)。

「面倒なことになった」と、スコットは言った。2人は必死で機体を安定させる作業を続けた。

目まいと吐き気に襲われて

ちょうどその頃、ジェミニは日本の南、西太平洋にいた通信連絡船コースタル・セントリー・キューベック(CSQ)の通信圏内に入った。

CSQの通信員は、何かがおかしいことに気付いた。遠隔測定でジェミニがドッキングを解除したことは分かったが、理由は不明。しかも、ジェミニは数分で通信圏外に出てしまう。

左は接近したジェミニ8号から撮影したアジェナの姿 NASA

「ジェミニ8、こちらCSQ、聞こえるか?」

「深刻な問題がある」とスコットは答えた。「回転しまくっている。アジェナを切り離した」

激しい回転で音声はゆがみ、波長が混乱して送信は途切れたが、CSQ側はスコットの言葉を聞き取った。

「回転がひどい、どうやっても止まらない」と、アームストロングは訴えた。「左回りで徐々に加速している」

機体はまだ毎秒1回転以上、上下に揺れ、左右にも揺れ動いていた。

機内ではチャートやチェックリスト、フライトプランなどが飛び交い、壁にぶつかった。2人の飛行士もあちこちにたたきつけられ、目まいと吐き気に襲われた。眼球の動きを制御できなくなり、視界もぼやけてくる。

2人とも気絶寸前だったが、意識を失ったら地上に生還できるチャンスはなくなる。ヒューストンの管制室が通信に割って入り、CSQに事情を尋ねていた。だがジェミニは再び通信圏外に出て、音声は途絶えた。



アームストロングとスコットは、選択肢が1つしかないことを知っていた。船首に付いている2つの再突入システムの推進装置を使うことだ。

「残っているのは再突入装置だけだ」とアームストロングは言い、「やるしかない」とスコットも答えた。

ジェミニの操縦室には6つのコントロールパネルがあった。再突入システムの制御スイッチはアームストロングの頭上の、操作しにくい場所にあった。しかし宇宙飛行士は長時間の訓練で、目視できなくても全てのスイッチの位置を把握するようになっていた。

再突入システムのパネルには12個ほどスイッチが並んでいた。アームストロングは手を伸ばし、正しいスイッチを探し出して押した。次いで、大気圏への再突入時に姿勢を制御するエンジンのスイッチを入れた。

ところが何も起きなかった。彼はスコットにも試してみるよう頼んだ。スコットがやっても反応はなかった。手動制御装置が動かなければ、地球に帰ることはできないだろう。機体は回転を続け、推進装置は働かない。回転を遅くする空気抵抗も存在しない。

間違ったスイッチを入れたかもしれないと考えた2人は、もう一度スイッチを入れ直した。

NASAが脱帽した冷静さ

ちょうどそのとき、手動制御装置が反応し始めた。アームストロングはロケット噴射を細かく操って高速の回転にブレーキをかけ、最終的に回転を止めた。その後、燃料を節約するために再突入システムを切った。機体の回転を止めるために、既に再突入用燃料の約75%を使い切っていた。故障の原因を確かめようと、彼は手動で推進装置を片っ端から試した。

問題があったのは、8番の方位制御用推進装置だった。恐らく電気系統のショートのせいでスイッチが入ったままになっていたのだ。燃料の噴射音が聞こえなかったのは、常に作動していたからだ。故障していたのはアジェナではなく、ジェミニだった。

再突入システムを使用すれば任務の続行は断念しなければならない。適切な角度で地球に帰還するには、再突入推進装置を使って機体を安定させなければならない。推進装置が故障していたら、姿勢の制御が利かない。そして再突入では、姿勢制御が最大の問題だ。

地上の管制室にいた冷静沈着なフライトディレクター、ジョン・ホッジは直ちに任務の中断を決めていた。しかし、いつ、どこで再突入させるべきか? 回収地点はどこになるか?

太平洋上に着水して救助されるアームストロングとスコット Bettmann/GETTY IMAGES

「悪いな、相棒」。26分間の地獄の後で、アームストロングはスコットに謝った。ジェミニの操縦を後でスコットに譲るつもりだったが、もう無理だ。スコットは船外活動に備えて過酷な訓練に耐えてきたが、これも諦めるしかない。選択の余地がないことはスコットも分かっていた。

ホッジは管制官たちと選択肢を検討し、20分後に決断を下した。再突入は7回目の周回で行う。あと3時間もない。想定どおりに逆噴射を行えれば、ジェミニは日本の南東約1000キロに着水する。その地点を目指し、海軍の駆逐艦レオナルド・F・メーソンが全速力で航行を始めた。



アフリカ上空を飛びながら、アームストロングは不安と闘っていた。もしも地面に激突したら? 機体は激突に耐えるように設計されている。だがいくら操縦席の耐衝撃性が優れていようと、すさまじい衝撃を受けるのは間違いない。障害物も避けようがない。大気圏に突入し、目前に迫るヒマラヤ山脈を見ると、スコットも不安を募らせた。しかし機体が急降下を続け、パラシュートが開き、眼下に青い海が見えたとき、2人は胸をなで下ろした。

着水してから20分後、空軍の輸送機から飛び降りた潜水要員3人がジェミニを確保。3時間後には駆逐艦がウインチで艦上に引き揚げた。10時間41分の飛行で乗組員は疲弊していたが、健康に問題はなかった。

あの2人、パニックを起こしたらしいぜ。そんな噂を流す者もいたが、ベテランの宇宙飛行士なら知っていた。アームストロングとスコットは手引書に従って行動し、生き残るために必要なことをやってのけたのだ。しかも見事に。極限状態を冷静に乗り切った2人をNASAはたたえた。とりわけ船長のアームストロングには脱帽した。

このフライトで周知の事実が再確認された。ニール・アームストロングはどんな危機に遭遇しても動じない冷静な男だということ、である。

(c) 2019 by James Donovan. Reprinted with permission of Little, Brown and Company. All rights reserved.

<本誌2019年4月2日号掲載>



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69年7月20日、アームストロングは月面に降り立ち着陸船を写真に収めた NASA


ジェームズ・ドノバン(作家)

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