Infoseek 楽天

難治がんの記者が伝えたい「がんだと分かった」ときの考え方

ニューズウィーク日本版 2019年5月7日 17時45分

<2人に1人ががんになる時代、考えることを先送りすべきではない――。2016年1月に膵臓がんと診断され、2018年末に亡くなった新聞記者が遺したメッセージ>

2月に出版された『書かずに死ねるか――難治がんの記者がそれでも伝えたいこと』(野上祐著、朝日新聞出版)の著者は、朝日新聞の元政治記者。「元」としたのは、福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月に膵臓(すいぞう)がんと診断され、2018年12月28日に逝去したからだ。

つまり告知を受けてからも闘病しながら執筆を続け、その結果として生まれたのが本書なのである。

「朝日新聞デジタルでときどき配信してきたコラム『がんと闘う記者』をまとめて本にする気はあるか? もしあるなら、出版社に相談しようと思う」 上司からそう言われたのは、医師から「命に関わりかねない状態」と言われて東京都内の病院に緊急入院した昨年7月(注釈:この文章が書かれたのは2018年12月25日)。ちょうど東京都議選の投開票日のことだった。(「あとがき」より)

そうして生まれた本書にはさまざまな思いが書かれているが、その根底には「危機への参考書になれば」という考えもあったようだ。

 2016年2月、病院で麻酔から目覚めると、闇の中に白衣がぼうっと浮かんだ。 手術後の様子を見に来た主治医だった。こちらの目礼に、困ったように眉をひそめると、視線をそらし、背中を向けた。無言。手術前に「心配するな」とむやみに大声を上げ、肩をたたいて励ましてきたのとはまるで別人だった。 しゃべらない相手からも真実を探ろうとする。記者とは、実に因果な商売だと思う。医師の姿におのずと悟るところがあった。数日後に手術結果の正式な説明があり、膵臓がんは切除できなかったことを告げられた。(「はじめに」より)

膵臓がんは、切除できなければ1年後の生存率は10パーセント以下というデータがある「難治がん」のひとつ。「そのデータのような状態だと理解すればいいのか?」と問いかけると、主治医はゆっくりうなずいて「男、40代。やりたいこともあるだろう」と唐突に言ったという。著者の耳にそれは、「最後にやりたいことをやれ」と聞こえたそうだ。

そのような実体験に基づき、著者はまず「自分が『がん』だと分かったらどうするか」について自身の考え方を明らかにしている。

重要視しているのは、自分が「がん」の疑いを指摘されたときのことをシミュレーションしておくこと。

もちろん、気分的にもそれはイメージしにくいだろう。しかし現実問題として、2人に1人ががんになるのである。ということは、夫婦の片方あるいは両方がなる場合を合計した確率は4分の3ということになる。

それどころか、親きょうだい、友人や子供までを加えれば、確率はさらに高まる。つまり、考えることを先送りするのはあまり意味がないわけだ。



がんと付き合うとき、なによりも大切なのは、自分の「スペア」になってくれる相手との関係だと著者は言う。

病気による痛み、抗がん剤の副作用、手術前後の麻酔、ふだんどおりに頭が働かなくなることなど、さまざまな問題が起こるはずだ。そのとき、「スペア」としての相手が自分並みかそれ以上に知識を持ち、同じ価値観で判断できるかどうかが重要だということ。

相手から教えられたり、話し合いによってお互いの理解が深まったりする相乗効果も期待できるわけだ。

いわば大切なのは、「いまこれから」変えることのできる未来だということ。そのような観点から、著者は読者に向けて次のような提案をしている。

(1)本気でがんを早く見つけたいか、それは誰(何)のためか、考える。検査に万全を期しても早期発見できるとは限らないことも知っておく。(2)がんかもしれない、と言われたら、誰にどんな言い方で伝えるか。安心感ほしさに楽観せず、最悪の展開も考える。検査の予約などは早めに。「空白」をつくらない。(3)パートナーとの関係をよりよくするために何ができるか。これを読んだあと、実際にやってみる。(18ページより)

がんに限らず、難しい病気にかかった患者の多くは「なぜ病気になったのか」と疑問を持つこともあるはずだ。著者も同じで、病気を知らされた頃は本書の執筆時よりも体重が30キロ近く重かったため、肥満によって病気のリスクが高まったのかとぼんやり考えたそうだ。

とはいえ、それで後悔に襲われたかというと、「そうでもない」のだとか。人は自分の間違いを認めたがらないものだから、「強がっていないか?」と改めて自問してみたものの、やはり心が動揺し始めることはなかったという。

だが、その一方、2016年の暮れから「底なし沼のような」3つの苦難が次々にやってきて、追い詰められていくことになる。最初の苦悩は、本が読めなくなったことだった。

 2度目の手術の翌月にあたる12月、入院中のある日、本を読み出しても2、3ページで閉じてしまっている自分に気づいた。何を読んでも脳みそに霧がかかったようで、残らない。情報を収めるタンスがもういっぱいで、新しく入れようにもはじき返されてしまう。寿命を考えれば、本で得た知識を生かす機会もなければ、本を楽しんでいる余裕もない。しかし、読めるうちは読もうと決めた矢先だけに、参った。(31ページより)

本が読めないくらい、たいしたことではないと思われるかもしれないが、これはなんとなく理解できる。私自身、いつか入院することになったら、読めないままになっている本を一気に読もうなどと思っていたからだ。だが、そういう境地にはいられなくなることを、この記述は明らかにしている。



しかも、そんな状態ではいざというときに治療や検査について情報をかみ砕き、判断することもできない。それに並行して体力も衰えるので、不安だけが雪だるまのように膨れ上がっていくことになる。

続いて、ふたつの苦難が追い討ちをかける。

少しの散歩で、胸も気分もせっぱ詰まってくる。 肺が一回り、二回り縮んだ気がする。吸って吐くまでの間隔が短くなる。ハッ、ハッ、ハッ。ひょっとして、これが生涯続くのか? 目をつぶり、息が整うのを待ちながら、暗い気分になった。(32ページより)

 三つ目は脚にきた。夕方になるとむずむずし始め、じっとしていられなくなるのだ。寝ながら、上げたり下げたり、よじったりすれば気が紛れるが、1分とたたずに身の置きどころがなくなる。マッサージも効くのはその間だけ。眠りが浅くなり、疲れがたまっていった。 これが「むずむず症候群」という病気だとわかるのは、退院後、自宅に戻ってネットで検索してからだ。 かわいらしいのは名前だけ。その治療のために初めて訪れた病院では名前が呼ばれるのをじっと座って待っていられず、受付の声が届く範囲をうろつき続けた。周りから見られている気がする。まるでおりの中の動物じゃないか。(32ページより)

以後、入退院を繰り返す著者は、「まるで万力で締められたような」腹と背中の痛みに耐えながらも、自身の現状を原稿に記しておこうと努力を続ける。というよりも、それは記者としての魂のあり方なのかもしれない。

例えば、再び入院するために家を出発する前、配偶者に息も絶え絶えの状態で「パソコンを病院に持っていって。電源も」と頼み込んでいる。

 異変は寝ながらおなかの上でパソコンを開き、翌日の原稿を書いているときに起きた。それなのにまだ原稿を気にしている姿に、配偶者は泣きそうな声で私の名前を呼んだ。あとで聞くと、「この人はこの場面もネタをキャッチしたと思っているんだろうな」と思っていたそうだ。 病院に到着し、激しく吐くと少し楽になった。「これで死ぬのかもしれない」。がんになって初めてそんな考えが頭をよぎる余裕が、ようやく生まれた。どうなるにせよ、自分の今の姿はとどめておこう。検査室に移動する前、私の写真を撮るよう配偶者に頼んだ。数枚撮ったところで看護師から「撮影禁止」を告げられた。 ならばよけいに文字で場面を再現できるようにするしかない。ストレッチャーで検査室へカラカラと運ばれながら、改めて白い天井をにらみ直した。 これまで通院や入院の際にストレッチャーで運ばれていく人を見ては心の中でつぶやいていたのを思い出した。「明日は野上(のがみ)」もとい「明日は我が身(わがみ)」か――。(49〜50ページより)



上記からも分かるとおり、病気と向き合いながらも著者にはどこか余裕があるように思える。それどころか、ときにユーモラスな側面さえ見せるのだ。また、以後も悲惨な闘病体験が続くわけではなく、どんなときにも記者としての姿勢を崩さない。

 2016年2月にがんの手術を受けた病院には、大きな桜があった。見舞いにきた先輩記者と並んで写真を撮った。「これが最後の桜かもしれない」。ならば、これを逆手に、少しでも記者として成長して散りたい、と考えた。(127ページより)

ところで、膵臓がんで逝去した新聞記者が残した書籍と聞けば、壮絶なラストシーンが待っているように思えるかもしれない。しかしそんなことはなく、記者としての体験談を綴ったあと、同じ病で他界した人たちの話題で幕は閉じられる。

登場するのは、力士の千代の富士、安倍晋三首相の父である安倍晋太郎・元外相、ミュージシャンのムッシュかまやつ、アップル創業者のスティーブ・ジョブズ、ジャーナリストの黒田清、チェコの元体操選手ベラ・チャスラフスカと、いずれも膵臓がんで亡くなった人たちだ。

 たとえ治療によって死期を遅らせ、死因を変えることができても、死そのものは避けられない。人間に選べるのは、死に敗れるまでをどう生きるかということだけだ。(217ページより)

この文章を読むにつけ、「強い方だったんだな」と思わずにはいられない。そして自問することになるのだ、「果たして、自分はここまで強く死ねるだろうか」と。


『書かずに死ねるか――難治がんの記者がそれでも伝えたいこと』
 野上 祐 著
 朝日新聞出版


[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に「ライフハッカー[日本版]」「東洋経済オンライン」「WEBRONZA」「サライ.jp」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、「ダ・ヴィンチ」などにも寄稿。『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)をはじめ、ベストセラーとなった『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)など著作多数。



印南敦史(作家、書評家)

この記事の関連ニュース