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トランプはなぜ中国を貿易で追い込もうとするのか? - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2019年5月7日 18時0分

<米中交渉を前に再び中国製品に対する関税引き上げを宣言したトランプ。自国経済も傷つけかねない激しいやり方の背景には何がある>

日本の10連休が続いている間にアメリカの株価は上がり続けていました。どうもアメリカ経済は底堅いということで、特に政府が3日に発表した前月4月の雇用統計は、驚異的な数字でした。農業部門を除く新規の雇用者数が26万人強の増加となり、予想を8万人近く上回ったのです。この結果、失業率は3.6%まで下がりました。

リーマンショック後の株安に沈んだ2009年の秋には10%の大台に乗っていたこともあることを思うと隔世の感があります。この3.6%というのは、1969年以来というのですから恐れ入ります。

トランプ政権は、ここへ来て「弾劾訴追」を受けることはなかったものの、独立機関として設置された特別検察官のレポートが公表される中で苦境に立っていました。ロシアとの「共謀ほどではないが協調」をしてヒラリーを陥れようとしたこと、「司法妨害」として立件できるほどではないが「FBIや司法省に圧力」を掛け続けたことを暴かれて、支持率が下がっていました。

そんな中で、これだけ素晴らしい雇用を実現し、そうした実体経済の好調を受けて株価も好調というのはラッキーとしか言いようがありません。大統領は自分の政策の成果だと自画自賛していますが、本当に政策の成果なのかどうかはともかく、経済が結果オーライであれば2020年の大統領選での再選は視野に入ってきます。

しかしながら、そんな「安定」というのは、トランプ大統領の辞書にはないようです。5月5日の日曜日になると中国に対して、輸入品2000億ドル(約22兆円)相当に対する輸入関税を現在の10%から25%へとアップすると宣言しました。急なことですが、今週末の10日に実施するというのです。

これを受けて、6日週明けのニューヨーク株式市場は、ダウが400ポイント以上暴落して始まる事態となりました。自殺行為にも似た激しい政策ですが、なぜトランプという人は、こんなことができるのでしょうか?

1)常識的な見方は交渉の一つのテクニックという可能性です。そもそも米中の通商交渉では、中国側の劉鶴(リウ・ホー)副首相が訪米して今週8日に交渉が行われる予定でした。その劉氏が米国へ向かう中で、こうしたパンチを食らわせることで、相手の出方を見ているという可能性はあります。

2)その一方で、トランプ流の経済政策というのは、彼一流の企業経営と一緒で、少しでも黒字になって銀行からカネが借りられるようになると、ドーンと借金して新規のホテルを建ててしまうように、雇用が好調で株高になると、その分「自国の株価を下げるような激しい政策」もできてしまう、そんな発想法があるのかもしれません。



3)一方で、まともな上場企業を経営したことがなく、アメリカの経済全体に投資したこともないし、一方で年金ファンドなどを運用するようなこともなかったトランプは、株安への「痛み」には鈍感という考え方もできます。

4)トランプ流の通商政策が進行中とはいえ、今でも米国と中国は包括的な国際分業の関係にあります。そんな中で、この種の激しい政策を行うということは、決して米国のGDPにはプラスではありません。また、中国を「製造の外注先」から外したとしても、先進国水準の優良な雇用がアメリカに戻ってくるわけでもありません。ですから、激しい政策を行えば、傷付くのがアメリカ経済です。それでもこんなことが実施できるのは、「コア支持者の多くが引退した年金生活世代」であって、現在進行形の実体経済のインパクトからは距離を置いた人々、そのためにこんな危険なギャンブルが可能という考え方もあります。

5)政敵の民主党サイドでは、左派の影響が強く、オバマやクリントン夫妻のように米国全体のGDPを気にするような議論ができないということもあります。むしろ、トランプが右のポピュリズムから煽ってきている対中国の通商戦争について、左のポピュリズムから似たような主張をしてくる部分もあり、とにかく今回の「25%」が政治的な論争として強く批判される環境にはありません。

それにしても、この米中の通商戦争、なかなか根は深いと言えます。中国の習近平(シー・チンピン)政権としても、この間、思い切って進めている「不良債権や過剰生産設備の処理」の「痛みを伴う」部分について、ストーリーとしては「トランプのせい」にできるという側面があります。また、この厳しい経済環境の中で、習近平国家主席の政治的な勘と、李克強(リー・コーチアン)首相の政策論が上手く噛み合ってきた感じもあります。

そんななかで、中国としては安易な妥協はしない可能性もあります。ですから、米中が四つに組んだ格好で問題が長引く中で、日本だけが経済的に大きなダメージを受ける可能性も考えておかなければなりません。月末のトランプ来日へ向けて、北朝鮮問題よりもこちらの方が重要課題と言えるのではないでしょうか。

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