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「ヘッチヘッチ論争」を知らずして、現代環境問題は語れない

ニューズウィーク日本版 2019年5月17日 15時0分

<地球温暖化やSDGs(持続可能な開発目標)が叫ばれているが、環境問題はなにも急に降ってわいた問題ではない。その原点は260年も前に遡るし、20世紀初頭にアメリカで起こった論争からも教訓を導き出すことができる>

今日の環境問題の源泉は1960年代の高度産業社会化にあると思っている人たちが大半かと思われる。ところが環境問題の原点である公害問題は、遡ること今から260年ほど前の英国の産業革命に由来している。

産業革命は近代的な生産方式による技術革新だったといわれているが、蒸気機関をはじめとする技術革新、それに伴う蒸気機関車・蒸気船の誕生という交通革命をもたらした。産業革命によって、商品の大量生産化や大量輸送化が可能となり、生産方式の革命だけではなく、商品消費の革命をももたらしたのである。

中世の農耕型社会から決別し、産業を社会発展の機軸とする近代産業社会が生み出された。こうした近代産業社会の発展の中で、負の現象となったのが工場による排水物の垂れ流し、労働者の都市集中による都市のスラム化、自然環境の破壊という公害問題・都市問題である。

これらの問題については、エンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』(岩波文庫)や角山栄他の『産業革命と民衆』(河出書房新社)等をお読みいただきたい。

近代産業社会が加速度的に発展するとともに、人間の生活環境を破壊する公害問題から、自然環境の収奪や破壊を是とする環境問題へと移っていった。もちろん、現在の中国のように、公害問題が大きな社会問題となってきたことも事実である。

人間の経済発展を機軸とした社会発展には、人間の生活や自然環境の犠牲がつきものであるということを理解していただければと思う。

人間と自然との関係を原点から考えるのが先決

今日の地球環境問題の原点は、人間と自然との関係をどう捉えていくかということに帰着する。近代産業社会以前はキリスト教的な教えの関係もあって、神-人間-自然、という序列的な秩序が自然に対する価値観として当然のこととされており、自然破壊は人間の経済発展のための資材となると考えられていた。

1972年の「ローマレポート」は、現在の過剰な産業社会の発展が継続すれば、地球の化石燃料(石炭・石油等)は枯渇し、いずれ、地球は破滅していくという「成長の限界」説を提起した。きわめて悲観的なこの将来予測が、世界各国が地球環境問題として取り組んでいく契機となったことは周知のことである。

そして今日、人間と自然(生態系)との関係をどのように捉えていくかということが環境問題の重要な課題となっているのである。



経済の発展か、自然環境の保存か――「ヘッチヘッチ論争」 とは何か

ではここで、伝統的な人間の自然観をゆるがす社会問題となった「へッチヘッチ論争」について紹介しよう。この問題から教訓を学ばない限り、今日の地球環境問題を解決していくための方策を見出すことはできないといっても過言ではないだろう。

20世紀初頭、近代産業社会の成立を背景として、米国では環境問題に対する考え方に2つの立場が現れた。

その1つは、社会進歩論・社会進化論等を基盤とする社会発展思想に支えられた経済開発重視型の革新主義的な思想(Progressivism)で、自然環境を人間のための有効な利用として位置づける、「保全主義思想」(〔Conservationism〕-人間中心主義的・功利主義的立場)である。

もう1つは、人間にとっての倫理的・審美的な重要性を唱え、自然環境を原生自然の状態で保存することが自然環境保護につながるという、「保存主義思想」(〔Preservationism〕-自然中心主義的・原生自然主義的立場)の考え方である。

この2つの対立した考え方は、1908年、カリフォルニア州のヨセミテ国立公園内にあるヘッチヘッチ渓谷に、地震等の災害時に対応するための水資源の安定的供給を目的として、サフランシスコ市の貯水池と水力発電所用の用地を確保し、そこに大規模ダムを作るという計画をサンフランシスコ市長が連邦政府に申請したことから始まった。

前者の立場を推進したのが、自然環境の功利主義的な利用を容認する、連邦政府の森林局長官であり、保全主義者であったG.ピンショーであり、後者の立場から、ヘッチヘッチ渓谷の保存・保護運動を推進したのが、現在のシエラ・クラブの創設者である保存主義者、自然保護運動家としてのJ.ミューアである。

環境や自然をいかにとらえるか? 今につながる自然観の対立

ピンショーにとっては、保全は決して自然を破壊する行為ではなく、米国における天然資源を枯渇から守る唯一の方法であり、それは近代社会における科学・技術の恩恵であることを意味していた(Hays,S.P, 1959:2)。

彼は功利主義の立場から、保全に関して次のような4つの原則を示したのであった。

「第一に、保全とは環境全体を管理することであって、単に森林や草原や河川のみの管理ではなかった」。

「第二に、保全は開発であり、現在この大陸に存在する天然資源を、現在ここに生きている人の利益のために用いること」であり、「保全の第三の原則は、天然資源の浪費を取り除くことであった」。

「最後に、天然資源の開発と保存は多数者の公益のために行われるべきであり、単なる少数者の利潤のためであってはならない(最大多数の最大幸福)」。

(注:訳書の一部を筆者が修正し、補足を入れて引用している――R.F.ナッシュ/足立康訳、『人物アメリカ史(下)』、新潮社、1989年、p.82-83)



このように、ピンショー自らがつくり出した「保全」概念は、天然資源を賢明、かつ、効率的に利用することであり、人間による天然資源の効率的利用は資源の浪費を防ぐという最も合理的な環境保護政策の1つであると考えていたのである(Nash, 1989=1999:140)。

これに対してミューアは、自然保護がもたらす人間の精神的充足の側面を重視し、自然は天然資源の貯蔵庫ではなく、人間の日常生活の癒しとなるべき神からの贈り物であるという考え方をしていた。

「疲労し、精神的に不安定で、過度に文明化された数千もの人々が、山にでかけることは家に帰ることでもあることを理解し始めている」といったように(Nash [1990=2004:148])。

したがって、ヘッチヘッチ渓谷は彼にとっては、ピンショーのいうような単なる天然資源の貯蔵庫ではなく、「それは壮大な景観の庭園であり、自然界にある希有の最も貴重な山の神殿の一つ」なのであった。そして、自然が人間に対して意味するものは、「自然によって心身が癒され、励まされ、そして力を与えられる場所」なのである(Nash [1990=2004:150])。

こうして、ヘッチヘッチ論争をめぐって表面化した自然をめぐる思想的対立は、<功利主義的自然観>(G.ピンショー)と<審美主義的自然観>(J.ミューア)という自然に対する基本的な価値観の相違から出てきたものであるとともに、経済発展を基盤とする近代産業社会の功罪を問う、経済思想的な意味をもつ論争でもあったといえるだろう。

私たちに課せられた「ヘッチヘッチ論争」からの教訓

この2人の論争は当時の3人の大統領、T.ローズベルト、W.タフト、W.ウィルソンを巻き込むという大論争となった。

この背景には、保存主義思想と保全主義思想の対立だけではなく、19世紀末から20世紀前半の米国において展開されていた、一部巨大企業の利潤の独占化に反対し、社会改革を推進していく社会運動としての<革新主義運動>(進歩主義運動ともいわれる)がある。

大企業家たちが私的利潤の追求のために国家の天然資源を収奪したことで、自然環境の破壊が進み、「資源の私的所有権の乱用を抑制し、環境資源の利用に際しての科学的な管理基準を設けようとする努力に、一般の人々が幅広い支持を与える原因となった」。つまり、保全的な革新主義運動が社会的に大きな影響力をもつことになったのである(Humphrey et al., 1982=1991:146-147)。



また、時の大統領、ローズベルトは早くからピンショーの科学的森林管理に理解を示し、自然環境全体の保全という彼の考え方と国家政策とを具現化していくために、1908年に全米の州知事を含む1000人の指導者をホワイトハウスに集め、自然の保全に対する会議を開催した。

「私が皆さんをここへお招きしたのは、わが国の富の根本的基盤であるものの保全と利用に関する問題を共に考えるためであります」ということから大統領演説を開始し(Nash(eds.),1990=2004:134-135)、「天然資源を採取するに当たって、よりいっそう効率の高い方法を用い、そうすることによって浪費を回避したい」と呼びかけたのであった(Nash [1989=83])。

このように、ピンショーの自然環境に関する保全政策は、ローズベルト大統領の強力な支援もあって、社会的にも大きな影響力をもったのである。

こうした政治的・社会的背景もあって、1913年に下院でダム建設が決定され、ミューアをリーダーとする自然環境保護派は敗北という結果に終わった。

しかし、その後、国立公園法が1916年に成立し、公園内における経済開発が困難となったという事実からすると、自然環境の保存・保護のための環境主義思想は米国民に引き継がれていったともいえよう(Nash, 1987=1989:86)。

このヘッチヘッチ論争は、後の時代の自然環境保護をめぐる倫理的・経済的な論争――すなわち、人間のための資源の有効利用という形での自然環境保全としての「開発志向的な立場」(開発)と、自然のための自然環境保存としての「環境保護志向的な立場」(保護)の対立――を生み出した。経済的利益と環境的利益のバランスをどのように確保していくか、という課題を残していったのである。

このような課題は現在では、環境問題への技術的な対応によって環境保全型の<環境社会>(Environmental Society)を実現可能とする「環境主義」思想と、生態系の持続可能性を基盤とした<緑の社会>(Green Society)の構築をめざす「エコロジズム」思想(Ecologism)との環境思想上の対立に受け継がれている。こうした対立を人間と自然との共生という観点から再検討していくのが現代の地球環境問題の重要な論点である。


※『エコロジズム』の政治哲学的特質については、「緑の政治思想の名著シリーズ」の第1巻『エコロジズム――「緑」の政治哲学入門』(B.バクスター著、松野 弘監修・監訳、ミネルヴァ書房、2019年4月刊行)を参照されたい。


〔引用・参考文献〕
1. Baxter,B(1999)、『エコロジズム――「緑」の政治哲学入門』(松野弘監訳、ミネルヴァ書房、2019年)
2. Humphrey C.R.,et al.,(1982)、『環境・エネルギー・社会』(満田久義他訳、ミネルヴァ書房、1991年)
3. Hays,S.P,(1959), Conservation and the Gospel of Efficiency, Harvard University Press)
4. Kassiola J.J.(1990)『産業文明の死』(松野弘監訳、ミネルヴァ書房、2014年)
5. 松野 弘(2010)、『環境思想とは何か』(ちくま新書、筑摩書房)
6. 松野 弘(2014)、『現代環境思想論』(ミネルヴァ書房)
7. Nash, R.F.(1987)、『人物アメリカ史(下)』(足立 康訳、新潮社、1989本)
8. Nash, R.F.(1989)、『自然の権利』(松野 弘訳、筑摩学芸文庫、1999年)
9. Nash,R.F.(1990)、『アメリカの環境主義』(松野 弘監訳、同友館、2004年)
10. Righter,R.W.(2006), The Battle over Hetch Hetchy, Oxford University Press.他。

[筆者]
松野 弘
社会学者・経営学者・環境学者〔博士(人間科学)〕、現代社会総合研究所理事長・所長、大学未来総合研究所理事長・所長、一般社団法人ソーシャルプロダクツ普及推進協会理事・副会長等。日本大学文理学部教授、大学院総合社会情報研究科教授、千葉大学大学院人文社会科学研究科教授、千葉大学CSR研究センター長、千葉商科大学人間社会学部教授等を歴任。『「企業と社会」論とは何か』『講座 社会人教授入門』『現代環境思想論』(以上、ミネルヴァ書房)、『大学教授の資格』(NTT出版)、『環境思想とは何か』(ちくま新書)、『大学生のための知的勉強術』(講談社現代新書)など著作多数。


松野 弘(環境学者・現代社会総合研究所所長)

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